千葉県・成田といえば、ご存じ、国際空港のある街ですが・
しかし成田市は、空港"以外"の名所も数々点在します^
その筆頭として、”成田山”でおなじみの新勝寺。関東の方々には初詣の名所としても有名ですが、僕はまだ上京以来まだ行った事なかったので、一度訪ねてみようかと思い、成田への”近場ツーリング”に行くことにしました^
今作では、TV等で毎年おなじみの光景、初詣の喧騒が無い、静かな普段の成田山新勝寺を訪ねるほか、今回初訪問の宗吾霊堂、そして、千葉県有数の大きな湖ですが、そのわりに地味な(?)存在の印旛沼。この3ヵ所をバイク・Wo号で廻ってみました。ではスタートです
東関東道、成田ひとつ手前の冨里ICで降ります
冨里から成田市内まで10分程、郊外の風景が広がります
成田市街地に入ると、建物が密集してきて、成田山の大きな歓迎看板も現れて、少し観光地ムードになってきます
この日は平日だったので閑散としていましたが、成田山の周囲には駐車場が多数あり、初詣時は大変な混雑になる事が容易にわかります
成田山が近くなると、一部電線を地中化してあり、門前町の風情を演出しています。お土産物屋さんも並んでいます
お寺の山門が見えてきました。
成田山新勝寺に到着です
この門は2007(平成19)年に造営された、比較的新しいものですが、境内には創建当時からの貴重な建物もいくつか残っています。
では、境内へ
門のむこう側には、石灯籠が並ぶ参道がみえます。
そしてその奥にある、お堂のように見える建物は、仁王門です。
初詣の人出が日本一・二の参詣者数を数える、この成田山ですが、僕の見た印象では、そのわりには決して広いとは言えない感じの参道。TVで映し出される初詣時の混雑はむべなるかなと思います
境内の左脇には、↑立派な感じの新しい建物"光輪閣"。寺務所や信者サービス等に使われている宗務施設があります。
そしてその前には、かなり大きな"お護摩受付"が
宗教法人として多くの信者を擁し、組織力もしっかりしているなぁと窺える光景です。
↑仁王門、1831年築と伝わります。これをくぐると本堂です(※国重文)
仁王門への石段を上がると、↑本堂が見えてきます
仁王門から振り返って、↑総門を見下ろしたところ
↑少し小高い丘の上に建つ、大本堂です。1968(昭和43)年に建てられたとの事。
この本堂の中で、毎日お護摩が厳修されています。僕が行った時も、ガラスで仕切られた堂内で、流れるような読経の声の中お護摩が行われていました。
(※堂内は撮影禁止でした)
"成田山はお護摩"とまで言われる程、新勝寺では護摩法要を重視しているとの事です。平日6回/土日8回、連日厳修されてるそうです。
ここで、簡単に成田山新勝寺について纏めておきます(※同寺パンフレットを基にしています)
開基は西暦940年と伝わり、約千年以上の歴史を持つ古刹です。ご本尊は不動明王で、弘法大師が御自ら彫塑したものだと伝わるとの事。しかし成田さん千年の歴史はずっと平穏裏に経過した訳ではなく、戦国時代には一時荒れ果てた時期や、また先の大戦時には”武運長久を祈る寺”として、結果的に軍国日本の国策に加担させられていた時期もあったようです。
しかし現在は、前述の通り新年には日本一・二を誇る初詣客を集めるほか、節分の豆まき等でも有名で、平素はお護摩の香煙が絶えない"平和のお寺"となっています。
本堂の横には、三重の塔がそびえています。
成田山は、ここまで見てきた本堂や総門等、近年建立の諸堂も多いんですが、この三重塔や先程の仁王門等、5つの国重文建造物も擁しています
↑の三重塔、見た感じ凄くきれいで色彩も鮮やかだったので、僕は"近年建てたものなのかな?"と思ったんですが、1712年建立のものを、丁寧に手入れしながら守ってきたとの事です。見事な維持管理ぶりです
↑三重塔の屋根内側の極彩色の文様が、眩いばかりの美しさでした
