マレー旅シリーズ第6回、最終回です
前作ではKLを高速バスで発ち、マラッカへ着いたところまででした。
マレーシアには、街まるごと世界遺産に指定されている都市が2014現在、2ヵ所あります。
1つはシリーズ初回でご覧頂いたペナン島・ジョージタウン、そしてもう1ヶ所は、これから今作で訪ねるマレーシア発祥の地・マラッカです
前作ラストの場面、↑マラッカの中心・オランダ広場です
これからマラッカの街を歩いていきます
この街、世界遺産という事でとにかく名所だらけなんですが^、オランダ広場の前でまず目に留まるのが、↑マラッカ(※マレー語読みでムラカ)キリスト教会です。
14世紀に建国されたマラッカ王国に端を発し、マラッカ海峡という世界的にみても軍事・経済の両面での要衝を擁する当地ですが、その後のポルトガル統治やオランダ統治時代の中で、このマラッカからマレー全体へ様々な影響を与え続けてきました。
マレーシア連邦が建国され、KLが首都となる以前は、マラッカがマレー半島の中心都市でありました。マレーシアの古都、日本でいえば“京都”に相当する街です。
↑のムラカ教会、1753年(※オランダ統治時代)建造だそうです。
今シリーズ中、ペナン島やKLの回で訪ねた歴史的建物はほとんどが19世紀頃に建てられているのに対し、マラッカでこれから訪ねる各建築は、↑の教会もですが16~18世紀築のものがバンバン出てきます。
歴史の厚みが、マレーの他都市と格段に違うんです
2007年のモロッコシリーズ(vol.14~21)で訪ねたマラケシュを思い出させるような、レンガ色の街
オランダ広場から見て道路と反対側にある洋館、↑マラッカの中でもピカイチに古い建物、スタダイスです(※1650年築)
スタダイスとは"市庁舎"という意だそうで、オランダ統治時代ここか総督の公邸兼行政庁舎として1824年まで使われていたとの事です。
内部は普段、マラッカの歴史博物館として公開されているらしいんですが、行った時は↑工事用ブロックに囲まれ工事中、残念ながら内部見学できませんでした
まぁ残念でしたが、他にもマラッカは日帰りでは足りないほど見所満載なので、オランダ広場を離れて街ブラ(※マレーなのでジャランジャラン)していきます
スタダイスの裏手にある、小高い丘を登っていくと~
丘の頂上には、廃墟となったキリスト教会がありました。
セント・ポール教会です(※伝1521年築)
オランダ統治よりも前、ポルトガル統治時代に建てられたカトリック教会で、その後のオランダ時代~イギリス統治時代、プロテスタントや英正教の台頭の中で荒廃していきました。
↑正面に立つ石像は、日本でもおなじみのフランシスコ・ザビエルです。ザビエルはここも拠点の一つとし、はるばる日本まで布教に来たとの事です
長い年月の荒廃を経て、屋根も既になく、内部はがらんどうです。
壁面には、↑びっしりと文字や図柄が彫られた大きな石版がいくつも立てかけられています。何が書かれているのかわからないのが残念
↑ドクロが刻まれている石版も
朽ち果て、煉瓦に囲まれた廃墟となっている旧教会。
その独特の、幻想的な雰囲気が現地の人にも人気なのか、新婚さんの記念撮影場所としても人気との事
ここマラッカ、KLよりさらに暑く(※2月のこの日で30℃以上)、↑ネコも木陰でのびてましたw
セントポール教会の丘から、登ってきたオランダ広場側と反対側に降りてみます
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先程の丘の上の教会と同じく、石造りの廃墟が待ち構えていました。
↑は『サンチャゴ砦』といい、1511年にポルトガルがこの地に進出してきた時に築かれた、軍事上の拠点との事です
先程のセントポール教会同様、観光客のみならず地元の人の撮影スポットにもなっています
↑砦の内部です。
ギターの弾き語りをしていました。音の響きがいい感じ^
サンチャゴ砦の前の広場から、↑東側へと伸びるのが、パラメスワラ通りです。
↑大砲の左上に洋館風の建物がみえてますが、次はそこへ行きます^
『独立宣言記念館』です。
現在のマレーシア連邦の前身、マラヤ連邦の独立が宣言された地はKLではなく、ここマラッカでした。
マラッカは中世の歴史だけでなく、ごく近年までマレーの歴史にとって重要な拠点だったんです。
では館内を見てみます
展示は、世界海運の要衝、マラッカ海峡をめぐるせめぎ合いが激しかった中世大航海時代から始まります
