vol.189 微笑の島 インドネシア ジャワ島旅⑤“ジャワの中京”バンドン(1) AA会議館他 | 旅ブログ Wo’s別荘

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インドネシア・ジャワ島旅シリーズ、第5回です^グッド!

 

今作はまず、前々作のボロブドゥールの回で『載せます』と書いていた、ジョグジャ北郊の火山・ムラピ山の写真を掲載しておきます^目




↑が、プナンバランから見えた、ジャワ島中部・ジョグジャカルタの北方約50キロのところにそびえるムラビ山です(※標高2911m)メラメラ

 

前2作でご覧頂いた、世界遺産の2寺院を衰退に追いやった位の強力な噴火を繰り返している活火山、ムラビ山です。

 

僕が行った頃は雨期だったため湿度が高く、この時期ジョグジャから見える日は少ないとの事らしいので、見えてラッキーでした^

 

僕が↑を撮っていると、ロロ・ジョンクラン警備の人が僕の横に来て、自身のスマホを手に撮影していた程なので^、地元の人でも撮りたい位きれいに見えていたんだと思います目

 

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では、今作の旅を始めます^しっぽフリフリ

前作は、古都・ジョグジャカルタの王宮、そして世界遺産プランバナン寺院を訪ねました。

その日の夜、ジョグジャ駅から発つところからです電車

↑ジョグジャ駅、東行(※スラバヤ方面)と、西行(※ジャカルタ方面)に、各3線づつのホームを持ちます。

これから乗るのは、スラバヤ発の西行列車、夜行急行『トゥランガ号』です電車

 

もう日本の鉄道ではほとんど味わえなくなった、夜汽車が旅立つ駅での独特の空気感が同駅に漂います星空

この後急に駅が混み始めて写真無い

 

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車中で一夜明け~

目を覚ますと、車窓いっぱいに↑“棚田”(※ライステラス)が広がっていましたクローバー

 

外国の鉄道は概して窓ガラスがあまりきれいでないので、↑の写真では伝わりませんが、すごく幻想的な光景で感動しました^キラキラ

ジャワ島の高原地帯を、縫うように走る路線でした霧

書き遅れましたが、今作でこれから訪ねる街は、ジャワ島中西部の主要都市・バンドン市ですビル

 

山がちな島国・インドネシアには棚田が各地にあり、バリ島には世界遺産指定のライステラスがあるそうです^カエル

夜が明けてくるにつれ、次第に車窓の外は起伏がなくなり、平野っぽくなってきます馬

終着駅が近くなってきた、↑トゥランガ号の車内ペンギン

この列車の終着駅は、バンドン駅です。

↑車内画面に『まもなくバンドンです』と表示、日本並みに車内アナウンスもありますひらめき電球

バンドンは、ジャカルタから南東約150kmに位置し、ジャワ島中央部の高原地にある大きな街です。ジョグジャからは、西へ約400kmになりますクリップ

ジョグジャカルタから約7時間、↑朝のバンドン駅に到着DASH!

バンドン駅には2つの駅舎、北口と南口に各々の建物があります。

地下道や跨線橋はなく、↑の通路だけが南北を結んでいます。当然ですが線路との交差部には踏切があり、列車が通る時は閉鎖になるので、乗車の際は余裕をもってホームへ行く事が必要です時計



そして、バンドン駅に降り立った日本人がアッと驚く↑の看板ひらめき電球

『バンドンへようこそ』^

なんと日本語の看板が!目

 

人口約250万、西ジャワ州都でもある同市は、首都ジャカルタ・東部のスラバヤに次ぐ、インドネシア第3の経済都市で、外国人が出張で訪れる事も多いそうです。

↑バンドン駅南口ですビル

南口には、かつて活躍していたSLが駅前に展示されています。



そして↑北口です。

駅舎は南口のほうが古いんですが、現在同駅のメインは、この北口のほうですグッド!

北口のほうがコンビニ・カフェ等店舗も多く、駐車場やタクシー乗場、観光案内所も北口にあります。



駅から早速、バンドン街ブラへ出発です^走る人

当別荘的感想として、バンドンの残念な特徴として思ったのが・

『都市規模のわりに、公共交通が極めて貧弱』という点あせる

人口250万、市域も広く、日本でいえば名古屋市にも相当する規模のバンドンですが、言葉わるく言えば、市内にまともな公共交通機関がほとんど見当たらないんです(※今作で述べていくのは、2015年時点での状況です)

 

バンドン中心部で活躍している公共交通は、↑の『自転車人力車タクシー』と~自転車

"アンコタ"と呼ばれる、ライトバンを使ったミニバスです。

↑は、市内数ヶ所にあるアンコタターミナル、というか溜り場あせる

ジャカルタと同じ社(※ダムリ社)の路線バスもあるにはありますが、路線数・本数ともに少なく、便利に使えるとは言い難いですバス

 

上記のうち、アンコタが一番市内を網羅していて、各交差点にはアンコタの溜り場(※バス停というよりこの言葉のほうが合う)があり、一応は各社共通の系統番号も振られていますが、旅行者が使いこなすのは難しいと思いますあせる

