前々作~前作で開設した新カテゴリー"滋賀県"につづき、10周年記念企画のラストとして、今作でもう一つ、新カテゴリーを発足させます^
その名 『いまさらですが』です
滋賀県シリーズと同様、従来の"国内一般"カテゴリーから派生させたと言えますが、以前から「大括りだなぁ」と思っていた国内一般を、10周年記念の機会に、2つ連続で分派をつくってしまいましたw
この『いまさらですが』シリーズでは、超メジャーな名所でありながら、Woがこれまで行ってなかった、或いは行った事あるけど当別荘では初登場の場所を"今更ながら改めて訪ね"、Wo流に切り取って探索する作をupしていきたいと思っています
第1回は~
当別荘ではおなじみ、度々お世話になってるネタ豊富な街、名古屋からです^
これまで何度も訪ねている名古屋ですが、今更ながら、当別荘初登場だった超有名な場所を、今作で一挙に3つ(!)訪ねます
では早速スタートします!
まず1ヵ所目は、名古屋城です。
名古屋市営地下鉄で訪ねます
日本初の"完全環状運転地下鉄"、名城線で、市役所駅下車
ちなみに名城線では"内回り/外回り"とは言わず、
『左回り/右回り』と呼んでいます
路線名の通り、名古屋城や、名古屋ドームへの最寄駅もあるので、市民以外の利用も多い路線です^
地上に出ると~
地下鉄の出入口も、↑城門風^(※名古屋城最寄の出入口のみ)
【※2023追記:同駅は2023年、『名古屋城駅』に改称されました。
理由は、同駅の隣が"名城公園駅"で、城の最寄り駅を間違う観光客が、いくら各駅で案内を強化しても後を絶たなかったため】
駅から地上へ出ると、↑交差点の向かいに大きくて古風な建物が2つ見えます。愛知県庁&名古屋市役所です
レトロな中にも、独特の威圧感がある2棟の建物。
道路でも何でもビッグなものが多い名古屋ですが、この市役所&県庁が発する独特なオーラも、なかなかのものだと思いますw
特に県庁の、↑お城風の塔屋が印象的です
名古屋市役所は1933(昭和8)年、愛知県庁は1938(昭和13)年の完成で、ともに戦災を生き抜き、現在では名古屋のシンボルの一つとなっています(※市役所は国重文指定)
これから、江戸期の県庁&市役所だった(?)名古屋、名古屋城を見学したいと思います。
本来は駅を出たらお堀が見えるんですが、↑当時工事中で仮塀が囲ってありました。
(※『金シャチ横丁』というグルメ街が出来るそうです。2018年完成予定)
石垣の切れ目から、城内へ入ると・
見えてきました、名古屋城です^
お~
金のシャチホコを屋根に戴いた天守、久々に見ました^
有料エリア内の↑表二之門から、内堀の中へ入ります
城内へ入ってまず目に入るのは、↑復元されたばかりの"本丸御殿"
まず本丸御殿を見学してから天守へ行くのが、見学順路となっています
下駄箱に靴を預け、真新しい御殿内へ・
2013年に第1期工事完成、公開が始まったとの事で、現在は第2期工事まで出来ているとの事。来年の第3期工事竣工をもって復元完了だという事です。2017現在は"部分完成"なんです
本丸御殿といえば、2012年に九州シリーズで訪れた熊本城も当時本丸御殿が完成したばかりでしたが、熊本城はご存じの通り地震のため現在公開中止になっています。この名古屋で本丸御殿を見ながら、改めて熊本の復興を祈りました。
↑豪華絢爛な襖絵に、目を奪われます
動物や自然等が描かれ、当時の人の美意識を垣間見る思いです
また、2間つづきで"京都"と"和歌山"の風景を描いた襖絵もあり、なかなか興味深かったです。
本丸御殿は、主に将軍上洛の途次に、宿泊・接待用として使われていたとの事です。
本丸御殿見学後、いよいよ↑天守へ
金シャチが、僕の安物カメラでも充分写る至近距離にw
ご存じの通り、名古屋城は鉄筋コンクリート造、復元の城です。
明治の廃城令では取り壊されず生き残り、戦前には一般公開もされていましたが、1945(昭和20)年、空襲により先程の本丸御殿とともに全て焼失しました。
現在の天守は戦後、市民の熱い思いにより再建されたものです
復元の城で文化財指定無なので、↑のように車イス用のEVを付けたり、改修はわりと自由に出来ます
では入ります^
お城は復元ですが、石垣等は当時からの本物で、名古屋城跡全域は国の特別史跡に指定されています
天守内に入ってまず出迎えてくれるのが、↑模造の金シャチ^
レプリカとはいえ大迫力です
