久々にアノ男が登場、当別荘異色企画・「た」シリーズです
今作は、各々違う日に訪ねた2ヶ所の、前後半2部構成です。相変わらずの支離滅裂な街ブラを繰り広げる「た」、第14巻スタートです
現れました!
JR根岸(京浜東北)線・関内駅、隣の桜木町と並び、横浜きっての繁華街最寄駅です
「た」は早速、繁華街の伊勢佐木町とは反対の方向、海に向かって歩き出しました。僕は「た」企画の時は彼の金魚のフンですw
いずこへ・
横浜港・みなとみらい地区の端っこ、赤レンガ倉庫までやってきました、この日は「た」の普段の行いが悪いため、あいにくの雨
かつて日本最初の鉄道が走り、↑近年まで貨物線として使われていた鉄橋、レール橋面に残した遊歩道になっています。日本鉄道発祥の地・桜木町駅方面へ続いています
みなとみらいから、山下公園へ向かう↑「た」
そぼ降る雨の中、色鮮やかに咲く花と全然マッチしてない「た」w
それはともかくとして、↑花壇のむこうに、目的”船”がみえてきました
これから見学するのは、埠頭に係留状態で保存されている、氷川丸です
・と、その時急に便意を催し、トイレを探して公園内を右往左往する「た」w
どうせこの後すぐ船内見学するんだから、船で行ったらいいのに・
山下公園で撮影している「た」
↑右に小さくマリンタワーも見えています
↑氷川丸の横までやってきました。
すぐ近くで見るとホント、細長くて優美な船体です
氷川丸、1930(昭和5)年建造、太平洋横断航路に就航した豪華客船でしたが、戦前~戦中~戦後の歴史に翻弄されつつ航海していた、いわば歴史の生き証人(証船?)でもあります。
これから「た」と、内部をじっくり見学していきます
エントランスには、↑しっかり売店もありますw
この横に入場券売場があり、ここから船内へ入ります
「た」にはあまり構わずにw、僕も船内をじっくり楽しみたいと思います^
一歩船内に足を踏み入れると、最初にあるのは↑”ロビー”
ここで氷川丸の概要等の映像を見た後、船内を廻るようになっています
「た」は映像視聴もそこそこに、早速船内を廻りはじめました
客室につづく、↑狭い廊下をすすんで行くと・
順路のはじめにあったのが、↑一等客用の食堂
客室以外でも、食堂や各種サービスも等級によってキッチリ分けられていました。
ちょっと古びた感もありましたが、当時の贅を尽くした豪華な雰囲気は充分伝わってきました
食卓に座り、↑マッタリした表情の「た」
食堂の隣にあったのは、↑『社交室』
船員さん達が食後の談笑をここでしてたんでしょうか、僕のような庶民はついつい"食堂でそのまま談笑すればいいのでは"と思ってしまいますが(汗)
さらには、↑喫煙室も別にあります
これまで見てきた各室は、全部一等客専用です。
戦前にこんな船で旅行できた人は"セレブ"だったんでしょう
上下のデッキを結ぶ↑な階段の形、現在フェリーのエントランス等に採り入れられている原形です
廊下には、↑氷川丸の歴史を語る数々の品物が展示されています。
船員さんや乗客の生活の様子もいろいろ紹介してたんですが、僕がある意味溜息が出たのが、↑『一等船客の一日』
朝のコーヒーから夜食まで、飲食やおやつの時間が一日7回!中でも昼食直前の午前11時に"スープの時間"も
そして昼食のあとは2時間の昼寝、そのあと3時間半カードゲーム、夕食に1時間半かけたあと、夜はダンパ・
この悠久の時の流れ、毎日時間に追われる我々現代人には、憧れの別世界です
↑次は、内部を見られる客室があります
↑は一等客室、調度の豪華さは勿論、応接椅子や洗面台も設置されていました。
さらにもっと豪華な、↑特別室(※スイートルーム)
船内には往時の案内板も残っていて、戦前の海外渡航(船旅)ってどんな旅だったのかと、いろんな想像をかき立ててくれます^
ここで順路は一旦、↑外のデッキに出ます
氷川丸から見る山下公園もgoodな景色
↑の上には氷川丸の頭脳、船長室と操舵室があるとの事。
ここに操舵室があります。
当時の機器がそのまま置かれ、触れて体感もできます
↑いわゆる”図柄通り”の舵、ちゃんと回ります^
ふつう船のこういう業務用機器って英語表記だと思うんですが、↑"面舵/取舵"と漢字で書かれているのが目に留まりました
操舵室から海を眺めると、これから出航してゆっくり動き出しそうな錯覚に陥ります
次は、↑のドアから、船長室へ^
ちなみに先程から「た」が全然写ってませんが、この辺りは「た」がサッサと先に歩いてしまっていました(※この後合流します)
仮眠用のベッドや打ち合わせ等でつかう応接セット、執務用の机等が並び、豪華というより機能的な感じでした
この船長室、操舵室のすぐ下にあり、↑のパイプでが操舵室と繋がっています。↑のパイプを通じて会話できるようになっていました
この氷川丸の初代船長は船員に大変厳しい人だったそうで、安全面は勿論接客面も徹底して指導し、氷川丸のサービスの良さは世界的に有名だったとの事です。日本の高品質な接客、"おもてなし"のはしりだったのかもです
お、しばらくぶりに↑「た」発見
船のエンジン、機関室も公開しています
機関室に並ぶエンジン等、運航中は耳をつんざく程の大音響が響いてたんでしょう
そして、機関室に近い下部層にあるのが3等の部屋です
2段ベッドが並ぶ↑3等船室
先程の1等とは大変な違いです。でもこういう部屋でリーズナブルに氷川丸の船客となる事も出来たともいえます
順路さいごには、↑再び展示スペース
ここで、氷川丸の歴史をおさらいしておきます
前述の通り1930(昭和5)年、華々しく太平洋航路に就航し、アメリカ・シアトルへ処女航海した氷川丸
そういえば”、”西の横浜”の神戸市もシアトルと姉妹都市、航空機がメジャーになる前は"アメリカ西海岸の玄関"といえば、シアトルだったとの事
しかし氷川丸、デビューして10年程で日本は太平洋戦争の時代に入り、米国とは敵になってしまい、太平洋旅客航路も休止。
この氷川丸も海軍に接収され、“病院船”に改装され、現在のミクロネシアなど戦線の最前線に派遣されたとの事です。
先の大戦では、多くの客船が戦災で失われましたが、氷川丸は奇跡的に無事で、戦後は日本郵船に戻され、再び客船として活躍したそうです。
しかし、航空路の発達と船の老朽化のため、1960(昭和35)年に引退。ここ横浜港で保存展示される事になったという事です
"カウントダウン計"というのは各地でよく見ますが、↑逆に氷川丸は、誕生からの月日を"カウントアップ"していました
氷川丸、引退後は対岸のマリンタワーと一体で運営する会社が管理し、ユースホステルや各種イベント等、現在とは違う形で公開されていたそうです。
その会社が経営難で解散したのを機に、船は古巣の日本郵船に戻されて再整備、2008年から現在の形の"純博物館"として再オープンしたとの事です
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氷川丸をあとにした↑「た」、次はどこに向かうのか?
