毎度、批判覚悟の「た」シリーズです^
前回(※第10の巻)には畏れ多くも、歴代天皇が眠る多摩御陵に現れましたが、今回さらに、とんでもない所に闖入しました
どこへ行ったのか?早速スタートします
上野駅から↑都バスに乗って着いたのは、緑の中の小さなバスターミナル
そしてすぐ横にある、↑ビル群の中へ
ここは我が国最高学府・東京大学の構内です。
”東大饅頭”は、↑写真後ろに見える大学生協で売っています
「た」が今回提案してきた場所は、ここ、東大です
東大の構内は、正式な門以外にも、構内の周囲各所に出入り口があり、公立大学なので厳密に一般の立入りが禁止されている訳ではありません。建物外の構内なら、一定の規則の下に散策等をすることが出来ます
そして、先程のバス停(※構内まで都バスが乗り入れているのも凄い^)からすぐに、↑初めてなのに見覚えがある建物が見えてきました
時計台の尖塔が印象的な、この建物は・
↑ご存じ、東大安田講堂です。
この建物を見ると、高度成長期の日本に吹き荒れた"大学紛争"を思い出すご高齢のかたもいるかもしれません。
1968年、医学部内の紛争に端を発し、その収拾に学長が構内に機動隊を入れた事に多くの学生や教職員が反発、1年余りに渡る全学的な紛争になり翌年の入試が中止にまでなったという、現在の日本では考えられないような出来事の舞台となったのが、ここ安田講堂です。バリケード封鎖や火炎瓶合戦のニュース映像を、僕も子供の頃見たのを覚えています。
紛争後は、長年荒れた状態で放置されていましたが、1988年から改修工事に着手。約20年ぶりに『講堂』としての機能が復活。1991年からは卒業式もここで再び行われるようになりました
石造りの玄関・壁のあちこちに残る傷跡は紛争の痕跡でしょうか・
昭和史の舞台は、こんな都心にもしっかり残っています。
ところで「た」ですが、この歴史の舞台を前に、今のところはおとなしく、神妙に撮影等をしていますw
なお、安田講堂の前にある↑芝生の下(※地下)は、学生食堂になっています
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安田講堂からさらに、学内奥に入っていくと~
鬱蒼とした茂みが現れます。
都心とは思えない、緑深い光景です
”中庭”のようなんですが、それにしては荒涼とした佇まいです。
東大の構内にこんな所があったとは・
↑は"三四郎池"です。江戸時代、この地には加賀藩の屋敷があり、当時の池がそのまま残されているものです。正式には"育徳園心字池"といいます
こう見えてもw歴史好きの面もある「た」、↑池を眺め、しばし思索の時を過ごしているようですw。しかし多分、何も考えてないと思いますw
三四郎池、濁った水ですが、沢山の鯉が泳いでいました
↑“生態系構築中”という表現が、さすが東大と思いました^
↑前方に、玄関前にロータリーも付いた大きな建物が見えてきました。これは~
1928(昭和3)年築の、総合図書館です(※内部は学生以外立入禁止)
それまであった図書館は関東大震災で焼失、ロックフェラー財団が現在のお金に換算して約100億円(!)もの寄付を寄せ、↑の建物を再建したそうです。又、蔵書の再収集は国際連盟(※当時)が援助したといいます。
日本の最高学府、実は戦前から、多くの海外支援も入っているんです
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さらに、怪しげな「た」は、学内奥に入っていきます
学内を歩くと、大小様々な新旧の建物が、数多く建っています。
東大のみならず、どこの総合大学でもそうだと思いますが、構内を歩くと『東大』という纏まりよりも、"独立した各学部の連合体"という印象を感じます。
↑のレンガの塊のようなのは、明治時代にあった帝大医学部薬局の基礎だそうです。
東大の構内には、明治維新以来のわが国建築や学術に関する様々な遺構や現物が容易にわかる形で残されており、いわば東大自体が一つの"近代史の史跡"とさえ言えます。
各スポットには大抵解説版も設置されていて、”一味違う都心散策”が出来る場所だと思います
さらに、“東大”といえば・
「た」が歩く先に見えてきたのは、これも東大のシンボル的な存在です
それは・
ご存じ、↑赤門です
この赤門も三四郎池と同じく、江戸時代、当地にあった加賀前田藩屋敷の門を東大が引き継いでいて、現在は国重文に指定されています
一旦外に出て、本郷通りから赤門を撮影している↑「た」
赤門前には、↑古書店も並ぶ
↑昭和の香りのする喫茶店や古本屋も並び、本郷通は“東大門前町”の風情です
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再び学内に侵入した「た」、“銀杏メトロ食堂”と看板が出た建物の中に入っていきます。食堂や売店のある建物には、一般人も入れます
↑食堂は地下にあります。せっかくなので食べていく事にします^
はたして、東大の学食の味は・?
