夏恒例、帰省がてらに撮ってきた作です
兵庫県は姫路市に、小さいながら気になる施設がオープンしたと知り、行ってまいりました
↑冒頭から分かりにくい写真ですが、↑JR姫路駅付近の高架線です
数年前に高架化工事が完成し、国鉄時代とは大きく変貌した姫路駅ですが、つづいて駅ビルの改修工事が行われていて、いまだ全貌がよくわかりませんw
そんな姫路駅前からまっすぐ真北に、姫路のシンボル・姫路城へ伸びている目抜き通りが↑『大手前通り』
こんな広々とした駅前通りは戦前まで無かったんですが、先の大戦で灰燼と帰した姫路の街に、1955(昭和30)年、戦後復興のシンボルとしてつくられました
大阪の御堂筋と同様に、時代を先取りした『都市計画のモデル』として当時注目されたんだそうです。又、現在でも全国的になかなか進んでいない『電線地中化』を、半世紀以上前の当時から採用する等、斬新な発想の下に造られました
なお、↑写真ではわかりにくいですが、2012現在、姫路城にはカバー(※工事用覆屋)がかかっています。今"平成大修理"の最中なんです。
知らずに城を見に来た観光客はがっかりするらしいんですが、でも修理中の風景って滅多に見られるものではないので、僕は逆に、今こそ見に行く価値ありだと思います(※覆屋の中で、修理中の光景を見学できます)
そして、工事中でわかりにくいJR姫路駅の向かいには、わかりやすい建物のw、↑山陽百貨店
このデパート、1Fには神姫バスのターミナルが、2Fには山陽電車の姫路駅が入っている、いわば"姫路の交通センター"的役割も有しています
神姫バスについても書きたい事はいっぱいあるんですが、今回のテーマとは違うので我慢してw、今作の目的地へ行くため、山陽電車に乗ります^
梅田から乗り入れしている↑阪神電車・直通特急の隣には、ちょっとレトロさが漂う山陽の普通車(※3000系)がのんびりと停まっています^
これから普通車に乗り、隣の手柄駅まで行きます。
↑1969(昭和44)年製、もう半世紀近く走ってますが、山陽ではまだまだ現役世代です^
ちなみに山陽の車両は、全て地元・神戸の川重で製造しています
隣駅・手柄駅に着きました
これから見に行くのは、知る人ぞ知る、"姫路の昭和史"です。
近年、山電各駅のホームに、↑のような大型の”名所看板”が登場しました
↑看板の絵の通りで、ここ手柄駅からすぐ、姫路駅からだと南西2km程に位置する『手柄山』という丘に、姫路市が造ったいろんなレクレーション施設が集中しています
↑の絵に描かれていますが・
姫路にはかつて、短期間『モノレール』が走っていました。
これから行く手柄山~姫路駅間を結んでいました。
その歴史を展示する施設が、昨年(2011)オープンしました。
当時の実車もあるそうです。そこが今作のメインテーマです
人影もほとんどない、↑寂しい昼間の手柄駅
隣駅がターミナルの姫路駅だとは思えない位の寂しさですが、山陽電車の途中駅(※特に明石以西の特急通過駅)って、大体こんな光景です
手柄駅前の踏切から、↑まっすぐ西へ歩きます
駅から徒歩7~8分位で、手柄山の緑がみえてきました
↑案内板の通り、手柄山には水族館をはじめプール、植物園、球場、体育館等、各種公共施設が集まっています
しかしその割には手柄駅からここまでの写真、人がほとんど写っていません。なぜか?
別に人が入らないよう特段注意して撮影した訳ではありません。いくら猛暑日と言っても、昼間なのになぜ人影がないのか・
答えは↑です。駐車場待ちに並ぶ車の長い列
播州は、典型的な”郊外型車社会”なんです。名古屋近郊とかの東海地方と似たところがあります。電車を使うのは通勤通学のみで、ちょっと出かける時も大抵は車というのが播州スタイルともいえます
行った日が夏休み期間だったので、市営プールへの家族連れで大混雑していました
目当てのモノレール展示館は、『手柄山交流ステーション』という、水族館と一緒になっている建物にあります。
↑のエレベーターに乗って入口まで上ります
この手柄山の中腹に、かつてモノレールの駅がありました。
その跡が今、展示館となっているんです。
併設の水族館は有料ですが、モノレール室だけ見学なら無料です^
着きました!