 

じゃあ外国人は、この街でどう動くのかといえば・

ビジネスマンはタクシー、観光客は旅行社のツアーバスやチャータータクシーを使うのが主ですが、そもそもバンドンには著名な観光名所が少なく、ビジネス以外での旅行者はそんなに見かけません叫び

 

前述の通り、名古屋市と同規模のバンドン、日本なら地下鉄があってもおかしくない大都市です。同国第3の経済都市の市内交通がほぼアンコタだけとはいささか寂しい限りですあせる

せめて路面電車でも整備すれば、非常に良い街になると思うんですが・汗

文句はこれ位にして、中心部はアンコタに乗らなくても充分歩いて廻れるので、街ブラします^走る人

↑は額縁や絵を売っている露店、ジャカルタの市場等でもよく見かけましたが、こういう店には必ず大統領の肖像画(※2015現在、ジョコ大統領)も売っており、同国の家庭には大統領の肖像画を掲げる習慣があると思われます。

で、僕はなぜ、名所が少ない経済都市・バンドンに立ち寄ったのか?ですが、この街にある”2つの有名博物館”を見学するのが目的の一つです目

 

↑の通りの名前、『アジア・アフリカ通り』といいます。

1つ目の博物館が、この通り沿いにあります目

”バンドン”・、そして”アジア・アフリカ”・、といえば・

 

この街で1955年、歴史的な国際会議、『第1回アジア・アフリカ会議』、通称:バンドン会議が開催されました。

その舞台になった会議場が保存されていて、博物館も併設されているとの事なので、行ってみますグッド!



↑が、その国際会議場です。

当時のまま保存され、一部が内部公開されていますビル

この会議場前の通りが、開催を記念して『アジア・アフリカ通り』に改称されたという事です。

 

では、中へ・

前作までの寺院でもでしたが、↑Woの行くところ学生団体ありw男の子

入ると早速、↑会議場演壇を模したステージあり、各国首脳の人形も並んでいます目

このアジア・アフリカ会議(※以降AA会議と略)は、1955年、第2次大戦後の国際枠組を、欧米の植民地支配から脱したアジアや中東、北アフリカの国々を中心に29か国が集まった、『世界初の非同盟諸国の国際会議』と言われています。

インドネシア初代大統領、↑スカルノの写真カメラ

AA会議はスカルノのほか、インド首相のネルー、中国首相の周恩来、エジプト大統領のナセル(※いずれも当時)ら、歴史の教科書に出てくるような錚々たるメンバーが出席。

 

これら首脳がこの会議に集い、これまでの欧米主導ではない、非同盟・途上国が主導する国際社会を標榜し、熱のこもった議論や演説が展開されました。

現在に続く、様々なアジアやアフリカ諸国での国際的枠組の源流にもなった会議だとも言われています星

この会議には、日本からも出席していました。

↑写真が、当地へ派遣された日本国代表・高碕達之介ナゾの人

ここの展示には、実に興味深い内容が書かれていました(※日本語パンフあり)

 

他の国はほとんど、上記のような首脳級が出席したのに対し、日本は審議官や次官級で構成する、10数人の代表団を派遣しました。

 

日本も”アジアの一員”として招待されたんですが、一方で日本は、このインドネシア等、アジアの国々を"占領した側"です。1955年といえば終戦後まだ10年、日本政府としては参加に勿論躊躇もあり、首脳の参加は見合わせ、”吊し上げも覚悟”で臨みました。

 

しかし行ってみれば各国から、意外にもアッと驚くような”歓迎”を受けたというんですひらめき電球

 

それは『日本があの大戦でアジアに進出しなかったら、いつまでも欧米列強の植民地支配が続いていただけだろう』という諸国の考えがあったそうです。日本にとって何と有難い考え方だと思うんですが、AA会議での日本支持の流れが、この翌年(※1956)日本が国連復帰を果たすパワーのひとつだったとも言われているそうです虹



会議の合間に首脳らが座って”オフレコ”の話をしていた↑応接セットです。歴史の節目に立ち会った貴重な品々が展示されていました。

↑開催当時の会議場前の写真カメラ

日の丸も翻っていますが、この4年前にサンフランシスコ条約で独立を回復したばかりの日本、まだ国連にも入れてもらえてなかった日本が、国際社会に復帰する先駆けとなった会議でもありました。

当時、AA会議の模様が報道された↑各国の新聞も展示本

これを見ていると現地の見学客の人から「日本人か?」と声をかけられました。日本人の見学者は滅多に来ないそうですあせる

ホント興味深い場所でした。まさに”戦後の歴史が動き出した地”、バンドンですベル

AA会議では10項目の『バンドン宣言』が採択され、”平和10原則”とも言われる世界平和への約束が交わされました。

↑各国語に訳された文言(※日本語も)を読んでみると、現在も通用する、数々の大事な事項が書かれていましたメモ

 

