vol.146 東北復興シリーズ⑤ 三陸縦断~青森大ツーリング① 南三陸~釜石~吉里吉里 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 本年も、東北ツーリングへ行ってまいりました。

今回、宮城から青森まで三陸海岸沿いに走り通す、2011年の北海道大ツーリング以来の”大”を冠したツーリングになりましたDASH!

 

先月upの伊勢ツーリングもなかなか良かったんですが、それを遥かに凌ぐ規模のバイク旅となりました。5回シリーズでおおくりします。では早速、スタートします^グッド!
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今作は、宮城県北部の大崎市(※東北新幹線でいえば古川駅)からスタートしますグッド!

(※古川駅の写真撮ってくるの忘れましたあせる)新幹線
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↑三陸道へ乗って北上します右上矢印

三陸道といえば、2011.12upの宮城・奥松島&牡鹿半島ツーリング(vol.103)で石巻から女川付近を訪ねましたので、今回"その続き"からという意味合いもあります。

 

今シリーズでは、三陸海岸を縦断し一気に、一気に青森県・八戸まで走るという強行軍です(笑汗)フラッグ
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2013現在、三陸道は宮城・登米市までの開通です(※それ以北にも部分開通区間あり)

未開通区間は、三陸の海岸沿いを縦貫する国道45号を走ります。津山桃生ICで下車し、あちこち寄り道しながら北上していきたいと思います^虹
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この日最初に立ち寄ったのが、↑JR気仙沼線の柳津駅電車

大震災から2年以上経ちますが、この線は未だに柳津~気仙沼間が不通のままです。

同駅は現在民間委託されていて、駅舎内には売店とキップ売場があります。
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この柳津駅を、今作最初に出したのは、↑跨線橋の下あたりにある、小さな"もう一つの柳津駅"をご覧頂くためです。

先程不通だと書いた柳津~気仙沼間に、現在BRTバスシステム方式による代行バスが走っていますバス
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↑がBRTの"柳津駅"です。

JRはこれを、『単なる代行バス』というよりは、これをもって気仙沼線の仮復旧と位置づけています。
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BRT駅の中には数名分のイスがあり、↑鉄道風(?)の路線図と時刻表が掲出されていました目

BRTバス停の数は鉄道の時よりも増やし、停留所位置も商店街や公共施設の近くに移設したりしているため、高齢者には特にやさしい乗り物となっています。

 

ダイヤは、↑の表では毎時1本程度ですが、区間運転もあり、この先気仙沼に近づくほど本数が増えるようになっていますバス
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駅前撮影していると~

↑BRTバスがやってきましたバス

都内で走っているのと同じようなハイブリッド路線バスです。

そしてこの時、ちょっとサプライズな事が・

 

どこからともなく係員が突如現れw、バスの誘導や乗客の案内をし始めました。鉄道駅にいる委託の人ではありません。

僕が駅前見渡した限りは係員詰所のような建物はなく、どこで待機していたんでしょうか(謎)ナゾの人
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バス駅の横には、↑バスロケーション画面があり、柳津にあとどれ位で来るのかはもとより、BRT全線の運行状況が一目でわかります。鉄道並みの安心/安定感を乗客に与える効果大だと思います。
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係員の誘導で駅前にバック付けし、折待ちをしているBRT車バス

 

ここまで書いた内容ではBRT、いいことづくめのようにも思える感じですが、しかし地元では、やはり鉄道での復旧を希望している方々も多く、地域との協議が続いているとの事です。

 

一方JR側は、このBRTをもって『本復旧』としたいようで、はたして気仙沼線の将来はどうなるのか、地元側との駆け引きは紆余曲折が予想されます。
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同線では、BRT専用のICカード↑"オデカ"というのをつくるそうですが、僕はそれだったらsuicaで利用出来るようにしたほうが利便がいいのでは?と思うんですが・ガーン
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BRTが発車した後、↑鉄道駅のほうも見ておきます目

 

一昨年の大震災で全線不通になったこの気仙沼線、石巻線と接続する前谷地駅~ここ柳津駅間のみ復旧していますが、柳津より先は路盤そのものが津波で流されてる区間もあり、未だ復旧の見込みはありません。
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柳津から、↑不通になっている気仙沼方面を見たところです。

↑の信号が、再び"青"になる日はくるのでしょうか・
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列車が走らなくなって2年以上経った線路には、雑草が覆っていました。
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その時、レールに車輪の軋む音が・

前谷地からの列車が入ってきました電車
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仙台方面へ行くには、ここから前谷地で石巻線に乗り換え、さらに小牛田で東北線に乗り換えますリサイクル

柳津駅が今後どのような形態になっているのか、注目していきたいと思います。

 

-*-*-
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柳津駅を出て、再び↑国道45号を北上しますDASH!