お~、↑早速モノレールが・
1966(昭和41)年開業、わずか8年でその役割を終えた姫路市営モノレール、奇跡的に現地で存置されていた車両が今、約40年ぶりに、人々の賑わいの中へ戻ってきました。
モノレール展示室の展示方針は、"開業当時の華やかさ"がテーマなんだそうです
↑車掌さんも乗務しています^
ホームには2両編成で保存してあり、↑そのうち1両は車内にも入れます。
姫路駅~手柄山間1.6km、わずか4分の距離だったのに、シートは4名対面式のボックスシートを配置
短い時間でもくつろいでもらおうという心遣いが感じられる、ゆったりとした車内空間
東海地方、特に静岡県で独占状態のJR某社さん、この精神を少しは見習ってはいかがでしょうか^
↑錆がみられる運転台、レトロな機器に時の流れを感じます
車内では、当時撮影された貴重な走行風景の画像も公開されています。↑立体交差している山陽の車両は、懐かしい旧塗装ですが、その車両はさっき手柄まで乗ってきたのと同型、3000系です^
↑車体の所々に浮く錆。
しかし懸命に研磨した跡もみられ、公開のために精一杯化粧直ししたことが伝わってきます
モノレールプラットホームの向かい側には、↑姫路の公営交通(※モノレール/市バス/書写山ロープウェイ)の沿革が一目でわかるパネル展示となっています
↑のパネルで、モノレールに負けない位力を入れて説明しているのが『姫路市営バス』について
姫路市バス、終戦直後から姫路の街を走り始め、かつては系統数で40以上の路線を擁していましたが、前述の通り車社会の姫路にあって経営状態が悪化。神姫バスとの路線交換、譲渡など共存も模索しましたが万策尽き、2010年、残存路線を神姫バスに譲渡した上、廃止となりました
当時の市バスで使われていた機器も展示しています。
↑はバス車内に装備されてた音声案内装置、現在では音声をICチップに記憶させたタイプですが、当時は"8トラのテープ"、かつてはカラオケによく使われていたものです
そして年表の最後には、↑最終日、車体に取り付けられたお別れの幕が・
同市バスの、白鷺が舞うシンボルマークを掲げたバスが、姫路の街から消えてゆきました
なお兵庫県では今年(2012)、明石の市営バスも廃止になっており、関東では考えられない程、地方の公営交通は危機的な状況にあります。
姫路市営モノレールは、1966(昭和41)年5月、政令指定都市でも前例のなかった、日本初の公営モノレールとして開業しました
開業にいたる直接的な動機づけは、同年この手柄山で開催された"姫路大博覧会"への交通手段という事なんですが、当時の姫路市はこのモノレールを、単なる博覧会用でなく、鉄道や自動車に代る“次世代交通機関”として位置付けていました。
開業した路線は姫路駅~手柄山のわずか1.6kmでしたが、将来的には飾磨港等の市内各地を結ぶ路線や、さらには鳥取までの延伸(!)も検討されていたとかで、当時は壮大な夢が膨らんだ計画だったんです
↑モノレールの開業を誇らしげに伝える、当時の姫路市の広報紙。
立体交差の下を走る山陽の旧型車に比べれば、まさに”最新式の乗り物”という印象を見る者に与える写真です
今来ているモノレール展示館の、↑現役当時の写真。
手柄山の中腹にあった、中世のヨーロッパの城を思わせる駅舎から出てくるモノレール、当時この光景を見た人々は、まさに”未来の夢”をみた事でしょう
モノレールには製造メーカー等によっていくつかの形式があり、『日本跨座式/東芝式/懸垂式』等、各地の実情に応じて採用されました。姫路のモノレールは、日本ではここと神奈川の向ヶ丘遊園の2ヶ所にしか無かった、『ロッキード式』です
ロッキード式の最大の特徴は、他の方式がコンクリート軌道の上を直接車体を跨がせて走る(※つまりコンクリート軌道そのものがレールの役割)なのに対し、ロッキード式ではコンクリート軌道の上に通常の鉄道レールを1本敷き、それに車体の鉄車輪を密着させて走行させました。
