ベトナム旅シリーズ、第3回です^
前回につづき、フエです
前作では、旧南北ベトナムの分断点・DMZ地帯をゆくツアーをご覧頂きました。今作では、古都・フエを代表する名所・王宮と、そしてフエで一番有名なお寺を訪ねたいと思います。ではスタート
雨季のフエ、目覚めてホテルのベランダから大聖堂方面を見渡しますが、朝からあいにくの雨模様
雨の朝、宿を出て街中へ
前作で、夜のライトアップを見に行ったチャンティエン橋も、↑通勤ラッシュ、バイクで思い思いに通勤する人々の波
交差点脇の、↑ホーチミンさんのスローガンを掲げた看板が、辛うじてこの国が社会主義だという事を思い出させてくれます
川を渡って向こう岸へ
このフォーン川を挟んで、宿や飲食店街がある側が『新市街』、これから行く王宮側が『旧市街』に分かれています
↑かなり広い川幅、多摩川の倍近くありました。まさに大河です
旧市街といっても街中の光景はさほど変わりなく、道路にはカッパを着たバイクの洪水がつづきます
橋を渡ってしばらく川沿いを歩くと・
↑ドデかい旗がはためく、掲揚台が見えてきました
フエ名所の一つ、↑"フラッグ・タワー"です。
巨大なベトナムの国旗が掲揚され、まさに社会主義国家のシンボルのようになっていますが、しかしこの旗塔は社会主義になってから造られたものではなく、1809年に当時の王政(※ザーロン帝)が建てたものです。
建造以降は災害や戦争で何度か破壊され、現在のものはベトナム戦争の最中につくられました(※銃弾の痕跡も残っています)
旗塔の周囲は広々とした緑地になっています。
お濠が巡らせてあります
フラッグタワーの奥に、これから行く王宮があるんです。
“廣徳門”と、↑漢字で書かれている門をくぐります。
(※『ベトナムと漢字』については後述します)
門をくぐるとすぐ目に入ってくるのが、↑の"大砲"
この大砲は当初から砲撃能力はなく、中国の五行思想に基いて、王宮を超自然的なパワーで守護しようという、まじない(風水?)的に配置されたものだそうです。
フラッグタワーの内側は、↑石畳の広い広場になっています。
その広場の奥に、王宮の正門である『午門』(ゴモン)が見えてきました。
王宮の各建物は勿論、ベトナムの地名の多くには"漢字名"も併せてついています。
ここで、ベトナムと漢字(※ベトナム語と文字)について、そして王制だったベトナム・フエの歴史について少し纏めます
ベトナムは1800年代にフランスの進攻をうけるまでは、王制の国で、このフエが、王政ベトナムの首都でした
元々ベトナム語は、文字を持たない言語です。
近隣のタイ/カンボジア等は各々オリジナルの文字を持っているのに、なぜかベトナム語には、独自の文字がありませんでした。
そこで、文字による記録が必要な場面では、中国の漢字を使うという事を当時の知識人はしていたそうですが、中国語とベトナム語では全く言語の系統が違うため、全てのべトナム語を漢字で表記する事は不可能だったようです。
そこで、漢字からつくられた"チューノム"という文字をベトナムではつくったようですが、一般人には使えないほど難解な字で、普及しなかったそうです
同じく漢字が伝わった日本でも、漢字からひらがなやカタカナが日本独自でつくられ、漢字より簡単に文字を書けるようにしましたが、ベトナムではなぜか、その逆の進化をした文字になってしまったんです
現在ののベトナムでは、アルファベット表記が使われていますが、これはフランス統治下の頃に普及しだした『クオック・グー』という"ベトナム式ローマ字式表記"です。
おかげで外国人でも、看板等を見ると、意味はわからなくても”どう発音するのか”は、ある程度わかるという訳です
ちなみに漢字はベトナムで普及しませんでしたが、"漢語の単語"は中国から沢山入ってきています。その中では日本語に近いものもいくつかあります。
例えば↑の"クオック・グー"も漢字に直せば『国語』ですし、先程の"午門(ゴモン)"は、ベトナム語でも"NGO MON"です。
この午門の"午"は"南の門"、すなわちベトナムでも"午"は太陽が南に来た時という意味があるので、日本の"正午"と同じです
文字の話が長くなりましたが、そろそろ王宮に戻ります
↑の午門は、王宮への正門(南門)にあたります。現在でも見学客はここから入場します(※入場料55000ドン 2012当時)
門の中央に掲げられている↑写真は勿論、ホーチミンおじさんです^
中へ入ると・