ただ、この成田山を訪ねた僕の全般的な感想は、"一般の参拝客が参詣するというお寺というよりは、門信徒のための信仰の場"という印象でした。もう少し平べったく言うと、単なる観光寺院ではないという事
機能的に整備されていた光輪閣や、本堂でお護摩を焚いて一心不乱に読経されている僧侶や信徒さんの姿をみると、そう思いました。初詣や節分で混雑する際の成田山は、いわば”外部向けの姿”でしょう。
↑花壇のむこうに見えるお堂は"釈迦堂"です(※国重文)
そして、成田山の境内は、大本堂の裏側にも続いています。
奥へむかう通路をさらにすすみます
しばらく歩くと、↑昔の奉納額が沢山掛かっている、”屋根だけ”の建物がありました。
これは・
信者の集まり『講』や個人等が奉納した額が沢山掛るこの堂宇、"額堂"です(※国重文)
この額堂、正式には"第二額堂"といい、かつては三重塔の横に、さらに古い"第一額堂"もあったそうですが、惜しくも1965(昭和40)年の火災で焼失したという事です。
又、この第二額堂も先年の東日本大震災でダメージをうけたとの事で、真下の部分は危険なため立入禁止となっていました
額堂の横にある↑光明堂、これも国重文。これで同寺の重文建造物5棟、今作で全て登場しました。
この奥には、年に3日だけ開扉される"秘密の洞窟"(?)があるとの事です
さらに奥へすすむと、成田山公園があり、寺域内ですが公園として一般開放している緑のエリアがあります。
そして↑写真奥手に、塔のような屋根が・
↑は1984(昭和59)年に建てられた新しい塔で、平和の大塔といいます。内部見学出来るんですが凄く綺麗で、様々な仏像とともに展示スペースもあり、有名人から寄せられた色紙等もありました。(※残念ながら、ここも内部撮影禁止でした)
平和の大塔から、↑成田山公園をのぞむ
↑境内裏手の道に出てみると、今昔の信者からの奉納石塔が沢山立っていました。
本堂の裏手にある壁には、↑個人や会社からの奉納プレートがびっしりとあり、信徒を集める"力"を持っているお寺だなぁと思います。
まさに"現代の街中に生きる、信仰の聖地"という印象でした。
そろそろあとにします
次に行くのは、↑バス停のポールにもありますが、宗吾霊堂です
成田駅から、↑国道464号を約15分走ると~
成田市街を抜け、緑が広がってきました
この日5月だったので、↑路傍に鯉のぼりも泳いでます
↑京成線・宗吾参道駅への案内標識がありました
空港に行く時、本線経由の特急に乗ると通るので聞き覚えある駅です
その、宗吾参道駅の名前の由来となってるのが、↑宗吾霊堂です。
“霊堂”という名からは、お墓(霊園)だけの場所じゃないか?というイメージですが、宗吾霊堂は通称で、正式には『医王院東勝寺』という、通常(?)の寺院です(※真言宗)
宗吾の名の由来となっているのが、↑同寺境内にある宗吾様のお墓です(※謹写)
佐倉宗吾、本名を木内惣五郎といい、江戸初期、当時の佐倉藩主の暴政を時の将軍家綱に直訴し、その罪で(※こういう事が罪になっていた時代)、磔刑になったという事です。宗吾は当地では義民としての誉れ高く、このお寺でねんごろに祀られているという訳です。
宗吾様のお墓からさらに奥へすすむと、↑山門があります
1978(昭和53)年、開基325年紀念に建立された"大山門"です。
大山門の奥に、↑本堂があります。
静かな佇まいの本堂
境内はそんなに広くないんですが、本堂の傍らに建つ↑宝物館の重厚な洋館建てが存在感ありました
宝物館の前に立つ、↑2つの平べったい古い石碑
これ、卒塔婆の一種で"板石塔婆"というそうです。
14世紀につくられ、当初は他の場所にあったものを移設してきたとの事です。写真ではわかりにくいですが、梵字が石いっぱいに彫られていました(※成田市指定文化財)