やっぱり名古屋のシンボルといったらこれです^
エレベーターで一番上まで登ります
5階は、名古屋城の歴史を紹介する年表が主でした。
戦前の貴重な写真も多数掲示、見応えある年表です。
↑は、明治期まだ天守が公開されてない頃、お堀の向かいから"有料で天守を望遠鏡ごしに観察させた"という商売
ここで、名古屋城の歴史を簡単に纏めます^
・名古屋といえばご存じ、尾張徳川家のお膝元、この城はアノ徳川家康により1612年完成、以降江戸期一貫して徳川家が使用しました。
明治維新後、徳川家自ら、城の解体を明治政府に申し出ましたが、山縣有朋らによる保存の訴えにより"天下の名城"と呼ばれた名古屋城は、姫路城等と共に保存が決まりました。
その後、陸軍省→宮内省と管理者が変わった後、昭和に入り名古屋市に下賜。一般公開も始まりました。
しかし前述の通り先の大戦中、惜しくも終戦直前に空襲により本丸御殿もろとも全焼、お城は勿論、名古屋の街全体が灰燼に帰してしまいました。
その、まさに空襲で全焼する名古屋城を撮影した貴重な写真が展示してありました。これを撮影した人はどんな気持ちでシャッターを押したのかと思うと胸に迫るものがあります。
戦後お城は、原型を極力忠実に復元すべく、コンクリート造で再建。
焼け野原となった城下町名古屋は、一から復興をはじめました。
過去作で度々歩いている名古屋ですが、先見の明溢れる都市計画により、都市部では日本一と言っていい広幅の道路が縦横に走り、現在の元気な名古屋の基が築かれました
初代シャチホコも空襲で焼失しましたが、再建の際に再鋳造。
↑上棟式で屋根に据え付けられるシャチホコを歓喜で見守る名古屋市民(※1959年)
ほかの階では、全国各地の天守でよくある歴史文物の展示でしたので割愛しますが、↑1階でやってた"自然昆虫展"というのがお城にしては毛色がかわった企画で面白かったです
江戸期から戦前戦後まで、歴史をかみしめながら見学すると大変有意義な城です
最近全国各地の城でよくいる↑”武者”、名古屋にもいましたw
一部の門等は、空襲を免れて築造時のものが残っている"本物"があり、それらは全て国重文に指定されています(※↑は東二之門)
名古屋城ラストになりますが、僕が今回、今更ながら名古屋城に来たのには理由があります。
↑は入口前に掲げられた告知ですが、この文の通り、建設半世紀が経った復元天守は耐震性に問題があり、近い将来、建替が計画されているんです
建替にあたっては、より原型に近くするため『木造』での再建を検討しているとの事で、現在のコンクリート名古屋城は遠からず見納めになるという事です。
東海地震や南海トラフ地震がいつあってもおかしくない名古屋なので致し方ないとは思いますが、その前に是非当別荘で紹介しておきたいと思った次第です
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つづいて、2ヵ所目です。
再び地下鉄に乗り、次に降りる駅は~
鶴舞線に乗換え、大須観音駅下車
同線は名鉄と相互乗入れしていて、↑写っている赤い電車も名鉄車です
これから行くのは駅名の通りで、大須観音です^
地上に出ると国道19号です。
大須観音さんは、この国道沿いに入口があります。
境内に一歩入ると、国道の賑やかさが一変、落ち着いた空間に
『大須観音』は通称で、正式には『北野山真福寺法生院』といいます(※真言宗)
文字通り観音さんを祀る寺で、日本三大観音とも言われています。
僕実はこのお寺、関西行の時とかに途中下車して、毎年1回は必ず参りに来ているお気に入りのお寺です
年中お香の煙が絶えず、全国から厚い信奉を集めています。
鐘楼は、↑鳩の休憩所ですw
その鐘楼の横に、↑名物のからくり時計があります
"宗春爛漫"と名付けられたこのからくり時計、尾張藩7代藩主、徳川宗春を題材としています。
当時8代将軍・徳川吉宗は享保の改革で知られる緊縮財政を断行した事で有名ですが、宗春は全く逆の政策、消費こそが経済を上向かせるとの考えで、自ら派手な衣装で城下を闊歩し、町人に遊興をすすめて歩いたとの事。
まるで現在の政治『財政健全化か、消費刺激による景気浮揚か』と全く同じ構図で、いつの世も為政者の迷い所は同じという事でしょうか
しかし、幕府中央と真逆の政策を藩独自で行ったため、宗春はのちに失脚させられたとの事です
ちょうど時間となったので、見ていきます
13時ジャスト、3つに分かれた扉が下降し始め、太鼓の音が・
