vol.151 「た」現る・第14の巻 横浜・氷川丸 & 池袋・江戸川乱歩邸に現る | 旅ブログ Wo’s別荘

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 久々にアノ男が登場、当別荘異色企画・「た」シリーズですガーン

 

今作は、各々違う日に訪ねた2ヶ所の、前後半2部構成です。相変わらずの支離滅裂な街ブラを繰り広げる「た」、第14巻スタートですあせる

 

前半、横浜からです波
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現れました!

JR根岸(京浜東北)線・関内駅、隣の桜木町と並び、横浜きっての繁華街最寄駅ですビル
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「た」は早速、繁華街の伊勢佐木町とは反対の方向、海に向かって歩き出しました。僕は「た」企画の時は彼の金魚のフンですw

いずこへ・走る人
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横浜港・みなとみらい地区の端っこ、赤レンガ倉庫までやってきました、この日は「た」の普段の行いが悪いため、あいにくの雨雨
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かつて日本最初の鉄道が走り、↑近年まで貨物線として使われていた鉄橋、レール橋面に残した遊歩道になっています。日本鉄道発祥の地・桜木町駅方面へ続いています電車
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みなとみらいから、山下公園へ向かう↑「た」カメ
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そぼ降る雨の中、色鮮やかに咲く花と全然マッチしてない「た」w

それはともかくとして、↑花壇のむこうに、目的”船”がみえてきました目

これから見学するのは、埠頭に係留状態で保存されている、氷川丸です船
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・と、その時急に便意を催し、トイレを探して公園内を右往左往する「た」w

どうせこの後すぐ船内見学するんだから、船で行ったらいいのに・おひなさま
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山下公園で撮影している「た」

↑右に小さくマリンタワーも見えています東京タワー
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↑氷川丸の横までやってきました。

すぐ近くで見るとホント、細長くて優美な船体ですキラキラ
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氷川丸、1930(昭和5)年建造、太平洋横断航路に就航した豪華客船でしたが、戦前~戦中~戦後の歴史に翻弄されつつ航海していた、いわば歴史の生き証人(証船?)でもあります。

これから「た」と、内部をじっくり見学していきます目
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エントランスには、↑しっかり売店もありますw

この横に入場券売場があり、ここから船内へ入りますあし
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「た」にはあまり構わずにw、僕も船内をじっくり楽しみたいと思います^グッド!
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一歩船内に足を踏み入れると、最初にあるのは↑”ロビー”

ここで氷川丸の概要等の映像を見た後、船内を廻るようになっていますリサイクル
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「た」は映像視聴もそこそこに、早速船内を廻りはじめました走る人

客室につづく、↑狭い廊下をすすんで行くと・
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順路のはじめにあったのが、↑一等客用の食堂ナイフとフォーク
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客室以外でも、食堂や各種サービスも等級によってキッチリ分けられていました。

ちょっと古びた感もありましたが、当時の贅を尽くした豪華な雰囲気は充分伝わってきましたキラキラ
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食卓に座り、↑マッタリした表情の「た」ネコ
Wo’s別荘-一等社交室
食堂の隣にあったのは、↑『社交室』

船員さん達が食後の談笑をここでしてたんでしょうか、僕のような庶民はついつい"食堂でそのまま談笑すればいいのでは"と思ってしまいますが(汗)あせる
Wo’s別荘-一等喫煙室
さらには、↑喫煙室も別にあります注意

これまで見てきた各室は、全部一等客専用です。

戦前にこんな船で旅行できた人は"セレブ"だったんでしょう宝石ブルー
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上下のデッキを結ぶ↑な階段の形、現在フェリーのエントランス等に採り入れられている原形です船
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廊下には、↑氷川丸の歴史を語る数々の品物が展示されています。
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船員さんや乗客の生活の様子もいろいろ紹介してたんですが、僕がある意味溜息が出たのが、↑『一等船客の一日』

朝のコーヒーから夜食まで、飲食やおやつの時間が一日7回!中でも昼食直前の午前11時に"スープの時間"もナイフとフォーク

 

