今年も又、韓国へ行ってきました
昨年は、南部・麗水で行われた万博のシリーズをご覧頂きましたが、その時は釜山出入国だったので、ソウルは2年ぶりです
今年はソウル市内をザ~ッと廻ってきたんですが、過去作で既に取り上げた所が多かったので、本年の韓国作は的を絞り、ピンポイントの単作でご覧頂きます
今作では、ソウル市内でプチ街ブラをした後、ソウルから列車で約1時間の天安市に所在する、『独立記念館』という施設を訪ねます。
名の通り、韓国が両隣国(※中国/日本)の支配から解放され、独立を達成するまでの歴史を集成している資料館ですが、日本人にとっては微妙な感じの施設です。日本人観光客はほとんど行く事はない所なので、当別荘で紹介したいと思います
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仁川空港へ着いて韓国入国、空港鉄道で↑国鉄ソウル駅へ
いつものルートですが、今回のソウル駅では、"あぁ久しぶり"という建物がお目みえしていました
現駅舎のすぐ北側に、↑レトロなレンガ建ての洋館・旧ソウル駅舎です。
数年間かけ復元改修工事をやっていたんですが、この度完成。
久々にその姿を人々の前に現わしました
1925年、日本時代につくられたレンガ建の旧駅舎。
1988年にソウルオリンピックが開かれる以前まで、ソウルの玄関として活躍していました。
僕が韓国に初訪問したウン十年前、この駅舎は現役で、僕はここでキップを買って夜行列車に乗ったのを覚えています
ソウル五輪を契機に行われた、新駅舎整備に伴いその役目を終えました。その後長い間の閉鎖、そして復元工事を経て、昨年"文化の駅ソウル284"というイベントスペースとして、リニューアルオープンしました
(※"284"とは、この旧駅舎が韓国の史跡番号284号という事から)
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広い道路には車とバスの洪水、相変わらず賑やかです。なお韓国は公共交通の運賃が安いので、自転車乗りはあまり見ません
これから、地下鉄で1ヵ所行きます
地下鉄明洞駅で降り、地上に上がっておなじみの繁華街と反対側に見えるのが南山。その中腹に、↑タワーがあります
ソウル一高い塔、Nソウルタワー(※通称:ナムサンタワー)です
塔のたもとまでは、ロープウェイ(※ソウルでは"ケーブルカー"と呼ぶ)で登ります
ソウルの街がどんどん遠ざかり、わずか数分で南山の上へ
東京スカイツリーや台北101に比べると、比較的小ぶりに見えるソウルタワーですが、建っている地点が山上なので高く、至近距離に近づくと高さを感じます
エレベーターで展望階へ
先程の旧ソウル駅と同じく、まだ韓国旅行にビザ申請が必要だった頃、僕はソウルに来ると毎回ここに昇ってました^
その当時はホントに無味乾燥な内部でしたが、数年前にリニューアルされ、見違える程お洒落な雰囲気になっていました^
↑暮れなずむソウルの夕景が、一望の下
ソウルのシンボル的大河、漢江(ハンガン)」も見えます
このソウルタワー、近年まで展望階からの俯瞰写真撮影は軍事上の理由から禁止されていました(※現在も形式的には禁止だと思います)
現在は、記念写真程度なら大丈夫です
そして、リニューアルしたソウルタワーで是非行っておきたいのが・
↑の"トイレ"
全面ガラス張り(!)で、小便器は窓にむけてつくってあります。
眼下に広がるソウルの夜景を眺めながら放出できますw
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ナムサンタワーから、ご存じ、ソウルの繁華街・明洞に下りてきました
いつも寄る参鶏湯屋さんで晩飯、そして宿へ入ります
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翌朝・
↓にも久々に行ってみました
ソウル駅の北側、市庁から北へ伸びる大通、世宗路です
通りの中央に広い遊歩道があり(※日本の札幌大通や名古屋の久屋大通と似た構造)、その真ん中あたりには、ハングル文字を考案した李氏朝鮮王朝一の名君ともいわれる、世宗大王像が立っています。
そして、この世宗路のドンツキにそびえる立派な門が、↑カンファ(光化)門です
1395年につくられた朝鮮王朝の王宮、景福宮の正門ですが、日本時代この地に朝鮮総督府が置かれた際、移転を余儀なくされました。
日本撤退後、こんどは朝鮮戦争で破壊。その後、当地で博物館として使われていた旧朝鮮総督府の建物を撤去した後、ようやく↑現在の形に復元されたのは、2010年との事です・