街中と同じく、テトを彩る黄色い花が並びます
午門から有料区域に入れば、街中の喧騒は全く聞こえてきません。ホント別世界のようです
↑正面に、王宮メインの建物である『太和殿』が見えます。
この太和殿の内部のみ撮影禁止で、内部には国王が座っていた豪華絢爛な椅子(玉座)などがありました
太和殿の屋根にも随所に、↑漢字の書かれた陶板を目にします。
太和殿の見学を終え、裏手(※午門の反対側)に出ました。
実はここから奥が、王宮見学の本番です
太和殿の裏庭です。黄金の竜が宮殿を見据えています。風水的に王宮を守っているんでしょうか
その竜が見据えている、屋根の上にも竜が・
そして↑の竜がいる裏庭の左右には、特徴ある門があります。
東側の門には、↑"精日"(太陽)が
門の位置そのものが日の出と日の入りを表しており、自然への崇敬を示していると思われます。
裏庭の左右には、各々↑な建物があります
"右蕪/左蕪"(うぶ・さぶ)と呼ばれる官吏の詰所だそうです。
現在は右蕪は展示室、左蕪はイベントルームとして使っています。
↑は右蕪の屋根の装飾ですが、この紫の枠が写真写り以上になんとも鮮やかで、インパクトある美しさでした
右蕪の展示の中に、↑まだ幼少の国王が、輿に乗って練り歩いている、貴重な王制時代の写真がありました。
ベトナム最後の王朝・阮朝は1887年、フランス統治下になるまで存続していた(※名目上は1945年の太平洋戦争終結まで存続)ので、わずかながら当時の写真が残っています
この空き地にも様々な建物があったそうですが、ベトナム戦争で大半は焼失してしまったとの事です。
敷地の片隅には回廊や壁などが部分的に残っており、かつての栄華の片鱗が偲ばれます。
回廊の屋根にも、↑あでやかな竜の絵が・
このフエの王宮、どことなく沖縄の首里城と似た雰囲気を醸し出しているのを僕は感じました。
前述の"漢字の文化"といい、ベトナムと日本の文化・歴史は脈略とした繋りがあるような気がしました。
なお、この王宮は1993年に世界遺産に指定されて以来、現在も修復工事が行われていて、現在更地になっている裏手も、いずれは往時の華麗な姿が再現されるはずです
敷地の一番奥から、↑フラッグタワー(太和殿)のほうを振り返った所。かなり遠くからも旗がはっきり見えます^
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戻ってきて、入った時にひとつ大事な事を見過ごしていた事に気付きました。それは・
午門の横に階段があって、門の上部に登れるんです
という事で、早速登りました^
↑写真は、門の2階にあたる部分から正面を撮ったものです
2階は、内部が空洞というか広間になっていて、護衛の詰所や、国王が国民に謁見する時等、多目的に使っていたようです。
午門の2階から、↑フラッグタワー方向を見下ろします。
かつては王族だけが見ることの出来た光景です
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果物や花屋さん等、いろんな露店が出ています
前作のDMZツアーでもよく見かけたんですが、ベトナム全土で普及しているというのが↑"カラオケ屋"さん。"KARAOKE"はもう世界共通語です
統一鉄道の踏切を渡り、郊外へ足をすすめます
↑国道の標識に、右斜めは"ハノイ651km"、直進は"ティエンムー寺3km"
これからフエを代表する寺、3km先のティエンムー寺院を訪ねます^
フォーン川沿いを、ひたすら歩くと~
フォーン川が少しカーブしているところで、道は途切れ・
その突当りに、ティエンムー寺があります。
”八角塔”で有名なお寺です(※世界遺産)
早速、八角塔が見えてきました^
階段の先で、↑八角塔が待っています^
↑八角塔の傍まで来ました。おとぎ話の挿絵にありそうな、幻想的な形にも見えます
ティエンムー寺の玄関口にそびえる、八角塔です
この塔は、"慈悲塔"という一名もあります。正面には"福禄宝塔"との銘もありました。
そして、八角塔の奥に、↑寺の正門があります
ティエンムー寺の漢字名は、↑『霊姥寺』
お寺に限らず、前述しましたように元々漢字文化のベトナムは、地名等に大抵漢字名も付いています。
ここフエは『順化』、フォーン川は『香江』といいます
門の横には、↑仁王さまや閻魔さまなどがズラリ並びます。
日本の寺門でも見かけるのと同様な感じで、ここにも文化の共通点を感じます
門をくぐると、↑正面に本堂が
