北海道大ツーリング、第4回です
今シリーズのハイライトだった宗谷岬走破を終え、旅は折り返し点を過ぎました
前作では稚内から旭川へ戻ったところまででしたが、今作では道央の街を何ヵ所かご覧頂きます。又、この日は渡道後はじめて、雨に降られました
でも頑張って、雨の中しっとりと(?)^走りたいと思います
ではスタート^
↑工事中でよくわからない写真ですが(汗)、JR旭川駅前です
近年まで、道内の主要駅としては少なくなってきた国鉄当時の駅舎が残っていたんですが、旭川もついに駅舎改築工事が始まったようです
ちなみに、札幌駅を始め、東室蘭/函館/稚内駅等、JRになってから改築がすすんでいます。まぁ国鉄が物持ち良すぎだったのかもですw
国道237号へ入ります
R237は、JR富良野線とほぼ並行しています
(※↑は西神楽駅)
国道脇のバス停の名前をチラッと見ると、北海道っぽく、"○号線"等の、区画や道路線数だけの停留所名
↑の道路沿いのバス停、僕が見た限りでは1号から始まり20数号まで確認できましたw
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旭川から1時間弱で・
雨の中、富良野の北隣、美瑛町に着きました
↑のレンガ建ての建物が『道の駅・美瑛丘のくら』です
地方の道の駅にしてはなかなかのお洒落な感じ、内部も洒落てました^^
"道の駅"美瑛の隣には、"鉄道の駅"、JR富良野線の美瑛駅もあります
道の駅と鉄道駅が共存している、レアな駅です^
そして、両方の"駅"とも石造りで、デザインも合わせてあります。
美瑛町は、"美瑛軟石"という安山岩の産地で、その石が使われています。重厚な中に軽やかさのような印象もあり、上質な建築物が出来る石材だと思いました
美瑛駅で、しばし鉄ちゃん^
↑富良野線のDC、ドアがラベンダー色に塗られています
富良野線の看板列車↑"トロッコ列車"もちょうど入ってきました
(※このトロッコ列車について、2007年の北海道旅シリーズで乗車しているので参照下さい。vol.10)
美瑛を出て、再び富良野へ走ります
国道237号は、旭川市から→美瑛町→上富良野町→富良野町へとつづいています
上記3町が、いわゆる"富良野の丘"エリアで、丘陵の起伏そのままにラベンダー畑が広がるアノ光景が、この先広がってきます
そんな美しい眺めの道なので、"花人街道"という愛称もついています
余談ですが、北海道へ車やバイクで行くと必ずお世話になるガソリンスタンドが↑の2社、"ホクレン"&"モダ"です^
この両社スタンド、ホント道内隅々まであります。セルフで安い上、特にモダは24Hの店も多く、ドライブ/ツーリングの味方です^
美瑛を過ぎ、↑中富良野町に入ると、なだらかな丘陵地形が一層道路に近づいてきます
雨が少し小降りになったので、丘のひとつに寄ってみます
↑残念ながらラベンダー開花にはまだ少し早かったですが、まさに富良野という感じの景色です
観光用リフトもあり、丘の上まで行く事も出来ます
JR富良野駅に到着
富良野線と根室本線との接続駅です
また雨脚が少し強くなってきたので、富良野駅で雨宿り&昼食にします
↑"愛される"と駅舎に大書しているのが凄い^
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先程来、旭川から走ってきた国道237号はここ富良野で、滝川から帯広方面へ伸びる国道38号と合流しています。鉄道の根室線/富良野線と同様です。
この後、↑R38を滝川(※札幌方面)へすすみます
国道38号、富良野から札幌へ向かって走り始めると、しばらくして↑長いトンネルになります。新歌志内トンネルです
このトンネルを抜けると、観光色濃い富良野盆地とは打って変わり、静かな炭鉱跡の街が連続する光景となります。
次の街は歌志内市なんですが、その途中、国道脇に↑な建物がありました。"悲別ロマン座"です。
1984年に放送されたドラマ、"昨日、悲別で"のロケが行われた建物です
↑の建物、ドラマのためにつくられたセットではなく、歌志内にあった住友鉱山会社の従業員厚生施設だったとの事です。
慰労会等に使っていた舞台等があったため、会社撤退後荒廃していたこの建物に白羽の矢が立ち、"劇場"の撮影用セットとなりました
なお、"昨日、悲別で"のメイン舞台になった街は、歌志内市の隣にある上砂川町です(※後程訪ねます)
ちなみに↑の"ロマン座"の"マ"が少し外れかかってますが、わざとこういう風に取り付けたとの事です
残念ながら僕の行った日には閉まってましたが、週末等には一般に公開されています
炭鉱時代に実際に使われ、その後撮影にも使われた↑トロッコが、庭に置いてありました
雨は降りつづいています
歌志内に限らずですが、北海道にはあちこち↑"駐車公園"という、道路沿いに駐車場兼公園があり、少し休憩したいとか、仕事の電話が急にかかってきて折り返すといった人には便利な施設です
又、歌志内には、廃線となった国鉄歌志内線の終点駅がありました(※1988年廃止)
現在、廃線跡が↑サイクリングロードになり、在りし日の名残をかすかにとどめています
駐車公園よりも本格的に(?)休憩したい場合は、歌志内に『道の駅』もあります
僕も寄りましたが、雨の平日というのもあって、利用者は少なかったです。
しかしこの道の駅、なんともドデカイ駐車場でした