食堂と廊下を挟んだ向かい側には、文具屋さんや論文を製本する店等も並んでいて、学生生活の一端を垣間見る事も出来ます。「た」の右側にある↑レトロな洗面台、この建物も相当な年季が入っています
↑「た」が注文したのはカツカレー、美味しかったとの事^
そろそろ警備員に捕まらないうちにw、医学部のある池之端側の門から、東大をあとにします
ちなみに↑「た」はこの時、『東大の門から出たからワシは東大出や!』と譫言を言ってました。この男につける薬は無いようですw
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池之端から出ると、すぐに見えてくる↑大きな池
ご存じ、上野・不忍の池です
ここからスカイツリーもはっきりと見えます
上野駅まで戻ってきました
本日はこれでゴール・と言いたいところなんですが・
「もう1カ所行く」と言い出す「た」
上野駅から山手線に乗り・
数分で着いたのが、↑丸の内レンガ駅舎が復原完成して注目を集める、日本の玄関・東京駅
「た」がこの都心で行きたいのは、どこなのか・?
先日改修が完成したレンガ駅舎の見学もそこそこに、「た」が向かっていったのは~
↑広大な玉砂利、皇居前広場です。
ここに来れば、大抵の観光客はまず二重橋を見学しに行くと思うんですが、「た」が足を向けたのは二重橋の正門ではなく、”別の門”・
長年彼の行動をみてきた僕は、なんとなくイヤ~な予感が・
予感的中、やっぱりやらかしてくれましたw
↑の門は一般人出入禁止の"桔梗門"ですが、常識的な範囲を越えて近づき過ぎた「た」は、警備の警官から質問を受けていました(汗笑)
(※桔梗門の奥には、皇宮警察の本部等があります)
何とか無罪放免されw、散策再開
次に「た」はようやく、皇居正門(※二重橋)へ向かいます
当別荘創設5年目にして、ついに"日本の中心"が初登場しました。でも"、"With「た」”ですが
↑正門前のお濠にかかる橋と、その奥の皇居内の橋が重なって見えるのが、"二重橋"の名称の由来との事。
一般参賀の際には、一般国民もこの橋から皇居内へ渡ることが出来ます
そして「た」が関心を示してたのが、↑正門の前でピリッとも動かず警備する皇宮警察の護衛さん
しかしこの後、護衛さんが動きました。後ろの詰所にある電話で、どこかと連絡しているようにも見えました。「た」が来たので、不審人物の連絡をしていたと思われますw
二重橋前から、↑日比谷方面をのぞむ
その後、内堀通りに一旦出た「た」は・
この門の中は、皇居東御苑です。
1968年(※明治百年記念)から公開が始まり、毎週月曜と金曜を除く週5回、入域できます(※2012現在)
↑の門、去年の東日本大震災で一部損傷しましたが、現在は修復されています。
皇居東御苑といえば有名なのが、↑三の丸尚蔵館
宮内庁に伝わる書画・美術品等、貴重な文物が拝見できます。
この尚蔵館を含め、東御苑は入場無料です
さらに苑内奥には・
↑"百人番所"等、江戸城当時の建物や遺構も数多く残っています。
苑内奥の広場、ここにはかつて~
↑江戸城・天守閣がありました。石垣だけが残っています。
この江戸城天守閣、明治の廃城令や先の大戦で破壊されたのではなく、江戸初期の"明暦の大火"で焼失、それ以降は種々の事情により、再建される事はありませんでした
天守台に登ってみます
そんなに高い位置ではないんですが、都心のビル群が360度のパノラマで見渡せます
天守台の周りには、いろんな植物が育っています
ムクゲや彼岸花も咲いていました
何とか逮捕を免れw、皇居周辺を堪能した「た」は・
お濠沿いの爽やかな内堀通りを歩いた後、爽やかでないどこかの街へ消えてゆきました・w
(※2022.7 2024.4 文一部修正)