vol.105 東海道53次ブラ ⑤ 江戸版"ツインシティ"だった? 愛知・二川宿 | 旅ブログ Wo’s別荘

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年明け恒例、東海道五十三次シリーズですグッド!

 

今回は愛知県の東端に位置する、豊橋・二川宿を歩きますクローバー
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JR豊橋駅から東京方向、隣駅が二川駅です。愛知県最東端のJR駅です電車
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近年改築され、↑橋上駅になっていますキラキラ
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駅前を走る道路が早速、旧東海道です。

これから歩いていきますが、二川宿の見所は、東海道全宿場の中で、往時の建物が現存しているのは2ヵ所だけという、本陣です。

ではスタートします走る人
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途中にあった↑消防団のポンプ庫消防車

シャッターに、昔の街道筋のイラストが描かれています。

建物左側の庇下にはトイレとベンチも備えられ、街道を訪ねた人にも配慮したつくりですチョキ
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神社の鳥居が見えたので、少し寄り道しますカメ

街道筋から少し入ったところにある、大岩神明宮です。
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本殿のわきには狛犬さんのほか、狛牛や狛馬(?)さんもいます^わんわん

ここ、創建は西暦698年に遡るという古社で、以降何度か大岩郷の移転に伴い神社も遷宮し、1712年現在の場所に鎮座したと伝わります。

 

ここで、“大岩郷”という地名が出てきましたが、実は二川宿、江戸期になってから東海道の整備に合わせて発展した宿場町なんです。大岩郷の名については、後程訪ねる本陣資料館のところで詳述しますメモ
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大岩の名前にかけているのか(?)、神社では珍しい↑"岩ゴツゴツ"の外塀が面白い^グッド!

 

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神社への寄り道から、東海道へ戻りますリサイクル

先程のポンプ庫のあたりから道が狭くなり、街道沿いには当時から残る民家も目立ってきました家

 

駅からしばらく歩くと、ようやく旧街道らしい街並になってきました^馬
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街道沿いの一般の民家には、↑お揃いの小さな“のれん”が吊ってあるのが目につきます目

旧街道ならではの”プチ演出”、二川を訪ねてきた旅人を歓迎しようという気持ちが伝わってきます合格

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さらに歩くと、↑江戸時代から残る旅籠が建っています。

そして、そのななめ向かいには・
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街道筋に面して保存されている、↑二川宿・本陣です。

併設されている『二川宿本陣資料館』とセットで一般公開されています星
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では、本陣資料館へ早速おじゃましますヒツジ

(※台数少ないですが駐車場もあります)駐車場
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資料館は2階建で、順路は2F
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なかなか本格的な、見応えある展示が並びます目


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古文書等の史料が豊富なほか、同館では↑"当時の旅人の様子"を紹介する事に力点が置かれていて、かなり興味深く見学する事ができました。当時の東海道を行き交った人々の姿が、頭に浮かんでくる感じでしたコスモス
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当時の旅籠で出されていた↑夕食メニューも再現割り箸

味噌田楽と菜っぱめし、なかなか美味しそうです^
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模型も色々とありました。

東海道といえば参勤交代ですが、その大名行列を再現(※↑実物の籠も)
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居並ぶお店の賑わいを再現した模型もあれば・
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↑二川宿全体の精緻な俯瞰模型もありましたひらめき電球

 

ここで二川宿の成立ちについて、同館で勉強してきた事を含め、少し書きたいと思います。

↑の模型ように長細い二川宿の街並は、元々は"2つの村"から始まったものです。というのは・

 

先程の神社のところでチラッと出た"大岩"の名、街道沿いに細長く続いている二川宿の街並ですが、

西半分は元々『大岩村』、東半分は『二川村』で、いわばツインシティなんです宝石紫宝石緑

 

人口や商店の数は二川村のほうが少し多く、いわば"メイン"の二川に対して、大岩は”加宿”と呼ばれるサブ的な役割との事で、一般にこの宿場を『二川宿』と呼ぶのはこのためです。

 

この2村、江戸時代以前は約1.3km離れた場所にあったそうですが、江戸初期の幕府による東海道整備に伴い、宿場としての機能を強化するため、2村を街道沿いに隣接するように移転させた(1644年)という事ですメモ

 

江戸幕府は、天下統一した日本を末永く統治していくためには交通網の整備が重要な事をよく知っていて、早くから東海道等、全国の道路網構築に力を入れ、宿場を整備し人馬を配置していったんです馬

(※現在は、大岩・二川ともに豊橋市の一部です)
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↑東海道に現存する本陣や脇本陣などの施設の分布図もありましたが、現在東海道で本陣の建物が当時のまま残っているのは二川宿と草津宿の2ヶ所だけだそうですキラキラ
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資料館を出て、次は隣接する本陣を見に行きます男の子

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まずは本陣の隣に保存されている、↑旅籠"清明屋"を見学目

人形が置かれ、当時を再現しています。
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↑部屋に上がって見学できますあし
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かまどの並ぶ台所でつくられていたのは・
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↑なかなか豪華な食膳割り箸

こういう旅籠に泊れたのは、武家や一部の裕福な旅人のみで、伊勢参り等の庶民は、これよりチープな木賃宿等に泊りましたあせる
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↑"二川"と大書された徳利が目をひきます目
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そ資料館の順路は、見学後一旦、↑外の街道沿いへ出ますヒヨコ
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そして次に、いよいよ本陣へ入ります男の子
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二川宿・本陣の建物内です(※豊橋市指定文化財)
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内部の夥しい程の部屋数に驚く目
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部屋数多い本陣でしたが、これでも大名行列の全員を収容するには足りず、入りきれない人員は脇本陣や一般の旅籠に分宿したという事です。

江戸期には地方各藩の財政を圧迫する位の経費がかかったと言われる”参勤交代”、いかに大人数だったかがわかります。
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そして、本陣の一番奥にある、↑畳が一段高くなった部屋右上矢印

ここに殿様が泊まりましたキラキラ
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殿様の部屋からは、↑美しい中庭が見えます^もみじ
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東海道宿に数ある資料館の中でも、本物の旅籠と本陣がセットで見学出来る二川宿、見応えトップクラスだと僕は思いますグッド!

 

 

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再び旧東海道を歩き、駅へ戻りますリサイクル

資料館で当時の様子を学んだ後なので、復路ですが当時を想像しながらで楽しく歩けましたグッド!

↑”ロンパールーム”という名の美容院もあせる

 

二川宿ブラを終え、駅に戻ってきましたリサイクル
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ちなみに二川駅は、大岩側のはずれに位置しています。

世が世なら"大岩駅"の名が付いたのかもです^本

 

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そして、帰京すべく豊橋駅へ電車

ここからは余談ですが・
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コンコースにある、知る人ぞ知る豊橋駅名物、駅そば"壷屋"さんに寄りますラーメン
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同店の名物は、メチャクチャ濃ぃ出汁で、その上塩辛いのがウリの↑きしめんです。これを食べると豊橋に来た気がします^ニコニコ

あと、同市製造、地元製麺会社の『ポンポコラーメン』も壺屋名物で、なかなか他では食べられない一品です^ラーメン

 

きしめんも食べたところで、以上、本年の東海道ブラ、愛知/静岡の県境に位置する、二川宿でございましたベル

 

 

 

 

 

 

(※2022.6 2024.3 文一部修正)