vol.184 東海道53次ブラ⑧ 太平洋側の“親不知” 峠道に実るミカン 由比宿 | 旅ブログ Wo’s別荘

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  本年も、口開け1作目は恒例・“東海道53次シリーズ”から始めます。回を重ねて第8回になりました^グッド!

 

当別荘の原点、"足でネタを見つけよう"という東海道シリーズですが、今回は静岡・由比宿にしました。

ではスタートです男の子

東海道本線・由比駅で降ります電車

静岡市の東郊、由比宿を訪ねてみたいと思います^

(※長年由比は庵原郡由比町でしたが、2008年静岡市へ合併)

↑客待ちタクシーが並ぶ早朝の由比駅、コンクリ平屋建ての地味な駅舎ですヒヨコ

由比といえば名産は、ご存じ・目の前の太平洋で獲れる『桜えび』

駅前の旧東海道、↑由比桜えび通りと名付けられていますさそり座

↑案内地図を見ながら、どこから歩きだそうか見てみると・目

↑一番大きな文字で書かれていたのが、西に約3kmのところにある『薩堆(さった)峠』

富士を望む絶景との事なので、行ってみますグッド!

本陣跡等がある由比宿の中心部は駅から東側になるんですが、まずはその反対、薩堆峠がある駅の西側へ走る人

駅前から西へすぐ、旧東海道は登り坂になり、線路と海が眼下になって見えてきます目


歩き出して目についたのが、峠への案内標識/看板が多い事目

まるで僕の標識好きを知ってるかのようにw、いろんなタイプの標識が次々に現れます^グッド!

駅から峠まで、徒歩約1時間弱かかりますあせる

途中、↑県道とクロスする辻で後ろを振り返ると~

富士山がチラッと見えてきます富士山

(※この後、峠道を登るにつれ富士山はもっとよく見えます)

往時を偲ばせる、古い家並が立ち並ぶ界隈も残っていました家

家並が途切れると、ミカン山の裾を登り坂となります右上矢印

山からミカンを運び下ろす↑農業用モノレールがあちこちに設置されていますオレンジ

再び集落に入ります。

この集落を抜けると、薩堆峠まで住宅はありません。

この集落に、↑往時から残る一軒の店があります。

↑”間(あい)の宿 藤屋”さん家

料理屋兼茶店だったとの事ですが、ここからも富士山の眺望が良いことから『望嶽亭』、又、峠の入口にある事から『坂口屋』との一名もありますお茶

 

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既に、駅から30分以上歩いていますあせる

家並は途切れ、峠道らしくなってきました。

道のすぐ横まで、↑ミカンが実っているところもオレンジ

振り返れば、↑青空に富士山が映えて、爽やかな風景^富士山

かつて、広重が描いた浮世絵そのものの光景ですキラキラ

あと少しですあせる

崖路のはるか下には、JR線と東名高速が海にへばり付くように走っています波

この薩堆峠、かつては東海道の親不知を言われた程の難所でした。江戸期に東海道が整備される以前はこの峠に道は無く、引き潮を見計らって海岸を駆け抜けるしか通行方法が無かったとの事です叫び

 

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峠の頂上近し!