次の街は、南三陸町です。
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しばらく走ると、↑三陸の海が見えてきました波
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↑BRTのバス停も国道に点在します。

BRTは本来『主に専用道を走行する、鉄道に代わりうる高規格なバス』を目指しているものですが、鉄道の路盤そのものが津波で無くなった区間も多いため、現時点では一般道路に設置されている場合が多かった印象です。
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↑陸前戸倉駅(バス停)の横でも、並行する気仙沼線の路盤復旧作業が行われていました。
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国道45号は、↑大震災時に津波が到達した地点を示す標識が設置されています。

今後地震が起きた際は避難の参考になるほか、災害の記憶を忘れず教訓とするためにも、こうした標識の設置は有意義だと思います。
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国道脇には、↑仮設建物のコンビニも見受けられましたコンビニ
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BRT清水浜駅は、↑のコンビニの駐車場にありました車
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↑そのコンビニから見えた気仙沼線(※鉄道)の清水浜駅ですが、まだ復旧の手が付けられていませんでした。

前出の陸前戸倉駅は路盤もまだ無い状態だったし、同線の鉄道での完全復旧はまだまだ先になりそうだと感じます。
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リアス式海岸沿いを縫うように走るR45、↑アップダウンを繰り返しながら何度も海岸に近づきます馬

 

南三陸の街におりていきますヒツジ
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南三陸町、先の震災で最も被害が大きかった街でありますが、かつて中心街だった沿岸部は、↑僕が見た限りは、この日時点では大部分が更地でした。
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道路の端には、避難経路の誘導表示がされていました上下矢印
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津波で打ち上げられた漁船が、山すそでそのままになっています。

 

南三陸町、高台には復興商店街も出来て、新しい街づくりが始まっているようですが、海岸部をみる限りまだ、津波の爪痕が当時のまま残っていました。

 

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次の街、気仙沼市に入ります。

宮城県沿岸部で最北端の街ですグッド!
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R45を走ると、隠れては又現れる美しいリアス式海岸宇宙人

バイクで走ると一層体感できますキラキラ
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気仙沼市に入ってしばらくすると、海岸沿いに↑『道の駅 大谷海岸』がありました。

本ツーリング初の道の駅、寄ってみますコーヒー
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↑仮設店舗ながら品揃え豊富で、店内は沢山の人で賑わっていましたグッド!
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BRTの駅もここに設けられています(※近くに気仙沼線の「大谷海岸駅」が元々ありました)

 

・と、その時~
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↑BRT車ではない、でもどこかで見覚えがある色のバスが国道を走ってきました。飲みかけの缶コーヒーもそこそこに、慌ててカメラを持って駆け寄りましたあせる

そのバスとは・
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なんとWoの郷里、兵庫・明石の市バス(※2012年廃止)でした。

復興支援として宮城のミヤコーバスに譲渡されたもので、塗装も明石時代のまま、明石市章も↑写真の.通り、前面にそのまま付いています。

(※震災以前から、元々この国道はミヤコーバスの路線で、BRTとは別位置にバス停があります)

凄い偶然でしたが、たまたま道の駅で休憩中、ラッキーにも出会えました。かなり感激しました汗


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道の駅、眼前は海です。

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震災前は美しい浜辺だったとの事ですが、今海岸に置かれているのは大きな土嚢、そして、そのむこうには静かな海が、駐車場の前に広がっています。

 

気仙沼の街はバイパスで一気に通り抜けしたので寄り道してないんですが、入江の周囲を市街地が囲むような地形なので、津波によって大きな被害をうけました。.

 

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気仙沼バイパスが途切れ、↑地道の国道に戻ると、宮城から岩手へ県境を越えます馬

岩手に入って最初の街は、陸前高田市です。

R45は陸前高田市に入ってすぐ、大きく報道された"木"のすぐ近くを通るので、見学していきます。
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国道沿いに↑専用駐車場もつくられていました。

『奇跡の一本松』です。
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駐車場の片隅では、↑地元のかたが水産物を売る移動販売車があったんですが、そのお店とは反対側に人だかりが出来ていました。そこには・
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お店のかたが「来訪者に知ってもらいたい」と、震災前のここ、高田の松原の写真を展示していました。

 