例えば、『国連憲章・基本的人権を尊重』や『人類の平等・大小すべての国の平等』等の原則に加え、『単独または集団的な自国防衛権を尊重』や『集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない』等、今まさに我が国の国会で熱く議論されている事柄もあり、文言が全然色褪せていない事に驚きました。

こういうテーマは、国際社会には永遠の論点なのかなぁって思います波

ヒトラーの恐怖政治を経て、徹底した反省の上に立ち直ったドイツ、そして原爆を落とさた末、焼け跡から再スタートした日本を取り上げたパネルも。

先の大戦で敗戦国となった日独、現在は共に世界の主要国として見事復活していますが、バンドン会議の原点は忘れてはいけないと思います。

展示棟の隣にある↑本会議場、公開している時もあるとの事ですが、残念ながらこの日は閉鎖されていました汗

 

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意義深いAA会議場見学でした。

再び喧騒の街中へ~走る人

↑バンドンの街中でよく見かけた“強制(?)ギター流し”ギター

信号待ちの車に近づき、ギターの弾き語りを聴かせながらチップをせがむ、という生業ですカラオケ

(※そんなにしつこく無く、チップをもらえないとなるとサッと次の車へ移動)



そんな中心部から南へ3km程、少し落ち着いた街並みになってきますクローバー

ここにバンドン随一の、有名な博物館があります家

2館目はここです。

『西ジャワ博物館』です。

ジャワ島西部、バンドンを中心に栄えた“スンダ文化”を中心に展示しています家

入館します男の子

↑の地図、かつて大陸と陸続きだった頃(※氷河期以前)のインドネシア付近の地勢図です。↑フィリピンまで陸続きだった様子がわかります。

 

現在のインドネシア、西はスマトラ島から東はチモール島に至るまで、列をなす無数の島々で成っています。『スンダ列島』とも呼ばれますが、このジャワ島には"ジャワ人"と"スンダ人"がいて、民族的には別になるんだそうですひらめき電球

展示室をすすむと~

次は、↑動植物の生態(※過去~現在まで)を解説してくれていますクマ黄色い花

↑”スンダ文字”を刻んだ石板 目

マレーシアと同じく、現在はアルファベットを使用している同国ですが、かつては独自の文字を持っていました。

地勢や動植物の展示の次にあるのが、↑メインの展示室カメ

この室には主に、ヒンズー文化時代の出土物があります。


日本でいえば国宝・重文級と思われる文物が、惜しげもなくズラリと並ぶ展示は圧巻でした星

国立博物館並みの貴重さといえますが、この博物館『西ジャワ州立』ですひらめき電球

↑西ジャワ州内で出土した“シヴァ神像”だそうですキラキラ

↑この室内には、世界最古の人類の一つである“ジャワ原人”についても解説メモ

↑出土した石棺や住居の復元セットも。

ホント、盛り沢山な博物館です。

まさに”名博物館、バンドンにあり”と言いたくなる程ですグッド!

”盛り沢山”な展示はまだまだ続きます。

2階もあります右上矢印

2階には、主にイスラム化以降、現代にいたる民俗等を展示していました。↑は古いコーラン(※謹写)




中世~現代までのスンダの生活、産業、祭祀等、あらゆる文物を蒐集してきていますベル


前作のジョグジャの王宮でもありましたが、近世の王侯貴族の生活についても展示王冠2



しかしよくこれだけ、『いい意味での総花的』に蒐集したなぁと感心します目

ようやく出口ですw

堪能しました。こんな満腹感ある博物館は世界探してもそんなにありません^グッド!



決して巨大な建物ではないんですが、これだけ総合的・意欲的な展示をしている博物館はなかなか無いと思います^チョキ

あとにしますヒツジ

博物館前の交差点、↑バイクの大群^と、自転車人力車タクシー『ペチャ』が行き交います自転車

あと、市内交通としては、東南アジア各国と同様、バイクタクシー(※同国では”オジェッ”)がありますDASH!

しかし、バンドンで一番メインの交通手段は、繰り返しですが↑ミニバスの『アンコタ』あせる

 

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博物館を出て、古い街並を見ながら街ブラしていると、↑雲行きが怪しくなってきましたくもり

滞在中毎日判で押したように、午前中は晴れ、午後になるとスコールが降るというパターンです。雨期のジャワ島ですあせる

中心部まで戻りかけた頃、これまでの滞在中で一番激しいスコールが降ってきました雨

まさに『バケツをひっくり返した雨』とはこの事叫び

↑の写真は沿道の軒先で、雨宿りさせてもらいながら撮ったものですカメラ

1時間ほどして雨があがると、↑道は川になっていました(汗笑)

時既に夕刻、バンドン中心部ほとんど↑の状態のため、街ブラどころではなく、この日は早めに宿へ入りますwみずがめ座

 

今作はここまでです!

次作は、バンドン2日目の様子をご覧頂きます。

今作とは趣きガラッと変わり、郊外へ足を延ばし、”ジャワ島ならではの自然と産業”を探訪します。お楽しみに^コーヒー

 

 

 

 

 

 

(※2023.2 2024.6 文一部修正)