山下公園からすぐ、横浜中華街へ
中華街のシンボル、↑関帝廟
ここ中華街、この別荘で「た」と訪れるのは2回目です。前回は、2009年1月upの”第4の巻”『た、横浜中華街に現る』で訪ねました
前回来た時は"天津甘栗"に関心を示していた「た」ですが、今回彼が足をとめたのは↑“開運ショップ”
はたして開運の神様は彼に、彼にほほえむのか?w
しばらくして店から出てきた「た」、まるで開運したかのような微笑みを浮かべているのがコワい(謎)
↑中華街最寄駅、JR石川町駅から帰途につきます
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ここから場面変わり、後半です^
後半は都内です。
JR池袋駅に現れた「た」
この東京有数の繁華街で「た」はどんなネタを見つけたというのか?
「た」にこの日連れて行かれたのは、池袋駅から近い、立教大学
大学といえば、昨年の「た」シリーズで東大を訪ねました(12.10up vol.124)が、今回は東大と違って私立大学、いわば“私有地”です。はたして入れるのか・
池袋駅から約15分、大学の門が見えてきました
しかしこの日「た」が訪ねたいのは大学そのものではなく、敷地内に保存されている『江戸川乱歩旧邸』だとの事。
↑「た」の左側、うす茶色の建物が乱歩邸です
毎週2回、一般の見学ができる日があります(※2013現在)
↑門柱も当時のままで立ち、表札の"平井太郎"は乱歩の本名です。
おじゃまします
怪しげに邸内へ入っていく「た」w
玄関が受付兼売店になっていて、管理のおばさんが出迎えて(※多少警戒してw)くれ、乱歩について色々とお話を聞かせて下さいました^
懐かしい乱歩の名作本、↑"少年探偵団/蜘蛛男/怪人二十面相"等が並んでいました。販売している本もあります
乱歩は書もたしなんでいたようで、色紙も多数展示されていました。
↑中央は、彼が好んで記していたという言葉、
"うつし世は夢 よるの夢こそまこと"
乱歩の精神世界への入口を垣間見るような言葉です
管理のおばさんの許可を得て、邸宅の中庭のほうへ向かう「た」
でもなぜか、↑写真に撮ると怪しげな侵入者にしか見えないw
↑中庭に廻ると、応接室や土蔵が庭から見学できるようになっています
↑応接間兼執筆室に使っていたと思われる部屋
部屋には上がれませんが、庭から眺める部屋の中は、昭和モダンな感じがしました。
乱歩はこの机で執筆してたんでしょうか・
机上の↑旧式黒電話がいい雰囲気を出してます
応接間の隣の部屋も、↑ガラス越しにいろんなゆかりの品が展示してありました。
ここの色紙もやはりこの言葉、"うつし世は夢・"
乱歩はこの言葉を余程気に入ってたと思われます(※僕もけっこうすきですが)
江戸川乱歩は、1894(明治27)年、三重県生まれ。
数々の職を経験したあと作家になり、探偵ものや推理もので一時代を築きましたが、その他には少々エログロなものも得意で、その道のかた(?)にも知られた存在だったそうです
晩年は、後進の作家発掘・育成にも尽力したとの事。1965(昭和40)年没。
まさに戦前から戦後へ、時代に先駆けて駆け抜けたような人生な感をもちます。前半の氷川丸と同時代を生きた個性派作家です
↑直筆の原稿も
「た」は推理小説がすきな一面もあり、かなり興味ありげな感じでおとなしく見学していましたw
↑土蔵もあります。乱歩はこの土蔵を書庫に使い、"幻影城"との異名もあるそうです。
現在は入口にガラス戸が設置され、この外から見学するかたちです。中には当時の蔵書がほぼそのまま残され保存されています。2013現在、週に1度だけ内部公開されているそうです
今やマンションや大学に挟まれ、都会にうずもれる”昭和の邸宅”、現在も愛読者の多い、人々の心に生きる文学界異才の旧跡でございました。知られざる、池袋の歴史スポットです
まさに"うつし世"そのもののコンビニに吸い込まれ、その後どこへともなく消えていった平成の怪人、「た」でしたw
(※2022.12 2024.5 文一部修正)