震災前、奇跡の一本松があるこの高田海岸には、我が国有数の長い松原と美しい海岸がが弓形に伸び、夏は海水浴で大変賑わっていたそうです。この写真を見て僕は、震災前に来ておきたかったと心から思いました。
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臨時駐車場から一本松のある浜まで、↑歩いて5分程です。
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更地が広がる、かつての絶景の地、高田松原。

一本松が見えてきました。
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上が、保存加工をされ、元の位置に戻された『奇跡の一本松』です。

この時は、手前の橋までで通行止になっていて、松の根元までは近づけませんでしたあせる

 

この奇跡の一本松、報道された通りで、津波からただ一本踏ん張って生き残ったんですが、やはり受けたダメージは大きく、その後枯れてしまいました。

 

そこで地元では保存処理して永久保存する事を決め、一旦は今春に完成しました。しかし『枝ぶりが当時と違う』という指摘があり、再びやり直しの加工が行われ、最近この浜に戻ってきたばかりだそうです。

(※この訪問の翌月、完成式が行われたとの事です)
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震災の直後、跡形もなくなった松原に一本だけ残ったこの松に、地元の人は勇気づけられたといいますが、周囲の被害の大きさからして、まさに"奇跡"を冠するにふさわしい木だと僕も思います。
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一本松の海岸側には、↑津波で壊れたままのコンクリート建物がそのままになっていましたが、鉄筋の建物でもこんなになってしまう程の津波の力に、この松が一本だけどうして耐えられたのか、まさに奇跡です。

もしかしたら、↑の建物が一本松のちょうど海側正面に建っているので、建物が津波の力をある程度減衰させて松を守ったのかもしれません。
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一本松の手前の橋から、かつて松原だった海岸線を望む。

わが国有数の白砂青松だった、美しい松原と海水浴場があったとは信じ難い、荒涼とした光景です・
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・そして、その松原方向で新たな発見が!

幹だけで枝葉はありませんでしたが、↑松がもう1本立っていました。こんなの報道では見た事がありません。

実は"奇跡の2本松"だったんです。
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いろんな思いが迫る中、一本松をあとにしました。
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一本松見学者の横を、↑BRTバスが通り抜けていきますバス
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再びWo号に跨り
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国道沿いにあった↑団地の建物、5階にだけベランダの囲い板が残っています。4階の高さにまで津波が達した事が容易にわかります。最近こうした痕跡を伝える建物が相次いで取り壊しになっているとの事で、保存するかどうか議論になっています。
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さらにどんどん、北へ走りますDASH!

↑三陸道が所々で部分開通していて(※新直轄方式で無料)、R45のバイパスの役割をしています。
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R45、その名も『復興道路』と名付けられて、まさに復興の動脈になろうとしていますが、震災から2年以上の風景としては、沿道は"復興"というにはまだ寂かったというのが、僕の率直な感想です。
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道の駅さんりくで昼食、Wo号は既に岩手県2つ目の街、大船渡市に入っていますナイフとフォーク
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谷筋ごとに、現れては隠れる海。ホントに美しいリアス式海岸です波
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津波到達の記念碑が、道路沿いに散見されます。
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大船渡市から釜石市の間は、三陸鉄道の南リアス線が並行しています。三陸鉄道も2013現在不通で、↑復旧工事の最中です。
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国道脇に見かけた、↑唐丹(とうに)駅。

三陸鉄道の場合、復旧の進行が会社経営に直接影響するので、状況はJRよりはるかに深刻です。一日も早い復旧をと祈るばかりです。
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釜石の街に入る少し手前で、↑海辺の山に白く巨大な像が目に入ります。釜石大観音です。海を向いて立っています。

 

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Wo号、↑釜石駅に到着しました虹

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釜石駅へWo号で来たのはこれが2回目です。

2011年10月up、『岩手ツーリング・宮沢賢治を訪ねる』(vol.99)で花巻から遠野経由で、ここまで走ってきました。

その当時の写真と比べると、駅がリニューアルされてるのがわかります。↓に、一昨年の作(vol.99)に載せた写真を再掲しますカメラ
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↑が、一昨年撮影の釜石駅です(※2011.10 Wo撮影)

2つ上の写真と比べると、駅外壁に化粧板が施されています(※駅内も改装されていました)

 

そして、JR駅の右横に三陸鉄道の釜石駅があるんですが、こちらも一昨年撮影の写真からご覧頂きます↓
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↑が一昨年の写真、全線不通のため駅舎に灯りは無く、閉鎖されていました(※2011.10 Wo撮影)

 

では今回、どうなっていたかというと・

↓ですカメラ
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ひとつ上の写真と対比すると、駅内に電灯が灯っていますひらめき電球

おじゃましてみます男の子

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南リアス線は釜石からは不通のため、未だここから列車は出ていません(※2013現在、吉浜~盛間部分開通)

駅舎はほぼ一昨年のままでしたが、待合室を利用して何かやっているみたいです。

駅内は~
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駅舎内に、↑"さんてつジオラマカフェ"が出来てましたコーヒー

さらに・
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↑出札窓口は"グッズ売り場"にプレゼント
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そして待合室の真ん中には、↑ドーンと鉄道ジオラマが!

