2018年、新年明けてしばらく経ち、平常モードに戻った昨今ですが、いかがお過ごしでしょうか^
当別荘新年吉例、街ブラの原点企画・『東海道53次シリーズ』から、今年もスタートです^
今年は、三重県の『関宿』ですが、実は昨年初夏の作、『北山村ツーリング』(vol.260 17.7.10up)の時、途中立ち寄って取材していたものです^
↑東名阪の亀山PAですが、北山村へ行く前、伊勢道でなく、名阪国道へ"脱線"していました
名阪国道・関ICから、↑国道1号へ
早速↑"道の駅 関宿"の看板があったので情報収集を兼ねて行ってみますが、その前にもう1ヵ所寄ってから
道の駅の隣には、鉄道駅がありました。
↑JR関駅へ(※三重県亀山市)
関(せき)駅は、名古屋~奈良~JR難波を結ぶ関西本線にあります。関駅の1つ東隣の亀山駅以東がJR東海、この関駅から西側がJR西の管内です
現在の関西本線ですが、現在はその"本線"としての役割はほぼ失われ、2つのJR社へ分断された通りに、実質"2つの路線"へと姿を変えています。
名古屋方からは亀山まで電化、大阪方からは奈良県の加茂まで電化され、その両端(※名古屋/大阪)への通勤路線として機能しています。しかも加茂~大阪間は"大和路線"という愛称も付けられ、今や直通列車もありません。
そして、上記区間の中間に位置する、鈴鹿峠越えの亀山~加茂間だけ非電化です。名阪どちらの通勤範囲にも入らないため、上記の"2つの路線"の間で、言葉わるいですが"中ぶらりんな区間"となっており、1両編成のワンマンDCがのんびり走るローカル線の様相です
本来は、東海道線のバイパス路線としてもっと重要な役割を果たしてもいい関西線ですが、名古屋~三重~大阪間の近郊輸送は主に近鉄が担っており、三重県内のJR線全線でみられる、"近鉄に負けっぱなしで放置"状態です。
関西本線は戦前、私鉄として開業し、当初から官営だった東海道線と激しい競争を繰り広げた歴史もあります。戦前~国鉄時代には、特急・急行も走っていた、知られざる過去を秘めた線です。
JR転換後も1本だけ残って頑張っていた『急行かすが』(※名古屋~奈良間)が2006年に廃止となり、関西線優等列車の歴史が幕を閉じました
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話がだいぶ鉄分に傾きましたが、今作は東海道53次なので、この辺でおわりますw
鉄道駅の隣にある、道の駅へ^
当別荘ツーリング作で恒例の、地元の特産品が並ぶ道の駅内の光景です
亀山特産の↑ローソクコーナーがあるのが、ここの特徴
道の駅に掲げられていた、↑関宿の絵地図
街道筋に沿って、今なお往時の街並がよく残る、東海道53次の中でも大規模な宿場で、その長さ約2kmにも及びます
道の駅から、↑関宿駐車場へ移動。
Wo号を停め、早速街中へ出発します
駐車場の向かいにあった、"生卵の自販機"(珍)
地元の養鶏農家直営みたいです。テントに↑書かれている通り、超新鮮なんだと思います^
駐車場のあった所が関宿の真ん中あたりのようでした。
街道筋に出てみると・
お~
見事に残る江戸期の民家、長い街道筋にズラリと続いています
街並の”原型残存度”は、東海道の宿場中でピカ一との事です
現在も営業中のお店も含め、トータル的に、唸りたくなるほど完璧な宿場の雰囲気でした^
関宿の中心あたりに、↑お寺かな?という雰囲気のお堂がありました。
この堂宇は~
『関の地蔵院』といい、地蔵を祀るお堂として日本最古だという事です(※伝741年築)
現在は宝蔵寺という真言宗の寺院ですが、通称『関の地蔵さん』として親しまれています(※鐘楼も含めて国重文)
そんな貴重な地蔵堂なんですが、自転車を↑すぐ前まで乗りつけた子供たちの遊び場になってましたw
地蔵堂の前の街並、↑"一部だけ洋館風に改修"されているのを発見、他ではなかなか見られない面白い形状だと思います^