そして昼食のあとは2時間の昼寝、そのあと3時間半カードゲーム、夕食に1時間半かけたあと、夜はダンパ・お月見

この悠久の時の流れ、毎日時間に追われる我々現代人には、憧れの別世界ですにひひ
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↑次は、内部を見られる客室がありますドア
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↑は一等客室、調度の豪華さは勿論、応接椅子や洗面台も設置されていました。
Wo’s別荘-特別室 専用のバストイレと応接セットあり
さらにもっと豪華な、↑特別室(※スイートルーム)キラキラ
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船内には往時の案内板も残っていて、戦前の海外渡航(船旅)ってどんな旅だったのかと、いろんな想像をかき立ててくれます^
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ここで順路は一旦、↑外のデッキに出ますヒツジ

氷川丸から見る山下公園もgoodな景色黄色い花
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↑の上には氷川丸の頭脳、船長室と操舵室があるとの事。

昇ってみます右上矢印
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↑最上部デッキ、煙突がすぐ近くです^

ここに操舵室があります。
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当時の機器がそのまま置かれ、触れて体感もできますチョキ
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↑いわゆる”図柄通り”の舵、ちゃんと回ります^
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ふつう船のこういう業務用機器って英語表記だと思うんですが、↑"面舵/取舵"と漢字で書かれているのが目に留まりましたひらめき電球
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操舵室から海を眺めると、これから出航してゆっくり動き出しそうな錯覚に陥りますベル
Wo’s別荘-船長室入口
次は、↑のドアから、船長室へ^

 

ちなみに先程から「た」が全然写ってませんが、この辺りは「た」がサッサと先に歩いてしまっていました(※この後合流します)

でもその分邪魔無しで見学できて良かったですがwニコニコ
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↑は船長室王冠1

仮眠用のベッドや打ち合わせ等でつかう応接セット、執務用の机等が並び、豪華というより機能的な感じでしたクリップ
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この船長室、操舵室のすぐ下にあり、↑のパイプでが操舵室と繋がっています。↑のパイプを通じて会話できるようになっていましたベル

 

この氷川丸の初代船長は船員に大変厳しい人だったそうで、安全面は勿論接客面も徹底して指導し、氷川丸のサービスの良さは世界的に有名だったとの事です。日本の高品質な接客、"おもてなし"のはしりだったのかもです合格
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お、しばらくぶりに↑「た」発見叫び

船のエンジン、機関室も公開していますレンチ
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機関室に並ぶエンジン等、運航中は耳をつんざく程の大音響が響いてたんでしょうヘッドフォン
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そして、機関室に近い下部層にあるのが3等の部屋ですあせる
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2段ベッドが並ぶ↑3等船室ウサギ

先程の1等とは大変な違いです。でもこういう部屋でリーズナブルに氷川丸の船客となる事も出来たともいえますパンダ
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順路さいごには、↑再び展示スペース目

ここで、氷川丸の歴史をおさらいしておきますクリップ

 

前述の通り1930(昭和5)年、華々しく太平洋航路に就航し、アメリカ・シアトルへ処女航海した氷川丸波

そういえば”、”西の横浜”の神戸市もシアトルと姉妹都市、航空機がメジャーになる前は"アメリカ西海岸の玄関"といえば、シアトルだったとの事船

 

しかし氷川丸、デビューして10年程で日本は太平洋戦争の時代に入り、米国とは敵になってしまい、太平洋旅客航路も休止。

この氷川丸も海軍に接収され、“病院船”に改装され、現在のミクロネシアなど戦線の最前線に派遣されたとの事です。

 

先の大戦では、多くの客船が戦災で失われましたが、氷川丸は奇跡的に無事で、戦後は日本郵船に戻され、再び客船として活躍したそうです。

しかし、航空路の発達と船の老朽化のため、1960(昭和35)年に引退。ここ横浜港で保存展示される事になったという事です虹
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"カウントダウン計"というのは各地でよく見ますが、↑逆に氷川丸は、誕生からの月日を"カウントアップ"していました時計

 

氷川丸、引退後は対岸のマリンタワーと一体で運営する会社が管理し、ユースホステルや各種イベント等、現在とは違う形で公開されていたそうです。

その会社が経営難で解散したのを機に、船は古巣の日本郵船に戻されて再整備、2008年から現在の形の"純博物館"として再オープンしたとの事ですワイン

 

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氷川丸をあとにした↑「た」、次はどこに向かうのか?
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山下公園からすぐ、横浜中華街ラーメン
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中華街のシンボル、↑関帝廟しし座

ここ中華街、この別荘で「た」と訪れるのは2回目です。前回は、2009年1月upの”第4の巻”『た、横浜中華街に現る』で訪ねましたクリップ


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前回来た時は"天津甘栗"に関心を示していた「た」ですが、今回彼が足をとめたのは↑“開運ショップ”ネコ

はたして開運の神様は彼に、彼にほほえむのか?w
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しばらくして店から出てきた「た」、まるで開運したかのような微笑みを浮かべているのがコワい(謎)叫び
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↑中華街最寄駅、JR石川町駅から帰途につきますお月様

 

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ここから場面変わり、後半です^グッド!

