2011冬、3年ぶりに沖縄へ行ってきました
レンタバイクを借り、本島を北から南まで走ってきました
4回シリーズでご覧頂こうと思っております。
【※2024追記】 連載中に発生した、3/11の東日本大震災により、シリーズ第2回以降はup時期を延期し、単作を1作挟んでいます。
(※次作vol.87は、伊豆河津桜ツーリング、沖縄旅シリーズはその次より掲載)
今作・第1回は、本島南部から廻ります。ではスタートします
バイクレンタル屋さんを出て、↑那覇市内の路上です^
今回滞沖中は、基本この"レンタルWo号"が足です
いろんな意味でけっこうクラシックなバイクwでしたが、しかし一見頼りなさげな華奢なボディの見掛けによらず、けっこう快適に走れました。これで沖縄自動車道にも乗り、ぶっ飛ばしてきましたw^
那覇市の南東、南城市に架かる、ニライカナイ橋です
この橋、"ニライ橋"と"カナイ橋"の二重橋になっています。なかなか壮大な橋です
丘陵地から東の海岸へループ状に下っているダイナミックな形状の橋で、橋上から広がる海は絶景でした
そして、このニライカナイ橋近くに、沖縄で最も神聖な場所とも言われる、『斎場御嶽(せーふぁうたき)』があります(※国史跡)
見学に行きます
ここは南城市が管理していますが、ユネスコ世界遺産(※指定名・沖縄のグスク及び関連遺産群)の構成物件にも指定されています。
入場券売場のある管理棟の一角は展示コーナーになっており、ここで御嶽の知識や見学上の注意点(※これが重要・後述)を頭に入れた後、史跡内へ入るという順序です。
入口には、↑"これより先は聖地です"の表示。
まさにその通りで、沖縄県に数ある聖地(ウタキ)の中でも、特にここ斎場御嶽は、最高に高格の場所とされています。
ハッキリ書けば、"気軽に観光気分で来る場所ではない"という地です。それでも当地を見学可としている訳は、多くの観光客に少しでも沖縄の文化/伝統を理解してもらおう、という事のようです。
左側の標柱には、↑"昭和47年5月15日 国史跡指定"とありました。つまり、復帰と同時に国の史跡に指定されたという事です。重要度がわかります。
鬱蒼とした森の中の歩道を進みます
歩き始めて最初に現れた広場状の場所。
↑は、大庫理(ウフグーイ)といい、"大広間"という意味合いだそうです。
ここで、琉球王国の太古より祈祷が行われていました。勿論現在でも聖地であり、信仰の対象です。
さらに奥へすすむと、↑丸い水溜りが。
この窪みは沖縄戦で落とされた砲弾で出来たものだそうです。
こんな聖地にも、戦争の爪痕は容赦なく残っています。
つづいて、さらに広い場所に出ました。
ここは、『三庫理(サングーイ)』です。
↑写真の上部中央に、2本の鍾乳石が垂れています。そしてその真下には、その鍾乳石からしたたる水を受ける、甕が置かれています
この甕に、満々を無色透明な水がたたえられていました。
水、甕とも大変神聖なもので、手を触れることは厳禁とされています。
そして、鍾乳石の左側には、↑2枚の巨大な岩が寄り添った形で、その間には三角形の空間があります。
その中をすすむと・
緑の間が↑覗き窓のようになっていて、そこから海が見えます
ここから、本島の沖合約5kmに浮かぶ、久高島が望めます
この場所も神聖な拝所であり、又、久高島も"神の島"として、沖縄の中で最も神聖な島といわれています。
(※久高島へも行ってきました。シリーズ中で取り上げます)
かつてここは、男子禁制だったと言われています。
沖縄では古来、祈祷等は女性が主になって行ってきました。
↑歩道入口の右側(※写真中央・階段状のところ)に箱状の小さな石が置いてあります。
6つあるのは、斎場御嶽にある6ヶ所の拝所をあらわしているとの事です。
この香炉も大変神聖なもので、手を触れる事は厳禁です。
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ここで、斎場御嶽に限らず、沖縄県各地にある、拝所での心得を纏めておきます↓
1.内部にある品は勿論、植物等にも手を触れない。
1.地元の方が祈祷されている時は撮影禁止。
1.立入禁止の表示がある場合にはそれより奥に絶対入らない。
他にも地域/場所によって各種ありますが、↑が3原則です。とにかく大原則は、"何も手で触れない"事です
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斎場御嶽をあとに、その近くの知念岬で、海を見ながら休憩する事にします
お~
マリンブルーの沖縄の海が一望の下
海を見守るかのような、陸地の緑も鮮やかです
観光化されてない場所なので、ゆっくり風景を楽しめました
なんともかわいい白猫が、丸くなってお休み中w
お休み中申し訳ないけど、さわらせてもらいました^
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知念岬を出発、本島の南部をぐるりと回っている国道331号を、海岸沿いに南下します
次第に本島南部に差し掛かってきましたが、その途中にある、本島と橋で繋がっている『奥武島』
この島に、地元で人気のお店があるんです。
魚屋さんなんですが、魚以上に人気なのが、
お店で揚げている"てんぷら"
魚のほか、野菜やお肉の天ぷらもあって、買って食べましたがどれも美味!
地元の人も車で買いに来て、行列をつくる人気店です^
糸満市に入り、次に見学する平和祈念館に近づいてきたんですが、急にスコールが!