引続き、街道筋を歩いていきます
関宿は、国の重要伝統的建築物保存地区&日本の道100選に指定されています。
↑現在も営業中のお店多数
前述の通り、東西約2kmにも亘って見事な街並が続いています。
しかも空き家がほとんど無いのも関の特徴で、多くの店舗が営業している事に驚く
江戸期、↑お上からの通達が掲げられた高札場が再現されていました。
郵便ポストも、↑明治初期当時のデザイン(※実際に投函出来ます)
↑道路元標を見つけました
(※関町は、平成大合併で亀山市と合併)
その元標の近くに、当時の旅籠↑『玉屋』が現存し、公開されています。
入ってみます
旅籠を資料館として公開したのは、ここが日本最初だそうです^
お~
↑帳場が、人形付きで見事再現されています
畳の客室が、数えきれない数です^
旅籠といえば、今で言う”高級旅館”ですが、玉屋は関宿で特に評判が良く、大変繁盛したんだそうです。
関・亀山といえば、現在は高速道路では東名阪と伊勢道が分岐、鉄道も、関西線と紀勢線の分岐点となっていますが、旧東海道もここで伊勢や奈良への街道が分かれ、昔も今も交通の要衝なんです。
古代日本三関の一つ、鈴鹿関への入口に位置し、『関』の名もそこからきています。
まさに東西日本の結節点といえます
そんな関宿の"生き証人"である玉屋、往時の賑わいを偲ぶことが出来る場所です。関へ来たら訪問マストです
しかし、高級旅館とはいえ、そこは江戸期。暑さ寒さや蚤・虱には悩まされたとの事で、当時の人が行っていた対処法とかも展示に書かれていて興味深かったです
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玉屋を出て、再び街道筋へ
”百六里庭”というポケットパークで休憩
↑の玄関を入ると、小公園があります
この公園には、↑2階建屋根相当位の高さがあるミニ展望台があって、関の街並が俯瞰できます
本陣は残っておらず、↑跡地の標柱が往古を伝えます。
岐阜県・美濃市ツーリングの作(15.10.4up vol.207)で出てきましたが、屋根に丸みのある膨らみを持つ"むくり"屋根の家も。
↑写真の屋根、膨らみがわかるでしょうか
関宿にあるもう一つの公開施設、『関まちなみ資料館』を見学します。
ここでは、関の歴史紹介と共に、特に街並保存の歩みに力を入れて解説していました
これまでご覧頂いたように、2kmに及ぶ見事な街並を維持していくには、地元の人と行政が一体となった努力が欠かせないのは勿論です。
関では1980(昭和55)年に『まちなみ保存会』が結成され、同年に旧関町も保存条例を制定して支援。4年後の1984(昭和59)年に国の保存地区指定を得ました(※三重県初)
東海道53次の中でもピカ一と言われる、長大かつ保存度の高い街並は、地域の方々の努力あってこそ今に伝わっている事は心銘すべきと思います
↑銀行も、街並に合わせてつくられています。
三重県の地方銀行・百五銀行です
訪ねたのは、前述の通り実は昨年初夏だったんですが、↑新年の飾り(※に見えました)があちこちの家に付けてあるのが気になりました、そういう風習なんでしょうか
保存地区の端まで来ました。
ここまで来ると、現代建築の家も増えてきましたが、電線はここまで地中化されています
この辺でゴールといたします^
繰り返しですが、東海道53次の中でも最大級の街並が残る、三重県・関宿でございました
駐車場へ戻ります^
余談ですが、バイクを停めた観光駐車場の横に、↑"足湯"がありました^
Wo号の後ろに写っている、↑こんもりと木の集まった所ですが、一里塚が現存しています。
なお、関宿から少し離れますが亀山市内には、「た」シリーズで毎年やっている"酉の市"の祭神、日本武尊のお墓もあるとの事です。
本年の東海道シリーズ、今なお往時の旅人気分を味わえる、おすすめの関宿をおおくりしました。是非訪ねてみて下さい
(※2023.7 文一部修正)