まさに『モノレール』だったんです^
しかし、この"ロッキード式"を採用した事が、姫路モノレールと短命に終わらせた一因にもなってしまいました(※後述)
特徴は、他の方式に比べ安定した高速走行(※設計では時速160kmも可能との事)が出来るとの事で、姫路~鳥取間のモノレール計画もそのあたりから持ち上がった計画でした。
現在でいえば"リニアモーターカー"に匹敵するような国家プロジェクト級の事を、一地方都市が計画しようとしていた・という話です(驚)
こんな壮大な夢の下に開業した姫路のモノレール、↑当時の少年マガジンにも"世界一のモノレール"として紹介され、姫路のみならず、全国の子供たちに夢を与えました
しかし、その"夢"は長くは続きませんでした。
姫路大博覧会終了後、乗客は激減し、モノレールは大赤字に陥りました
しかもこの路線、冒頭乗ってきた山陽電車とほぼ並行しており、手柄山に行くのにモノレールが無くても元々何の不便もありません。その上莫大な建設費のために運賃が非常に割高(※片道100円、当時山陽の姫路~手柄間が20円だったので5倍もの高運賃だった)、客離れは加速度的にすすみました
又、技術面でも、製造メーカーの日本ロッキードモノレール社が事業からの撤退を表明。前述の通り、同方式のモノレールを日本で採用した路線が他にほとんど無かったため互換性が効かず、国内メーカーはメンテナンスも出来ないという状態になってしまいました
↑の市広報紙は、市民へ休止への理解を求める内容です。
夢いっぱいの開業からわずか8年後、1979(昭和49)年、市は休止に踏み切らざるを得ない状態に追い込まれました
その後、1983(昭和54)年に正式に廃止手続きがとられ、モノレールと手柄山駅舎、そして約2kmの軌道敷が"負の遺産"として残置される事となりました。
車両は、前述の通り特殊な仕様だったため、他線へ譲渡する事も出来ず、長らくこの手柄山の山中で、廃駅と共に、保存というより”幽閉”されていたんです。
廃止後の姫路で、モノレールの話は、特に公的な場ではタブーとなってしまいました。運営中に生じた蓄積赤字の処理法が決まらないまま、廃止になってしまったからです。
実家にいた頃、そういう話を聞き及んで育った僕は、"姫路市がモノレールの資料館をつくった"と最初に聞いた時「まさか、ウソでしょ?」と正直思い、ホント驚きました。
約半世紀の眠りののち、再び人々の前に現れた”幻のモノレール”、往時を知る姫路市民に何を語りかけるのでしょうか・
車両や駅とともに、↑いろんな用品類も案外多くありました。おそらく手柄山の廃駅に置かれていたものでしょう。
↑の看板『モノレール教室参加者は片道運賃で往復乗れます』というのが気になりますがw、”モノレール教室”ってどんな内容だったんでしょう?^
当時、モノレールの車両は合計4両ありました。
保存されているのは先程ご覧の2両ですが、あとの2両は解体され、↑部品が残されています。
先程車掌さんがいたのと反対側の先頭には、↑運転手さんが帽子を外して汗を拭いています。遊び心感じられる人形です^
↑連結部分です。
4両のうち2両は両側に運転台を備え、混雑度によって柔軟に編成両数を変えられるようになっていました。
実際には、博覧会期間中は3両、終了後は2両編成で運行されていたとの事です
当時のものか復元か不明ですが、↑時刻表も
運行は日中のみで、平日20分毎/休日15分毎だったようです
展示室さいごになりますが、↑こんな貴重な写真もありました
地元の写真愛好家のかたが撮影されたとの事ですが、モノレールの後ろに国鉄のSLが写っています
まさに"昭和のコラボ"、素晴らしい写真だと思いました
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モノレール車体の下部が、↑水族館改札の奥に見えています