僕はこの日入りませんでしたが、本堂の裏手には、宗吾様の生涯を紹介する『一代記館』もあります。
別名"直訴道"、前述の通り、宗吾様がここを通って死をも覚悟で江戸へ赴き、領民の窮状を直訴に行った道といわれます。
宗吾霊堂から直訴道を約15分走ると、↑田園風景が広がり、空港アクセス新線の高架が見えてきました
そして道沿いに現れたのが、↑”池というには大きい、湖と呼ぶには小さい”という広さの、印旛沼です
成田空港からもほど近い印旛沼。これだけいい景色にも拘らず、なぜか観光化されていないのが僕は不思議な感じもします。
印旛沼は、"北湖"と"西湖"の2つに分かれています
太古には繋がっていて広大な湖だったとの事で、Wo号でこのあたりを走っていると、その名残が感じられるような風景でした
(※ここまでの写真は北湖です。次に西湖へ行きます)
北湖と西湖の間をスパッと区切るように、↑京成スカイアクセス線の線路が一直線に伸びます
これまでご覧のように、観光化されてない静かな印旛沼ですが、西湖のほうには辛うじて、県立公園が整備されています
↑入口を案内する看板はありますが、運転中だと少々わかりにくいかもです
この公園、元々城跡だったという小高い丘にあります。
この丘から西湖が一望できる展望台があるとの事で、見に行ってみます
園路を歩いていると、↑木立ちの隙間からチラッと、湖面が見えてきました^
↑の階段を登ると・
階段を登った先には、広々とした田園風景
そしてその真ん中には~
ドーンと広がる静かな水面、西印旛沼です
展望台の片隅に掲示されていた、↑“印旛沼憲章”
この看板、設置者が書いてなかったので後日調べると、"財団法人印旛沼環境基金"が、1994(平成6)年に制定したものだそうです。
この印旛沼憲章の内容、僕は賛同できるものだったので、少し抜粋して記したいと思います
印旛沼憲章は、3段落からなる前文と、本条4か条から成ってるんですが、特に僕が「これは言えてるなぁ」と思ったのが、以下の一文です。
《以下引用》
>生活に、工業に、農漁業に、計り知れないほど沼の恩恵を受けながら、ややもすれば印旛沼の存在さえ忘れがちである<《引用終》
この一文、"印旛沼"の部分を、全国各地の川や海・湖、あるいは山林などの自然に置き換えても、そのまま言えるのではないでしょうか?
身近なゆえ、その有難さや存在をも、つい忘れてしまう
ホント至言だと思います
この、観光化されてない静かな環境。湖畔で憲章を読んで、この自然のままの静けさも、印旛沼の価値なのかなぁと思った次第です。
知られざる千葉の湖、印旛沼でございました
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成田市から宗吾霊堂を通ってきた国道464号(宗吾参道)は、やがて道幅を広げ、↑千葉ニュータウンへ入っていきます
先程来何度も登場している↑スカイアクセス線ですが、元々このニュータウンまで敷設されていた、北総鉄道を延長する形で成田空港まで延伸された路線です
僕の郷里ネタですが、神戸市の山奥に開発された西神ニュータウンも、道路を両脇にして真ん中に神戸市営地下鉄が走る光景があり、似た雰囲気です
今ツーリングもおわりに近づいてきました。千葉市方面へ戻るためR16に入ると、↑一瞬関西に来たのかと思うような懐かしい看板、"ラーメン横綱"さん
関東にもあるのは初めてこの日知りました。後日同社HPで調べると、関東では千葉県に3軒だけ進出しているとの事(※2013現在)
ちょうどお昼だったので食べていくことにしましたw^
今作ここまでです!^
当別荘のツーリング作にしては短めですが、このあと私用で千葉市方面へ行く予定があったので、まだお昼過ぎですがこれにて作としては終了ですw。なのでタイトルに"小"ツーリングと付けたんですw^
(※2022.11 2024.5 文一部修正)