後半は都内です。
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JR池袋駅に現れた「た」電車
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この東京有数の繁華街で「た」はどんなネタを見つけたというのか?ナゾの人
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「た」にこの日連れて行かれたのは、池袋駅から近い、立教大学桜

大学といえば、昨年の「た」シリーズで東大を訪ねました(12.10up vol.124)が、今回は東大と違って私立大学、いわば“私有地”です。はたして入れるのか・あせる
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池袋駅から約15分、大学の門が見えてきましたあし
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しかしこの日「た」が訪ねたいのは大学そのものではなく、敷地内に保存されている『江戸川乱歩旧邸』だとの事。

↑「た」の左側、うす茶色の建物が乱歩邸です家

毎週2回、一般の見学ができる日があります(※2013現在)
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↑門柱も当時のままで立ち、表札の"平井太郎"は乱歩の本名です。
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おじゃましますヒヨコ

怪しげに邸内へ入っていく「た」w叫び
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玄関が受付兼売店になっていて、管理のおばさんが出迎えて(※多少警戒してw)くれ、乱歩について色々とお話を聞かせて下さいました^サーチ
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懐かしい乱歩の名作本、↑"少年探偵団/蜘蛛男/怪人二十面相"等が並んでいました。販売している本もあります本
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乱歩は書もたしなんでいたようで、色紙も多数展示されていました。

↑中央は、彼が好んで記していたという言葉、

"うつし世は夢 よるの夢こそまこと"

乱歩の精神世界への入口を垣間見るような言葉です星空
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管理のおばさんの許可を得て、邸宅の中庭のほうへ向かう「た」

でもなぜか、↑写真に撮ると怪しげな侵入者にしか見えないw
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↑中庭に廻ると、応接室や土蔵が庭から見学できるようになっています目
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↑応接間兼執筆室に使っていたと思われる部屋ドア

部屋には上がれませんが、庭から眺める部屋の中は、昭和モダンな感じがしました。
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乱歩はこの机で執筆してたんでしょうか・

机上の↑旧式黒電話がいい雰囲気を出してます電話
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応接間の隣の部屋も、↑ガラス越しにいろんなゆかりの品が展示してありました。
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ここの色紙もやはりこの言葉、"うつし世は夢・"

乱歩はこの言葉を余程気に入ってたと思われます(※僕もけっこうすきですが)

 

江戸川乱歩は、1894(明治27)年、三重県生まれ。

数々の職を経験したあと作家になり、探偵ものや推理もので一時代を築きましたが、その他には少々エログロなものも得意で、その道のかた(?)にも知られた存在だったそうです恋の矢

 

晩年は、後進の作家発掘・育成にも尽力したとの事。1965(昭和40)年没。

まさに戦前から戦後へ、時代に先駆けて駆け抜けたような人生な感をもちます。前半の氷川丸と同時代を生きた個性派作家です流れ星
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↑直筆の原稿もメモ
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「た」は推理小説がすきな一面もあり、かなり興味ありげな感じでおとなしく見学していましたwあせる
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↑土蔵もあります。乱歩はこの土蔵を書庫に使い、"幻影城"との異名もあるそうです。
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現在は入口にガラス戸が設置され、この外から見学するかたちです。中には当時の蔵書がほぼそのまま残され保存されています。2013現在、週に1度だけ内部公開されているそうです本
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今やマンションや大学に挟まれ、都会にうずもれる”昭和の邸宅”、現在も愛読者の多い、人々の心に生きる文学界異才の旧跡でございました。知られざる、池袋の歴史スポットです黄色い花


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池袋の街中に戻ってきた↑「た」

まさに"うつし世"そのもののコンビニに吸い込まれ、その後どこへともなく消えていった平成の怪人、「た」でしたwにゃー

 

 

 

 

 

 

(※2022.12 2024.5 文一部修正)