光化門から、中へ入ってみます
入ったところの↑広場、見学客が両端に集められました。
これから、何かはじまるようです
ちょうど始まったのが↑、王朝時代の衛兵交代を再現した行列、とにかく色鮮やかでした
"王朝絵巻"という言葉がありますが、まさにそれです^
↑王宮、勤政殿を間近に見学します。
王宮前の広場には、↑官僚が序列順に整列するための柱が残っています。
↑勤政殿の内部です。
中央には王の玉座、豪華絢爛な姿を復元していました
建造以来約700年、そのうち約半分を放置や戦乱の中で時を重ねてきたという、まさに歴史の波に洗われつづけてきた王宮です。
ソウル駅や鐘路の繁華街からすぐ、地下鉄市庁駅から徒歩で行ける便利な所なので、ソウルの街の喧騒に疲れたらおすすめの場所です
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ソウルの街中を出て、今作メインの場所へ移動します
ソウル駅から急行で南に1時間(※地下鉄直通の郊外電鉄線だと約2時間)、↑天安(チョナン)駅に着きます
この街からバスで30分程の所にある『独立記念館』を、これから見に行きます
↑天安市自体には観光名所は少ないんですが、人口50万を超える大きな街です
駅から20分程歩き、中心街にあるバスターミナルへ
↑写真左の建物は、ソウルにもある韓国の高級百貨店、新世界デパートです。
この百貨店前のバス停から、400系統のバスで独立記念館へ向かいます
なお、この天安の市バス、釜山中心に普及しているICカード"キャッシュ・ビー"の読取機があったので、"ソウルのTマネーは使えるのかな?"とふと思い、ダメ元でタッチしてみました。
すると・
約30分で、↑終点・独立記念館バス停に到着。
かなり寂しい感じです
館周辺には車道/歩道のほか、サイクリングロードも整備されてましたが、日本や中国ほど自転車が好まれてない韓国では、利用者は見かけませんでした
そして、広大な敷地の独立記念館入口に立つのが、↑の『キョレの塔』です。
(※キョレ=民族)
↑遠足や社会科見学等で訪れている学校団体が多数見受けられました。韓国では、小中学校の間に必ず1度はここに来るようになっているそうです。
独立記念館、どんな内容なのか?これから見ていきます
そして、キョレの塔の奥にみえている↑巨大は韓屋風の建物、これは"キョレの家"です。
初めて来るとこれが展示館なのかと思いますが、違うんです(※展示館はさらに奥にあります)
そして、キョレの塔~家の間の広場には、↑夥しい数の韓国国旗がはためいています。
ここは"テグッキマダン"(※太極旗広場9というそうですが、入館前に愛国心を鼓舞させる狙いもありそうです。
↑キョレの家まで来ました。
間近で見るとホント巨大
もらってきたパンフレット(※日本語パンフあり)には、『高さ45m、敷地はサッカー場1つ分』と書かれていました
キョレの家、両端にいくつかの部屋もあるんですが、中央部は空洞で、↑の彫像がドデーンと。
これは"不屈の韓国人像"といい、五千年の歴史を守ってきた韓国人の強靭な精神をかたどった(※パンフによる)との事ですが、僕が見た感想は、韓国というより北朝鮮の趣味に近いデザインのような気もしなくなかったです
そして、キョレの家からさらに奥にすすむと、又々広場が
とにかく敷地が巨大です、ここ。
この広場の周囲に立ち並ぶ↑低層の建物が展示館です。
ようやく展示館まで着きました
展示館は、↑第1館~第7館まで、広場を囲んでぐるりと並んでいます。
そのうち第7館はイベントスペースで、第1~6館の常設展示を順に見ていきます
同館は基本、"韓国側からみた植民地支配の歴史"を展示する事を主旨としていますが、僕は日本人からの視点で、出来るだけ冷静にみていきます。
第1館は、古代史から始まります。
紀元前1000年頃の古朝鮮成立に始まり、高句麗や伽耶等、古代朝鮮の歴史から展示を起こしています。
"日本語のパンフもある"と前述しましたが、展示にも日/英/中国語が付され、外国人の見学も想定してつくられています。
↑古墳の石室を再現したコーナー。
日本の高松塚古墳と似たものを感じました。
日本人には少々辛い展示になっていきます。
日本の明治期と同様、朝鮮王朝も末期には、欧米列強との間に↑"不平等条約"の締結を余儀なくされ、その後の外交の足枷になりました。
19世紀末頃の近代化の過程を紹介しつつ、次第に日本が影響力を強めていく、"併合前夜"の様子を展示していました。
ソウル初の↑路面電車を再現。
そして1910年、日韓は併合します。
いわゆる"軍国主義日本"(※韓国では"日帝"と呼称する)に併呑された韓国の、苦難の日々の様子を展示しています。