先程来前述のように、ポルトガル・オランダ・イギリスの順に、次々欧州列強支配をうけた苦難の歴史を、史料のみならず模型等も使って再現。無料ですが見応えありました^
ペナン島の博物館にもありましたが、日本占領時代の展示がここにもあります。
親日国マレーシアですが、歴史の事実を忘れることは無いという事です。
この資料館で一番力を入れているのは、1957年のマレーシア独立前後の資料
↑は、独立宣言会場で使われたテーブルです。
大変貴重なもので、一応ロープで囲ってますが実質触り放題にかっていて、見学に来てた現地の高校生がベタベタ触りまくってました
↑旗で囲まれた壁ですが、マレーシアの各州を紹介するコーナーです。
連邦の国旗よりも、各州の旗が目立つように展示されています。
というのも、この国は”連邦”の名が示す通り、13州ある各州が強い権限を今でも持っていて、なかでもボルネオ島の2州(※サラワク・サバ)は国内移動でもパスポートがいる程の独立性があります。
また、13州のうち9州には現在でもスルタン(※国王)がいて、その国王の中から5年おきに輪番制で連邦の国王が選ばれているという、世界でも類のない『輪番君主制』の国なんです
しかし実際の政治は首相がリードする政府が行っているため、日本と同じ立憲君主制の民主国です。
前述の通りここマラッカ州は、1400年創建のマラッカ王国に端を発し、マレーシア連邦中で随一の歴史を誇っています
そして展示ラストは、歴代首相がすすめてきた国家建設の成果をアピールするコーナーで終わっています。↑はご存じ、マレーシアの今日ある姿を導いてきた、マハティール元首相です
マレーの観光地には必ずいるトライショー(※自転車タクシー)ですが、マラッカでは、超ど派手な絵が車体に描かれています
世界的な観光地でよく見かける、↑ハード☆ックカフェも
↑旧市街をつらぬくマラッカ川
マラッカの市街西岸の海、マラッカ海峡(※インド洋側)へ注いでいます。
河口近くにある港からは、対岸にあるインドネシア・スマトラ島のドゥマイまで、日1便国際フェリーが出ています
オランダ広場からみてマラッカ川の対岸はチャイナタウン、次はここを歩きます
マラッカに来たら訪問マストなのがここ、↑チャイナタウンのジョンカー・ストリートです
交易で栄えた華人たちの屋敷(※築100年以上ザラ)が並び、現在は観光客相手のお店や食堂として営業しています
お店が少し途切れたところに、チャイナタウンというよりインド風の、↑色鮮やかな建物が・
チャイナタウンとはいいながら、狭いマラッカの旧市街にはアラブ系やヒンディー系等各民族が混住しています。
↑はマレーシア最古のヒンズー寺院といわれる『スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院』です。
そして、ヒンズー寺院から歩いて5分もかからない所に、白亜の壁と尖塔をもつイスラムのモスクが
カンポン・クリン・モスクといい、礼拝堂は対岸のスマトラ様式。尖塔は↑ご覧のように仏塔の様式を採り入れて建てられた、まさに東西文化融合のマレーシアを象徴するようなモスクです。
これは素晴らしかったです
入口からチラッとなら内部を垣間見る事が出来ます。
KLやペナンでこれまで見てきたモスクよりは少し小ぶりですが、荘厳さと親しみやすさが合わさったようなマラッカのモスクです。一見の価値あります。
マラッカ、そしてマレーシア、ここまで多民族国家を比較的安全に実感できる国って、世界にもそう多くないと思います
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さらにチャイナタウンの奥へすすむと~
今度は中国寺院が
これまでご覧の通り、マラッカの旧市街は、歩いて10分の範囲内で、仏教/ヒンズー/イスラム/キリスト教という世界4大宗教の礼拝堂を全て
↑は青雲亭寺院。1646年、中国大陸から資材を運び込んで建設されたと伝えられています。往時からの華僑の経済力に感嘆します
この時代のマレーでは、"政治は欧州人・経済は華人"という棲み分けが出来ていた事が窺えます
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場面変わって・
前作でKLからの高速バスで着いたマラッカセントラルBTも、新市街のはずれにあります
マラッカは世界遺産の古都ですが、一方では2014現在、人口50万を擁する州都でもあります。
