昨年upの、“東北の穴ツーリング”をもって一区切りとした『東北復興ツーリング』ですが、東北、”穴場”はまだ沢山残っています
東北6県のうち、特にこれまで訪ねた回数が少な目なのが山形県、という事で・
過去作で山形県は、通過点としてよく通過はしていますが、今回『山形県のみを目的とする』ツーリングを企画しました。前後編2作でおおくりします。スタートします^
↑山形蔵王PAで休憩した後~
当別荘初登場、山形道の寒河江ICで降ります
既に山形県ど真ん中です^
山形ツーリング、まずはここ、寒河江市から攻めます^
高速を降りると、R112号バイパス沿いには、↑全国チェーンの店舗が並びます
車があれば山形市へも通勤圏の寒河江市、最近ツーリングして思うのは、郊外のバイパス沿いの光景が全国同じような感じになってきている気もします
街並が途切れると登場したのが、↑“ここから月山が見える”標識。しかし~
この日、天気は良かったんですが、モヤッてて見えませんでした
この日最初に訪れる名所は、寒河江市を貫く国道112号から少し外れた山すそにある、村山地方(※山形県中部)きっての古刹、“慈恩寺”
↑道路標識にもしっかり示されています^
入口の看板を見つけましたが、↑かなりの坂の上にあるみたいです
駐車場からお寺まで、歩いて少しかかります
途中にはサトイモの畑。そういえば山形って秋になると河原とかでやる"芋煮会"が名物^
↑山門が見えてきました
駐車場から行くと、横から見えてくる恰好になります。
年季を感じる、↑精緻で立派なつくりの慈恩寺・山門
(※山形県指定文化財)
山門の正面へは、車道以外に、下から斜面をストレートに石段で登ってくる正式な参道もあります
そして山門をくぐると、↑本堂が目の前に
風格漂う、慈恩寺・本堂です(※国重文)
この慈恩寺、開創は遡ること奈良時代(724年)との事。1300年余の歴史を誇る名刹です
開創は行基と伝わります。
主に西国を中心に活動していた行基ですが、この慈恩寺は行基が開創した寺院中で、最北に位置するうちの一つだそうです。
さらに境内を見渡すと、山すそに三重塔が聳えています
周囲の森と溶け込むような、↑木の質感豊かな三重塔(※築1830年、山形県文化財指定)
他にも境内には釈迦堂、天台大師堂等の伽藍が並びます。
現存する堂宇は、いずれも江戸時代築との事です。
そして、お寺といえば欠かせない↑『鐘楼』(※伝1683築)
しかも同寺の鐘は、”自由につき放題”
同寺では、毎年夏に本堂で宗次郎がオカリナのコンサートをやってるそうです^
そんな慈恩寺ですが、正式名は『瑞宝山 本山慈恩寺』といい、宗派は真言宗と天台宗の流れをくむ『慈恩宗』という同寺だけの一山宗派だそうです。
江戸期までは、多数の末寺や坊を擁した一大修験場だったそうですが、現在は縮小し、ひなびた味わい深いお寺となっています
道の駅・チェリーランド寒河江に寄ります
かなり大きな道の駅でした
↑整然とした巨大な駐車場と、立派な建物
これまで当別荘ではいろんな道の駅を訪ねましたが、この寒河江道の駅、なんか”カッチリした(?)印象”がしました^
↑道の駅というより、まるでデパ地下食品売場のような整然としたレイアウトの店内
当別荘ツーリング作でよく登場するような“自然で素朴な雰囲気”な道の駅とは基本が違いますw^
それはさておき寒河江市、東根市と並ぶさくらんぼの一大産地で、関連グッズがいろいろ置いてありました
広大な河原が広がります
市内を貫く寒河江川が、駐車場の反対側に流れます
道の駅周辺は、1.5kmに亘り、親水公園に整備されています
そしてこの道の駅のもう一つの特徴として、
↑駐車場の片隅に、なぜかイスラム風の建物が
これ『トルコ館』といい、寒河江市の姉妹都市、トルコ共和国・ギレスン市との縁で建設されたものだそうです。
建設の際には、トルコから技師が来日して監修したという本格派です^
中は、↑トルコ物産店になっています
石の床、そして中央にはムスリムの人が好む噴水もあり、モロッコやマレーシア等、これまで海外作で見てきたイスラムの建て方そのものです。さすがは本国から直接監修を受けただけあります^
ご存じの通り、トルコは大の親日国ですが、なぜ寒河江市と特に縁があるかというと、姉妹都市のトルコ・ギレスン市は『サクランボの原産地』だからという事です
道の駅の玄関には、↑旅行社のプレートがズラリと並びます。
全国の名だたる旅行会社がほぼ網羅、一流温泉旅館顔負けのラインナップw
なかなかのパワーと充実度の、道の駅・チェリーランド寒河江でした^