1601年創建と伝わるこの寺、この地に伝わる天女伝説により建てられたとも言われ、別名"天女の寺"ともいわれています
”天女の寺”、なかなかロマンある名です^
写真ではわかりにくいんですが、↑本堂の中では本尊が安置され、お香が焚かれ読経が行われていて、日本のお寺と変わらない光景でした。
僕の個人的な感想では、中国や韓国のお寺より、雰囲気が日本に近いような感じもしました
ちなみにベトナムの仏教は、日本と同じ大乗仏教で、近隣のタイ/ラオス/カンボジアが主にテラワーダ仏教であるのに比べると、この点でもベトナムが、インドシナの中でも特に日本に近いものを持っている事が窺えます
↑手前中央に、少年の小坊主さんが写っていますが、この寺には宿坊も付設され、沢山の修行僧さん達を見かけました。
そしてさらに、本堂の奥へ
裏庭に↑多数の『盆栽』がありました
またもや共通点を発見。ベトナム人と日本人、ただならぬ縁がありそうです
この塔には、"幸福と天の恵み"の意味もあるそうです。
幸福をもたらして頂けるように祈りつつ、あとにしました^
この八角塔のある場所から見下ろす、↑フォーン川がまた絶景でした。ちょうど川がカーブしている付け根に位置しているので、いいビュースポットです
逆に、川に浮かぶ船からも、八角塔はよく目立つそうです
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王宮&ティエンムー寺の見学も終え、フエをあとにする時がきました
再びホーチミン市へ戻るんですが、往路はシリーズ初回ご覧の通り夜行列車、でも復路は飛行機にします^
↑フエ・フーバイ空港へ到着(※フエ市内から車で20分程です)
来る時は夜行列車で19時間かけて来たフエ市、ホーチミン市への戻りは、飛行機でわずか80分^
“ベトナムの地方空港ってどんなんだろう?”と、興味深々で来たんですが、↑写真の通り、日本の地方空港と変わらない感じ、落ち着いた雰囲気の空港でした
ホーチミン市には2012現在、毎日4~5便飛んでいます
(※2012当時)円高にモノをいわせて、日本で滅多に乗らないビジネスクラスを奮発しましたw
チェックイン時に↑搭乗券と共に渡されたのが『ラウンジ利用券』
ベトナムの地方空港にも、ビジネス用ラウンジがあった事に驚く
↑ラウンジ入口です
ベトナム航空は国際アライアンス・スカイチームに加盟していて、ビジネスクラスのサービスも勿論国際基準です。国内線の地方空港といえど、手抜きはしていませんでしたw^
ラウンジには食べ放題のお菓子やビールもあるんですが、↑ベトナム製のカップラーメンがあったので試してみました
味は、街中で食べたフォーと同じくスープ風の味でクセがなく、中国や韓国のカップラーメンよりも日本人の舌に合うと思います^
ホーチミン市から、折り返し僕の乗る飛行機・A330がやってきました
フーバイ空港ビルにはボーディングブリッジ(蛇腹)がないので、タラップから機上の人になります
う~ん、やっぱりビジネスクラスの椅子は広いw
↑はアオザイのスッチーさんですが、僕の席を担当した男性パーサーは何と日本語ペラペラで、まさかベトナム国内線で日本語サービスが受けられるとは夢にも思いませんでした^
フーバイ空港で面白かったのが↑、飛行機が滑走路で横向けになっているところですが、ここでUターンしているんです
フーバイ空港には誘導路が無く、飛行機はエプロンから直接滑走路にいきなり入り、端っこのスタート地点へ。そこでUターンしてテイクオフします。日本でも離島の空港等でみられますが、僕この方式の空港すきです
ビジネスクラスという事で、国内線でも↑軽食が出ます。"みかん丸ごと1個"が面白い
件の、日本語堪能なパーサー氏が「どうぞ召し上がって下さい」と日本語でサーブ
定刻通り1時間20分で、夜のとばり降りるホーチミン市・タンソンニャット空港に到着
今作ここまでです、2作に亘って古都・フエをご覧頂きました
王政時代の首都であったフエ、前作のDMZツアーでご覧頂きましたが、かつては南北ベトナムの国境が貫く激戦の地でもありました。又、王宮文化から派生した”食の都”でもありました
まさにベトナム歴史の舞台に立ち続けたフエ、僕が今回、初のベトナムで、ホーチミン市以外唯一の訪問地に選んだ理由です。
次作、第4回からはベトナム旅後半、再びホーチミン市へ戻っておおくりします。お楽しみに^
(※2022.6 2024.4 文一部修正)