今も繁栄を続ける古都、まさに京都と同じです^
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ペナン島~KL~マラッカと歩いてきたマレーシア旅、いよいよおわりに近づきました。
シリーズラストに、↓へ訪ねておわりたいと思います。
新市街のはずれにある、↑元々マレー半島の住人であるマレー人が暮らしておられる『カンボン・モルテン』という、”マレー村”とも呼ばれる一角を訪ねます。
その中に一軒、現在も住人が居住中の民家を一般公開している、↑"ビラ・セントサ"という私立博物館(※というかホントに民家)があります。おじゃまします。
↑玄関を入ると、土間(※↑女性観光客が立っている所)があり、その両側にお部屋があります。
観光客の女性の右横に座っているのが、現在この家をひとりで守るおばあさん(※多分80歳代位)で、ゆっくりした英語で丁寧に案内してくれます
ある程度展示用にディスプレイされている部屋と、↑まさに生活感もあるおばあさんの居住スペースの部屋が混然となっている宅内ですが、どの部屋も見学可能でした^
おばあさんが、マレー人の生活習慣やご主人の生前の想い出なども交えて説明して下さり、大変興味深いひとときでした。なお入場料は不要と謳ってますが、いくばくかの寄付を求められます。
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セントラルバスターミナルに戻る時間がきました。新市街にも↑チャイナタウンが散在しています
後ろ髪ひかれながら、↑KL行きの高速バスで帰途へ
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TBSバスターミナル到着後、帰国便に乗るため空港鉄道で直接、空港へ向かいます。
帰国便も、往路と同じく上海経由です
↑KLIA(※クアラルンプール国際空港)についてはシリーズ初回で書いたので今作では控えますが、24時間運用、お隣シンガポールのチャンギ空港に負けじと頑張ってるようです。
ロビーに、↑就航会社機の模型がズラリ飾ってあるのが楽しい
KLを未明に出発、上海で乗継ぎ、夜の成田空港へ帰国しました
(↑の写真は上海到着時です)
>2014冬海外・マレーシア旅が終わりました
今回は実質4日間の短い日程でしたが、治安も良く食べ物も美味しく、終始気持ちよく過ごせました
そして何より素晴らしかったのが、ペナン/KL/マラッカの各都市いずれでも感じた、”多民族・多宗教の見事な融合”、これはホント素晴らしい国だと思いました
又、目を見張ったのが、僕が想像していた以上だった同国の発展ぶり。
一例として、東南アジアの地方都市の路線バスってドアが開いたまま走っているような車も珍しくない(2014当時)んですが、本シリーズご覧のようにペナンもマラッカもピカピカの新車が走り、そしてTBSバスターミナルの威容にも目を見張りました
首都でなく、地方のインフラ整備を見ればその国の国力がわかると言われますが(※首都はその国の”ショーウィンドウ”なので、首都の立派さは必ずしもその国全体の姿ではない)、経済成長が国中に行きわたり始めているマレーシア、順調な国づくりをすすめているなぁと僕は感じました
しかし、マレーシア発展の陰には、多民族を融合させて国を治める苦難と苦心の歴史もあった事も忘れてはならないと思います。
例えば、先住民族マレー人と華人の間では、1969年に経済力の格差を原因とする騒乱が発生。それを機に"プミプトラ政策"という、マレー人を進学や公務員採用・融資など様々なマレー人優遇政策を行ったりして格差是正をしましたが、今度はそれが新たな華人の不満を招くという悪循環も招き、舵取りが大変難しい国でもあります
とはいえ、イスラムとキリストがこれだけ仲良く共存している国は世界でも稀有な例と思います。その上仏教寺院やヒンズー教寺院を持つ『華人社会』『インド人社会』も同国の重要な一面。しかも国教がイスラム教だというんですからホント凄い国です。
日本人には似たようにも見えるASEAN諸国ですが、近隣のタイやミャンマー等とは、基本的なものが確実に違うような気がしました。むしろ言語圏が同じ、インドネシアに近いものがあるのかもです。
今年の冬海外も、新たな発見連続のうちに楽しく帰ってくる事が出来ました(感謝)
マレーシアシリーズ全6回おわります、長い間ご覧頂き有難うございました^
(※2023.1 2024.6 文一部修正)