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当地には、山形駅~寒河江市を繋ぐローカル線、左沢(あてらざわ)線という難しい読みの線が走っています
慈恩寺の最寄駅、↑羽前高松駅です
(※但し、同駅から慈恩寺まで徒歩約30分かかるそうです)
左沢線もいろいろとネタ豊富なんですが、又改めて鉄道作で訪れたいと思います
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昨今、地方へ行くと立派な市町境標識が多いですが、ここのは極めてシンプルw
しかも、横に立つ工事の案内のほうが目立っています^
Wo号、山形市街へ入りました
↑JR山形駅の裏まで辿り着きました
日没近いですが、まだ明るいのでもう1ヶ所廻ってみます
市内中心部、↑お濠に囲まれた緑の垣根、ここは・
山形城跡(※霞城公園)です
城跡のお濠の中に駐車場、そして公園があります
天守は現存しませんが、城跡内部はスポーツ施設中心の公園になっています
山形城跡では順次、城郭や城門等の復元をすすめているとの事。
↑は最近復元なった真新しい石垣
↑『東大手門』(※復元)
横一文字に渡してある、↑太い丸太が豪快な感じです^
門をくぐってみるとお濠に橋が架かり、市街地方面へ続いていました
橋上から見る↑お濠、けっこう深めです
そしてお濠のすぐ外には、↑JRの線路
しかしこの線路、”ただの複線”ではありません^
↑の写真をよく見ると、左と右の線路幅が少し違うのがわかります。左側の線路が山形新幹線(※軌間1435mm=標準軌)、右側が仙山線/左沢線の線路(※軌間1067mm=狭軌)です。
つまり↑は、上り下りの複線ではなく、新幹線と在来線の線路が1本づつ仲良く併走しているという、全国でも珍しい区間です^
城跡内に戻ります
↑は山形県立博物館、残念ながら閉館時間を過ぎてました
博物館の奥手に細い道があり、そこに『旧済生館 重要文化財』の看板が・
済生館といいます(※国重文)
このレトロな洋館、現地看板によれば、1878(明治11)年に山形県立病院として建てられたとの事。
オーストリアから医師を招聘し、明治初期には東北における西洋医学のメッカだったそうです。なので”済生館”という名です。
美しい建築である事から、山形県民に”三層楼”と呼ばれて長く親しまれ、1966年国重文に指定されたとの事です。
現在は『山形市郷土館』として、山形の医学歴史を中心とした展示をしています
本丸の跡だそうです。
本丸の内部は、期間と時間を決めて公開しているとの事です。
↑内堀の周囲の遊歩道に置かれている石は、元々城壁に使われていたもので、石工が記号を刻印したものを中心に置かれています。
まもなく日没、↑山形のニャンコが夜の活動にそなえ、ベンチでまどろんでいましたw
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城跡公園を出て、これから宿へ向かうんですが、その途中でレトロな建物が並ぶ一角を見つけました
寄ってみます^
沈む夕陽に照らされた↑看板には、『文翔館』と。
門の奥には、何やら立派な石造りの建物が
この偉容堂々たる洋館ですが、1916(大正5)年に建てられた旧・山形県庁です。
1975(昭和50)年までの長きに亘り現役だったとの事。その後も地域合同庁舎として使われ、1984(昭和59)年ようやくお役御免、現在は山形県郷土館として一般公開しています(※国重文)
それにしても、こんな立派な県庁舎、全国的もなかなか無いのではと思います
旧県庁の横には、もう1棟の洋館
↑は旧・山形県議会議事堂として建築された建物ですが、議事堂として使われたのは20年程で、その後は長く事務室として使われたとの事。
隣の旧県庁舎とは渡り廊下で繋がっていて、1984年に旧県庁と同時に国重文に指定されています。
なお、この2棟がある広い敷地は『県政史緑地』として開放されています
山形市中心部、夕闇が迫ってきました
折しも↑花笠まつりの装飾が施された目抜き通り
城跡や旧県庁をはじめ、豊かな緑や文化財が点在する美しい山形市内、まだまだ探せばネタは沢山ありそうな街です^
今夜は山形市で1泊、もう一日山形県を走ります
今作ここまでです!
次作・後編では、日本海まで出て、鶴岡市を訪ねます。そして、鶴岡といえば今、”アノ水族館”が話題ですが、そこも訪ねます。お楽しみに^
(※2023.2 2024.7 文一部修正)