しかし、日本の一般国民も韓国国民も同様に、軍国主義の中苦しんでいたのは言うまでもありません。
↑いわゆる"皇民化政策"の遺物も展示。日本ではなかなかお目にかかれないものです。
そして、ついにきたかと思いましたが、↑慰安婦についてのコーナーも。
↑の地図は、"慰安所の分布図"だそうですが、この図だと案外韓国内には少なく、中国大陸やフィリピンに多かったことが示されています。又、日本国内にも点がありました。
↑は、慰安所に貼られていたという"注意事項"
"入場料と引換えにサックを受け取ること"や、"用済みの上は直ちに退室する事"等、かなり生々しい言葉が並んでいます。
そして、元慰安婦のかたの証言ビデオの流れる隣の部屋に、どこか見覚えのある島の写真が・
竹島(※韓国名・独島)の写真が展示されていました。
↑の写真はTV画像が白くとんでしまってますが、TVには竹島からのライブ映像(※KBSが定点カメラを設置している)でした。鮮明な画像で、岩場で飛び交っている海鳥もハッキリわかる位でした。
勿論、日本人の僕からしたらこの展示を見せられても、竹島は島根県に属する日本の領土で、韓国が国際法違反で占領中という認識から何ら変化ありません。
ビデオライブラリーもあり、竹島がいかに"韓国領"であるのかをご丁寧に解説してくれています
又、このビデオライブラリー、日本だけでなく中国にも矛先を向けていて、中国の社会科学院が"韓民族は中国の少数民族の一つ"と分析していることに憤慨しています
↑の、大きなラッパの先のような中へ入ると、日帝侵略(※と同館では言っている)の歴史を解説する映像が流れます(※主に学生向け)
第4館は主に、"3.1独立運動"についての解説です。
3・1運動といえばご存じ、日本の植民地支配から独立しようという民族運動の事ですが、その盛り上がりの過程と、"日帝"からの弾圧を細かく説明しています(※勿論、韓国側からの立場でですが)
↑拷問室の様子も再現。
実は僕、この独立記念館を訪れるのは2回目で、前回は当別荘創設前、開館直後に来たんですが、その時はもっとこういう日本軍の拷問関係の展示が多かったような記憶があります。
今回久々に来て、かなり展示替えされているなぁと思いました。
なお、前回来た時は入場券を買って入った覚えがありますが、今回無料になっていました(※2008年から無料化されたそうです)
第5館では、独立のため戦った『大韓民主独立軍』(※中国で設立された)の戦いをひもといています。
かなりリアルに、戦いの様子を再現している人形。
そして第6館では、臨時政府が独立を宣言する様子や、その後の李承晩政権までの、いわゆる"光復"(独立の回復)を紹介して締めています。
じっくり見学すると、1時間半以上はかかります。
しかも6館は各々別の建物なので、その間の移動も含めるとかなり歩き疲れます
見学がおわりました
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再び、来る時通った巨大な↑キョレの家を通り抜け、バス停に戻ります
我々日本人からすれば、いささか一方的な歴史観がなくもない同館の展示ですが、韓国の小中学生はこういう場所を見学して(※させられて)歴史認識を育んでいると思うと、ちょっと複雑な気持ちになります。将来の、未来志向になるべき日韓関係に影響しないか心配にもなります。
それになぜか、独立の歴史とは関係ない竹島まで登場させていて(※前回来た時には竹島の展示は無かった)、韓国(※特に若者)の対日感情を変な方向に持っていかないかと、憂慮せざるを得ません。
勿論、北朝鮮や中国と違い、韓国は言論の自由がある民主国だし、観光で日本を訪れる人も多く、日本の姿をリアルに知っている一般の韓国の人は、こういう国家施設を冷静にみている人も多いと思います。
日韓間に限らず、世界中どこの国でも、大抵隣国との間には何がしかの問題は抱えています。ギリシャ/トルコしかり、イスラエル/パレスチナしかり、インド/パキスタンしかり、英国/アイルランドしかりetc、世界の隣国同士で、何の問題も無い国のほうが少ないです。
歴史は歴史として、お互いが正しく事実を直視して、反省すべきは率直に反省し、その上で未来へむけて仲良くやっていくしか、両国のすすむ道はないと思います。それ以外に、引越できない両国がとる道は何があるんでしょうか。竹島の問題も、ハーグの国際司法裁判所で第三国が公正・公平に審議し、両国はそこで出た結論に従う事が必要だと思います。
今後も折にふれ、当別荘ではこの最も近い隣国を訪ねていきます
(※2022.7 2024.3 文一部修正)