すると、水族館受付のお姉さんが「車両が見える所まで入って撮影して頂いていいですよ^」という親切なお言葉^(感謝)
おかげで、下から↑車体の全体をじっくり観察できました
姫路モノレール展示室、小さな資料館でしたが、知られざる”播州の夢”の顛末を将来へ伝える、大変貴重かつ有意義な展示だと思いました
姫路市立水族館は、モノレールの開業と同じ年、1966(昭和41)年、手柄山にオープンしました。前述の姫路大博覧会に合せてつくられたと思われます。兵庫県では神戸の須磨水族館につづく2番目の本格的水族館として、当時注目されました
この水族館は『亀』の繁殖・研究が得意との事で、日本初のウミガメが触れるタッチプールを設置したりしているそうです
2008年から一時休業しリニューアル、昨年モノレール展示館オープンと同時に、『手柄山交流ステーション』の一角として再オープンしました。
現在は地元播磨灘の魚類や、播州平野の特色である”ため池”の水辺生態の展示にも力を入れているとの事
手柄山の中腹、交流ステーションの渡り廊下からは、↑姫路の街が一望の下
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手柄山をあとにします
帰りは、今なお残るモノレールの軌道跡を辿りながら、姫路駅まで約2kmを、歩いて戻りたいと思います
↑モノレールの軌道が
今も(※2012現在)残っているんです。
廃止40年余を経た今なお、約半分位が撤去されず(※2012年時点)そのまま残置されたままになっています。
市内を流れる小川、↑船場川沿いの部分を中心に、今も残存しています
船場川沿いの工場や駐車場の横を横切る、"夢の跡"です
全線撤去するには、当時で20億円以上の費用がかかると試算され、市はこれまで予算化できませんでした。
軌道敷脇にあった↑恐ろしい看板、"体罰に処す"w
人に対してはわからなくもないですが、犬・猫への体罰ってどんな感じなのでしょうかw
軌道敷は、その後交差する道路や鉄道の工事が行われた箇所は、その部分だけ撤去されていますが、↑ご覧のように新幹線と交差する部分はそのまま残っています
1972(昭和47)年に新大阪~岡山間が開業した山陽新幹線は、当初から姫路モノレールの上を跨ぐ事を設計に入れて建設されていました
新幹線を越えて姫路駅が近くなってくると突然、↑風景が一層、昭和レトロな雰囲気に・
↑左側のレンガ造りの工場は、当地に古くからある塗料原料等のメーカー、山陽色素(株)の工場です。
船場川を挟み、モノレールの古びた軌道跡と絶妙なコンビネーションを醸し出した風景をつくり上げています
↑ビッシリとツタが絡みついている箇所も
姫路といえばご存知、日本で最初に世界遺産に登録された『姫路城』がありますが、このモノレール軌道跡も、僕は”産業遺産”と呼べる文化財になってきている気がします
そして、姫路駅に近づく手前、↑軌道が途切れた先に見える長細いビル
このビルは~
↑のビル、モノレール開業時に同時建設されたもので、当時先進的な都市計画のモデルといわれました。このビルの3~4Fに、モノレール唯一の途中駅・『大将軍駅』が入っていました。
2012現在、1Fは店舗、5F以上はUR賃貸住宅として使われています
(※2022追記・惜しくも解体されたそうです)
ビルの壁から、↑軌道がニョキッとわずかに突き出しているのが、このビルの特殊な生い立ちを物語っています。
駅ホームはそのままの姿で残されていると思われますが、残念ながら閉鎖されていて、見る事は出来ません。
それどころか、僕は現地でビルを1周して探しましたが、どこが駅入口だったのかも、全くわかりませんでした
ビルの片隅にあった小さな広場と、コンクリートの古ぼけたベンチが、かつてここにあった”駅”の名残をかすかにとどめています。