しばし農協で雨宿り^
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夕立ちはすぐ止み、次は・
糸満市、摩文仁の丘にある、沖縄戦跡国定公園に到着。
その中心的存在として位置する『平和の礎(いしじ)』を、まず見学させて頂きます。
海に面した広い敷地に、先の沖縄戦で亡くなった方々のお名前が刻まれた礎石が並ぶ、平和祈念の場です(※以下、謹写)
ここから見える海は大変美しい風景ですが、悲惨な沖縄戦の歴史が刻まれた場所でもあります。
屏風型の石碑に、先の大戦で亡くなられた方々のお名前が、既に20万人以上刻まれ、現在もなお、新たに追加され続けているとの事です。
各市町村別、五十音別に刻まれ、探しにこられた方のためにお名前を検索できるコーナーもあります。
そして、平和の礎に隣接し、↑大きな建物がみえます。
沖縄県平和祈念資料館です
見学します。
沖縄に行ったら訪問必須な場所と思いますが、摩文仁の丘へはバス便が少ないため、レンタカーあるいはバイクで訪問するのがおすすめです(※大きな駐車場完備)
展示室に入ると、沖縄戦前夜、第2次大戦開戦直前の国情から展示が始まります。
ご存じのように、凄惨な地上戦が行われた沖縄、展示内容についてはあえて書きません。実際に訪ねて頂きたいと思います。
戦争の証言をあつめたコーナーも。
展示後半は、戦後、アメリカ占領下の沖縄へと時代がすすみます。
この展示も見応えがありました。
米軍を隣合わせの不自由な生活の中、沖縄ではいち早く本土復帰運動がおき、日本復帰を目指して時計の針がすすんでいきます
占領下の、↑"基地城下町"の街並を再現した一角も。
そして1972年(昭和47)年5月15日、沖縄は悲願の本土復帰を果たします
歴史的な決定を伝える、↑新聞号外
佐藤総理とニクソン大統領が握手する紙面も。
僕が同館の写真で、↑最も感動的だと思う1枚
↑は復帰の日、国際通りを撮ったもので、ただ"沖縄県"とだけ書かれた看板が林立し、日の丸がはためく光景が出現。
この写真には何の注釈もいらないと思います。まさに見る者が、歴史が動いた瞬間を感じる写真だと思います
琉球政府は沖縄県になり、通貨はドルから円に、本土との往来もパスポート不要に。矢継ぎ早に、歴史的な復帰作業が行われていきました。その中でも特にドラマチックだったのが、↓の『730』(※交通方法変更)。米統治時代の右側通行から、日本式の左側通行へと、一夜にして変更作業が行われました
1978(昭和53)年、復帰6年目の同県では、国際ルールである"1国1交通方法"の原則に基づき、米国式の右側通行を廃し、本土と同じく車両左側へ変更する事としました。
"一夜にして"と前述しましたが、勿論一夜で切替作業は出来るものでなく、その準備はかなり以前から周到に行われました
例えば、標識は予め左用のものを順次設置してカバーを掛けておき、変更時にそのカバーを右用へ掛け変え。これにより標識の設置や撤去を幅をもって行えました。路面のレーンや停止線等の白線も、左用を予め引いた上に黒いテープで覆い、当夜それを剥がすという妙技を採用。当時沖縄県警で指揮をとった人が考案したそうです
左右切替のため、7/30前夜から、緊急車・許可車以外通行止にして上記の変更作業が始まりました。
県民はその歴史的瞬間を見ようと、前夜は通行止直前まで"最後の右側通行"を楽しんだり、徹夜で切替作業の様子を道路端で見学したりしたそうです
1978年7月30日5時50分、全車両は路肩に停止。警察の誘導で右側から左側へ移動して再度停止。
そして午前6時、県全土にサイレンの音が鳴り響き、各車が一斉に左側通行を開始しました。世界でも例の少ない、大規模な交通方法変更は、無事成功裡に終了しました
(※youtubeでその様子がupされています)
奄美や小笠原でも復帰後同様の変更が行われましたが、車両台数や道路距離が沖縄より大幅に小規模だったので、こんな大々的な作業ではなかったとの事です。
これら、復帰後の激動の改革が行われたところで、展示は終了となっていました。基本は沖縄戦慰霊と平和希求を目的とする同館ですが、同県の歴史全般を知る事が出来る場所です。
しかし、基地問題をはじめ、沖縄県をとりまく様々な戦後処理の問題解決は、"資料館入り"するのは、まだまだ長い道のりが必要でしょう。
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摩文仁を出て、西廻りに走り、糸満市等を通過し、那覇市内へ戻ってきました
復帰当日に県名看板の林立していた資料館の国際通りの写真でしたが、大きく変貌した↑現在の国際通り
この日はここまででゴールです^
この後、国際通り周辺で夜の那覇を非公開で楽しみますw^
今作ここまでです。次作、第2回は今作と逆方向へ、那覇から北へ走ります。お楽しみに^
(※2024.2 文一部修正)
※2024追記:冒頭にも少し書いておりますが、本作upの2日後に東日本大震災が発生しました。このまま何もなかったように沖縄シリーズを連載するのは憚られたので、撮影済だった伊豆・河津への作を"復興祈念作"として順番を入替え、先にupする対応を当時とっています。