その周りを囲むテーブルでお茶や軽食が楽しめます。まさに"ジオラマカフェ"です^グッド!
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そして面白かったのが、↑切符券売機を"食券販売機"に転用していましたwチケット
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本来駅名が書かれていた各ボタンの上に、メニュー名の紙を貼っていますwラーメン

券売機君自身も、まさかこんな使われ方するとは思ってなかったでしょう(笑)あせる
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少し希望も感じられた釜石駅をあとにします。

鉄の街釜石、駅前には↑新日鉄の工場みずがめ座

 

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釜石からさらに北上、次の街は大槌町です。

仮設住宅の位置を示す標識が道路に立っています。

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その大槌町、しばらく走ると、聞き覚えありという地名が↑道路標識にありました。『吉里吉里』です。

井上ひさしの小説で一躍有名になった名前ですが、小説のモデルの場所はここではなかったという話もありますあせる
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吉里吉里の街中を少しみていきます目

街の中心部は津波で流されてしまい更地ですが、高台のほうは家並みが残っていました。
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現在不通のままの山田線(※釜石~宮古間)の駅があるという事で、見学させてもらいます。
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↑休止中の吉里吉里駅

駅舎は比較的きれいに保たれてましたが、線路は赤く錆びている現状です。
このあたりの山田線は、少し高いところを通っていたので、路盤流失等の被害は免れました。
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2年以上列車が来ていない吉里吉里駅、時が止まっているかのようです。
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三陸鉄道同様、この山田線も海岸沿いを走っているため被害が甚大で、JR東は前出の気仙沼線同様BRTでの復旧を地元へ提案しています。しかし住民の皆さんの意見は様々で、はたして鉄道での完全復旧なるのか、微妙な現状です。

 

山田線に関して僕は思うんですが、同線は両端で、三陸鉄道の北リアス/南リアス両線と接続していて、もし仮に同線がBRT化されると、三陸海岸を貫く鉄道の最も重要な区間が分断される事になります。

 

なので、復旧工事中の三陸鉄道がせっかく完成しても、肝心の山田線部分がBRT(※バス)だと繰返しですが鉄路は分断され、三陸鉄道の価値が大きく低下する事になってしまいます。この区間に関しては、鉄道での復旧を僕は望みます。

(※2021年追記 先般この山田線の海岸部分が、三陸鉄道に移管の上、鉄道で再開通しました)

 

僕は本ツーリングで三陸の鉄道復旧状況をみて思ったんですが、、震災から2年以上経つのに、重要なインフラをこんな状態で放置のままJRへ丸投げしているのは、詰まるところ国の怠慢だと思いました。復興予算として数兆円計上されていますが、鉄道復旧には一体どれだけ宛がわれているのでしょうか?

 

そもそもJRの路線のうち、国鉄時代に造った鉄路は国民の財産です。鉄道の存在は、採算や乗客数だけで価値を計るものではないと思います。地域に安心と安定を与え、国土にも安定感を与える、金銭には代え難い心のインフラでもあります。

 

上記の事については当別荘で過去何度も書いていますが、2011.12upの牡鹿半島ツーリングでは、荒れ果てた仙石線野蒜駅の様子をご覧頂いたように、仙台~三陸への足である仙石線にしても、未だに(※2013現在)全線開通していません。

被災地の鉄道を訪れる度に感じる無力感は、堪え難いものがあります。
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未だ復旧ならない山田線を目の当たりにし、再び美しい三陸海岸をみながら走りますDASH!

 

そして~
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次第に海の色が、↑なんともいえない透き通ったマリンブルーになってきましたキラキラ

東北の海とは思えないようなトロピカルな色ですうお座

 

そしてこの先に、三陸で一番美しいといわれる海辺があるんですが~

 

作容量一杯になりました、今作ここまでです!

 

次回はその絶景海岸と、続いて青森県へ入り、十和田湖近くにある"謎の遺跡"を訪ねます。お楽しみに^ニコニコ

 

 

 

 

 

(※2022.12 2024.3 文一部修正)