由比駅出発して約1時間、↑薩堆峠最高地点に到着しました星

静岡市が設置した標識の横に、↑昔からの石の道標も建っていました。”さった”と刻まれた文字がなんとか解ります。

峠の駐車場まで行って、折り返すことにしますリサイクル

↑峠からすぐに、乗用車約10台置ける駐車場があるんですが、先程までご覧の通り、車でここに来るには道が狭すぎて大変叫び

バイクか徒歩で、途中も楽しみながら登るほうがいいと思いますとかげ

駐車場のトイレ、天井の角に↑の石板がはめ込んでありました富士山

さりげなく凝ってますwおひなさま



駅へ戻りますカメ

当別荘名物の”坂登り”、近作では”行きは下り、帰りは登り”が多かったんですが、今回は帰りが下りなのでラクですw

帰りは東へ向いて歩くので、振り返らなくても↑富士山が否応なく、目の前に現れます^富士山

広重もこの絶景を見て、由比の絵はここにしようと決めたんでしょうか?^アート

↑崖下を覗くと~

凄い高低差です。まさに”東海道の親不知”というのは過言でないですあせる

峠道の所々に、↑落石注意の標識注意

図柄が東海道っぽくってgoodですが、現在でも地すべり危険地帯にも指定されており、昔も今も天下の険です叫び

そのため、直下を通る東海道線は度々、落石や土砂崩れの被害をうけており、昨年(2014)夏にも、1週間程不通となりました電車

峠道の崖側には、Wo的に注目の↑石柱目

『工』と刻まれた、鉄道用地界を示すもので、この崖上までJRの用地という事のようですクリップ

 

明治初年、開業当時の鉄道は『工部省』という役所の管轄だったので使われていた用地境界標で、レールを切ったような形が簡単でわかりやすいため、鉄道省~国鉄~JRと変遷を重ねた現在でも使われている伝統の印です^わんわん

(※目下JRのものへ取替がすすんでいて、次第に消えつつあります)

↑東海道線と国道1号が海岸を所せましと走り、東名高速が海にはみ出して造ってあるのも、北陸道の親不知付近とよく似ています。

なお、新幹線はここより内陸をトンネルで貫いているため、ここからは見えません新幹線

 

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ミカン山のすぐ近くに、無人販売所がありました。

1袋買っていきますwオレンジ

これまでも数々の過去作で当別荘を飾ってきた富士山ですが、ホントいつ、どこから見ても美しいです。流石は日本を代表する山です富士山

久々に、↑こんな光景を見かけました目

使われてるのかどうかわからない、絡まって訳が分からなくなってる電線w長音記号1

僕が子供の頃は街中で時々目にしましたが、今時珍しい^

一旦、由比駅前まで戻ってきましたかたつむり.

 

駅前を通り抜け、次は薩堆峠の逆側、本陣跡等がある東へむけて歩きます走る人

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桜えび店にはためく、↑宅配便の幟も由比仕様、”桜えび”の文字入り^さそり座

駅からすぐ、↑由比漁港の標識を発見ひらめき電球

桜えびが水揚げされてるのはどんな港なのか、寄ってみますしっぽフリフリ

旧東海道とほぼ並行している、↑JRのアンダーをくぐって海側へ行くと~右下矢印

すぐ港ですうお座

ズラリと漁船が並んでいます船

”由比の桜えび”、港にあった沿革看板によると、漁が始まったのは明治期からとの事で、一般の漁に出ていた漁船がたまたま網に大量の桜えびがかかったのが、桜えび漁を始めるきっかけだったという事です波

 

その後港の整備は時代とともに進み、東名高速が港の外に盛土して開通し、港が現在の形になったのは1968(昭和43)年との事です。

↑漁港に掲示してあった、港周辺のマップ目

桜えび店の一覧表が併記されていますが、この図によれば、由比にはなんと42軒もあるとの事(※魚屋等と兼営の店含む、2015現在)

『日本一・桜えびの街』に偽りなしです^さそり座

再び旧東海道へ戻り、本陣に向かって歩くと~

(※駅から本陣跡まで、寄り道せず歩けば15~20分位です)

“豊積神社”の石柱を見つけましたチューリップオレンジ

由比では最もメインの神社らしいので、寄ってみます。

旧東海道から山側へすぐ、↑パックリと見事な二股に分かれる道、その付け根に↑鳥居があります。

その鳥居の正面に立つと、↑等間隔で同じ形の鳥居がもう2本立っていて、小さい境内ながら奥行感がありますキラキラ

境内でひときわ存在感のあった、↑大イチョウの太い幹(※天然記念物)

冬という事で、葉も落ち枯木となってましたが、もし雌株なら落ちてくるギンナンが凄い量と思われます^さくらんぼ

珍しいと思ったのが↑『神木指定証』

数々の神社で御神木を見てきた当別荘ですが、証明書付は初ですwサーチ



東海道へ戻ります。

由比宿中心部が近づいてきました馬

↑の橋を渡ると、本陣跡がある宿場の中心部です。

電柱が無くなり、美しい塀が延びる旧東海道グッド!