ちなみにこの歌志内市ですが、2011年現在、人口わずか5000人弱との事で、"日本一人口が少ない市"となっています
(※2022追記: 2022年時点での人口、3000人を割ったとの事です。もはや"市"のレベルではなくなってしまってます)
かつては炭鉱の街として栄えた歌志内ですが、閉鉱後、それに代わる産業が育たず、元々観光や酪農といった北海道ならではの産業資源にも乏しかった歌志内市は、大変厳しい現状となっています。
まさに、北海道の抱える負の部分が顕在化してしまっている街の一つとなっています。
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歌志内の次は、↑隣の上砂川町へ向かいます
上砂川町も、先程の歌志内市と同じく、炭鉱の街でした。
街外れには、↑炭鉱の歴史を今に伝える資料館があります。
この歌志内/上砂川等の地域は、道内でも有数の炭鉱地帯、"空知炭田群"の一角をなしていましたが、昭和40~50年代に相次いで閉山。繰り返しですがそれ以降は新たな産業も充分興せないまま現在に至り、深刻な過疎化が問題となっています。
炭鉱館の片隅に、↑坑道から石炭を運び出すトロッコ(※電気機関車が牽引していた)が展示されていました。
歌志内にも鉄道がきていた事を前述しましたが、上砂川にもかつて、鉄道が延びてきていました。
砂川駅から分岐していた、函館本線・上砂川支線です。
その終着駅跡が保存されているとの事で、見学に行きます
↑旧上砂川駅舎です
先程の"ロマン座"と同じく、この駅舎も"昨日・悲別で"のロケ地となりました。同映画でのメイン舞台となった"悲別駅"として登場しました
そのため駅の玄関には、↑上砂川駅&"悲別駅"両方の看板が掲げられています
残念ながらこの日、駅舎内部は閉まってましたが、↑ガラス越しに廃止当時の時刻表が掲げてあるのが見えました。廃止時には日5本だったようです
ホーム跡には行くことが出来ました。
↑駅員さんが改札鋏を持って現れそうな改札口が残り、ホームの向かい側には客車と貨車数両も保存されています
先程の歌志内線は1988(昭和63)年、国鉄終焉の前に廃止されたのに比べ、この上砂川支線の廃止は1994(平成6)年で、JR転換後もしばらく生き残りました。そのため、↑残されている駅名標も現在JR北海道で使われているのと同じデザインです。
なぜ、歌志内線と10年近くの"廃止時間差"が生じたのか?ですが、国鉄末期に廃止対象路線を選定した際、線区別ごとに採算を算出したため、独立線区だった歌志内線は対象となった一方、上砂川支線は"函館本線の一部"だった事が幸い(?)し、本線と一体で計算されたため、国鉄時の廃止対象からは外れた、との事です
この現象は全国の支線でみられましたが、JR転換後は各社独自で区間毎の見直しをする会社が相次ぎ、上砂川線もその歴史を閉じたという事です
ホーム駅名標の↑裏側は、ロケの時に造られた"悲別"の駅名標になっています
実はこの駅舎、廃止後に元あった位置から少し移動した上、なぜか、向きも垂直に変えて保存しているとの事です(※↑の写真のホームもそれに合わせてつくり直したもの)
この周辺には他にも、空知炭鉱群の石炭輸送を担っていた多くの盲腸線(※万字線、幌内線等)がありましたが、炭鉱の閉山と時を同じくして国鉄の経営も傾き、石炭輸送の廃止とともに、炭鉱の跡を追うように次々と廃止されていきました
上砂川駅は、その優美なデザインから数々のドラマや映画に使われたため解体を免れ保存されている、ラッキーな例かもです。
↑同駅周辺には、緑にかえりつつある炭鉱跡がそこここに残っています
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歌志内~上砂川と、炭鉱跡の街を辿った後、札幌へ戻るべく、札幌~旭川メインの国道12号(※中央国道)へWo号を向けます
シリーズ前半でご覧頂いたオロロンラインとは趣ガラッと変わり、"雨の炭鉱跡ツーリング"となりましたが、違った意味で北海道を実感できた、有意義な走りだったような感じもしました。
"総力の発揮、業績の向上"のスローガンが寂しく残ります。
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上砂川から最短距離で走ると、↑奈井江町で国道12号に出ます
奈井江から札幌まで約70km、雨の一日だったので、この日は早めに札幌に戻って宿でゆっくりする事にします
↑下向きの矢印標識、積雪時に路肩の位置がわかるよう示すサインです
このR12ですが、周囲に建物が多いにも拘らず↑"直線感"が凄いんです。
というのも・
↑のモニュメントの通り、この国道12号の滝川市~美唄市の区間は、"日本一長い直線道路"なんです(※約29km)
さすが北海道という感じの"日本一"ですが、しかしこの道路は、、明治時代に囚人等を動員した突貫工事で造られ、多数の犠牲者を出した末に完成したという過酷な史実もあります。
その日本一長い直線を味わったあと、↑江別東ICから高速に乗り、札幌へ戻ります
今作ここまでです!
次作、第5回で最終回です。
札幌から函館まで下っていき、往路と同じくフェリーで離道するんですが、途中いくつかの名所をご覧頂く予定です。なお、桧山廻りのちょっとマイナーなルートで函館へ行こうと思っています。お楽しみに
(※2022.5 2024.2 文一部修正)