↑白馬に乗った宗春が登場^
(※前面がガラスのため写りが悪いです。ご容赦下さい)
さらに左右の扉も開き、からくり人形&花魁(?)も登場、雅やかな音楽に合せてひとしきり踊りを披露してくれます^
場面変わり、名古屋城の屋根に乗って踊る宗春wになると、↑3つの扉が閉まり始め、6分程のからくりパフォーマンスが終了します^
開始時には誰もいなかったんですが、音楽のボリュームがけっこう大きいので、それに誘われて観音参詣の人も沢山集まります
大須に来て何が楽しいかといえば、観音詣での後の”街ブラ”^
観音さんから国道19号の逆側へ、『観音通』&『大須仁王門通』、2つの商店街が伸びています
ういろう屋さん、名古屋名物のモーニングやナポリタンを食べさせる喫茶店も多数あり、名古屋B級グルメも楽しめる大須
途中の信号から商店街は1本になり、『万松寺通り』になります
最近都内へも進出している、コメ兵の本店はここにあります。
万松寺商店街を始め、大須の商店街で多いお店は、何といっても『服屋さん』
若者向けから年配向けまで多数の店が並び、僕も滋賀に住んでた頃はよく名古屋に来てたので、ここで服買ってました。
通り名の由来"万松寺"ですが、近年↑物凄く現代的なビルになっていて、LEDの大型表示板(※お寺独自の)まで完備w
大須観音&大須の商店街、名古屋の素の顔が垣間見えるおすすめの街です^
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3ヵ所目、ラストの"今更ながらの名所"は~
再び地下鉄に乗り、久屋大通駅で下車。
名古屋最大の繁華街、栄の隣駅です
駅から地上へ出ると・
目に入るのが、↑の塔。
ご存じ・名古屋テレビ塔です^
今作ラストは、このTV塔に登って締めたいと思います^
塔の付け根は↑オープンカフェになっています
入場券(入塔券?)を購入し、展望エレベーターへ
EVはシースルー、名古屋の街がどんどん下へ動きます^
展望階に上がってきました^
名古屋テレビ塔、高さ180m、この展望階は約100mの高さがあります
広々とした久屋大通も、見事に俯瞰できます
中央に公園がある久屋大通の真ん中に立つTV塔、札幌のテレビ塔とそっくりの立地です^
・というか、街の中心に"公園込みの巨大な大通り"がある事自体、名古屋と札幌は似た点があります
展望階から、↑さらに上へ登れる階段が・
登ってみると、金網が厳重に囲ってありますがオープンエアの展望台になってました
先程訪ねた市役所・県庁や、名古屋城もここから望めます
名古屋は土地が広いので、東京や大阪に比べてビルを高層化する需要が少なかった経過があり、ビルの高さが相対的に低めなので、眺望が良い一因ともなっています。しかし近年は名古屋も、名駅/笹島の周辺等で高層ビルが次々と建設されており、姿を変えていくかもです
展望階にあった、↑"テレビ塔支援自販機"
東京タワーや札幌TV塔もそうですが、現在ここからTV電波は発射されておらず、東海地方の地デジは現在、郊外の瀬戸市にある瀬戸デジタルタワーから送信されています。そのためこのTV塔は、これからは観光収入で生き残っていかないといけないんです
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降りてきました。
塔のすぐそばの久屋大通に、TV塔の歴史を紹介した看板がありました
・名古屋テレビ塔は、日本初の集約電波塔として1954(昭和29)年に完成しました。東京タワーより4年早く出来ていたんです
戦災復興のシンボル&TV本放送開始に合わせ、県・市・財界・放送局の出資で建設されたとの事。塔の上半分がNHK、下半分がCBCの所有だそうです。
前述の通り、現在は電波塔としての役目は終えましたが、国の登録有形文化財にも指定され、名古屋のシンボルとして親しまれています
(※2023追記:日本初の電波塔としての歴史的価値から先年、国重文に指定されました。又、2021年からネーミングライツにより『中部電力ミライタワー』と称しています)
以上、ゴールです!
『いまさらですが』、第1回は、名古屋の”今更ながら訪ねた名所3選”、名古屋城/大須観音/テレビ塔の3ヵ所を一挙に訪ねました。
今後も全国の名所を今更ながら訪ね、魅力をWo流に再発見していきたいと思っています。お楽しみに^
(※2023.7 文一部修正)