↑"撤去できないのなら、軌道敷跡を生かそう"という試みも始まっているようです。
橋脚にわざとツタを絡ませて、緑の景観をつくろうという取り組みです
先程みた山陽色素近くのツタの橋脚も、このプロジェクトによって養成しているのかもです
山陽電車の高架手前で、↑軌道は途切れていました。
姫路駅に一番近いモノレールの痕跡は、↑の地点までです。
軌道は取り去られていますが、桁下の"高架下商店街"が残存しています(※2012時点)
そして、モノレール姫路駅があった場所ですが↑面影はなく、駅前再開発に伴い、現在は山陽百貨店の新館になっています(※↑写真右側にJR姫路駅があります)
猛暑の中、軌道跡をたどり撮影しながら約1時間かけ、山陽姫路駅まで戻ってきました
↑ホームには、来た時の阪神車とは趣きが違う、アルミ車体の山陽車の直通特急が停まっていました。これに乗って姫路をあとにします
隣に停まっているのもアルミ車体の普通車です。
あまり知られていませんが、全国のJRや地下鉄で現在多く採用されている"アルミ車体の鉄道車両"を、世界で初めて実用化したのは山陽電鉄です。そのため同社は現在も、新製車の多くにアルミ車体を採用しています
又山電は、終戦直後に小田急より半年早く"ロマンスカー"と愛称をつけた特急電車を走らせる等、その昔山陽電鉄は、特に車両に関しては大手よりも先をいく、私鉄界のパイオニアでした。
半世紀前に電柱地中化した目抜き通りを造成し、世界初のアルミカーが走り、日本初の公営モノレールを開通させた、実は先進性溢れていた姫路の街
僕が出身ですので遠慮ない事をいいますが、播州人の特徴として『着想の先進性は凄くあるけど、持続性と発信力が不足』というのがあると思うんです。
さいごにモノレールについてもう少しWoの意見を述べておわりますが、仮に計画通り手柄山から飾磨港まで延ばしていたとしても、飾磨まで山陽電車とほぼ並行しています。路線計画の設定が熟慮不足だったと言わざるを得ません。
僕は考えるんですが、もしモノレールを、姫路駅の北西約4kmの"書写山"(※バスで約30分)へ敷設していたら、様相はだいぶ違ってたかもしれないと思います。
書写山は円教寺という名刹があり、沢山の観光客が訪れます。そこには姫路市が運営するロープウェイがあり、しかも書写山周辺には鉄道がなく、住宅も密集しています(※JR姫新線が同方向へ延びてはいますが、かなり離れています)
もし手柄でなく書写にむけて敷設していれば、現在でも存続していたかもしれません、しかしこれを今言っても詮無いことですが・
でも、ここにきて姫路市が『モノレール展示館』をつくったのは、僕は「よくぞ決断した」と思います。驚きましたが、率直に評価したいです
姫路市はモノレールの建設と廃止を、近年まで"負の遺産"として考え、大げさにいえば『姫路市政100年で最も大きな失敗』として位置付けてきたはずです。
当時発生した赤字・負債はその後の市政に、足枷となって重くのしかかりました。それゆえ、旧手柄山駅と車両は、長い間日の目をみず”幽閉”されていたんです。
モノレールの公開どころか、記憶から消し去ってしまいたい、無かった事にしてしまいたい・
廃止後ずっと、姫路市役所のお歴々方はそう思っていたはずです。
しかし、半世紀という時の流れが、少しづつ姫路市役所の雰囲気を変えました。かつて、モノレール建設を成し遂げた往時の石見市長の三男が、2003年市長に当選。父が残した"昭和の遺産"の整備・公開について、タブーを破って検討しはじめました。
そして水族館の改修とともに、『姫路の昭和を偲ぶ』展示施設とする事になり、奇跡の公開に至ったんです
世界遺産、白鷺城のある姫路の街にある、もうひとつの"昭和の、夢の遺産"、是非山電に乗って訪れて頂きたいと思います^
(※2015.9 2022.7 2024.4 本文一部修正)