↑塀の前には、馬に水を飲ませた側溝も残っています馬

由比本陣公園(※本陣跡)に着きましたグッド!

門から中へ入ってみると・

本陣跡、↑現在は空地で、公園となっていますクローバー

 

この由比本陣は代々、由比家が当主を受け継ぎ(※現在もつづく名家だそうです)、1989(平成元)年、合併前の旧由比町が当主より敷地の譲渡をうけ、公園として一般公開したものだそうですメモ

公園の奥には、↑東海道広重美術館があり、本物の広重作品を現地で味わうことも出来ますアート

見学してきましたが、残念ながら展示室内は撮影禁止カメラ

↑はロビーに掲げられていた、”東海道五十三次・由比”のレプリカです^



そして、↑本陣跡の東側には『由比宿交流館』があります。

休憩コーナーや軽食堂、地元の産品展示等があり、街おこしのセンターとなっています^コーヒー

由比へ東海道探訪に来た人は、駅からここまで来て折り返し、帰り道で桜えびを買うのが標準パターンでしょうか^さそり座

先程寄り道してきた豊積神社の、↑『お太鼓祭り』の写真が展示してありました。写真の中はなかなかの盛り上がりです^

(※毎年正月三が日に行われます)鏡餅

↑由比の特産展示ですプレゼント

『いなばのシーチキン』『ほていの焼き鳥』等、由比には全国ブランドのメーカー本拠地がいくつかありますクリップ



青空の由比宿を、折返し駅へ戻りますリサイクル

戻る途中も、いくつか沿道の建物を見ていきますコスモス

本陣の塀の前に、3軒程気になる建物があったのでご覧下さい目

まず1軒目、↑のれんの掛かるお店、『正雪紺屋』

当地で400年以上続く染物屋さんで、幕末に江戸幕府を転覆しようと(※いわばクーデターを)企てた、由比正雪の生家だとの事です(※諸説あり)



2軒目、↑『饂飩屋』という名の建物、ここは当時、本陣周辺の建物が交代で脇本陣(※本陣のバックアップ)を務めたうちの一軒だとの事です。残念ながら内部見学不可でした。

↑そして3軒目、これも塀のむこうで全景がよくわからないんですが、明治時代に郵便局として使われた建物だという事ですポスト

建物前の看板によると、江戸時代の飛脚便からの流れをくむこの家の当主が、1906(明治39)年に洋館風の郵便局舎を新築したとの事。塀の上に、↑白亜の洋館風の建物がチラッと見えるがわかるでしょうかヒツジ

残念ながら現在は住宅として使われているため、ここも残念ながら非公開でしたかお

駅へ戻る途中、↑樋を登るサンタさん発見wサンタ


歴史ありそうな、↑銀行の建物を見つけました。

小さいですが、重厚な雰囲気を醸していますしし座

この洋館、清水銀行由比支店・本町特別出張所です(※国有形文化財)ビル

2015現在も、現役で営業していますリボン

店頭の案内看板によると、1925(大正14)年に庚子銀行本店として新築、その後駿州銀行→清水銀行と変遷し、現在に至るとの事。

 

話少々横道になりますが、静岡県は堅実な県民性を反映して"銀行王国"とも言われ、お堅い経営姿勢で”シブ銀”^とも言われる静岡銀行、ネットバンクで全国区になったスルガ銀行、そしてこの清水銀行と、地方県では珍しく1県に3行も地銀があります。しかも昨今の情勢でも、合併の気配もありません(※2015現在)¥

 

昨今全国で銀行の合併が進み、破綻する地銀もある中、3行とも金融界再編どこ吹く風と3行とも好調に経営を続けている、手堅い静岡県です^銀行

 

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由比駅に戻ってきましたリサイクル

ホームからも見える、白亜に輝く富士の頂(※↑写真上中央)富士山

電車到着電車

今年も冬の東海道を楽しませてもらいました虹

電車は西へ、冒頭登った薩堆峠の下を、軽やかに駆けていきます電車

かつては『東海道の親不知』とまで言われた難所だった由比、桜えびだけでない、いろんな歴史を秘めた静かな街でした波

 

 

 

 

 

 

(※2023.2 2024.6 文一部修正)