vol.84 東海道53次ブラ ④ 京急6駅分を歩く 都内に残る旧街道の面影 品川宿 | 旅ブログ Wo’s別荘

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 昨年からスタートした"東海道53次シリーズ"、昨年はスタートダッシュという事で3作を次々upしましたがw、今年からは毎年1作程度でのんびりやっていきます^パンダ

 

今作・第4回は都内です。日本橋を出発して最初の宿場・品川宿界隈を歩いてきました。早速スタートしますヒツジ


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↑京急北品川駅から歩き始めます電車

 

品川駅から1つ南隣の、普通しか停まらない駅ですが、『南なのに"北"品川?』という根源的な疑問がwある駅名ですウサギ

 

でもこの駅名、当地の歴史から言えば正しい名付けで、同駅付近が江戸期は"品川宿の北端"にあたり、現在のJR/京急の品川駅は、"港区"の高輪/港南に位置しています。

↑この"地味な北品川駅"のほうが、実は本家本元の品川です^星


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駅すぐにある↑踏切、ここから旧東海道ブラを始めます。

これから、ゴールとする大森海岸駅(※鈴ヶ森付近)まで、京急6駅分(!)を歩いてゆきます^あせる
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踏切から都心方面を見ると、↑JRを跨ぐトラス橋を品川駅へ渡っていく京急電車が見えます電車

 

なお、↑の傍にはJRを跨ぐ旧東海道と第一京浜の八ツ山橋も並行しており、ここは映画『ゴジラ』が日本上陸した地点という設定になっているそうです。ここから暴れながら東京タワーを倒しに行ったという事ですメラメラ
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現在の↑旧東海道、両端には石畳も敷いたカラー舗装になっています走る人
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旧品川宿の旧街道には、↑要所要所に番号の振られた石柱が立っています旗

↑一番は、先程の八ツ山の起点。終点は二十五番で、今作ゴールの鈴ヶ森刑場跡となっています。

新しい感じだったので、近年整備されたものと思われますキラキラ
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街道沿いのお店も、↑旧街道を意識した佇まいにしている店舗もあり、地方では各地で盛んな"街おこし"ですが、都心の品川でもやってますグッド!
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とはいえ、現在この旧東海道は生活道路として、地元の商店街といった様相ですプレゼント

↑"ま"は、都内で増えてきたイオン系のミニスーパーです。
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商店街のあちこちに↑"品川蕪"のプランターが目

江戸野菜の一つで、絶滅したとされていましたが、ご当地の有志のかたが小平市で栽培されていた類似種の蕪を発見、"復活品川蕪"として育て始めたとの事。沿道のお店で漬物等にして販売されていますクローバー
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旧街道の背後に高層マンションが林立、その一方、"船宿"の看板に昔日の面影も感じとれます船
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街道沿い各所にポケットパークがつくられ、小休止できるようになっていますお茶

↑は品海公園、江戸時代には台場への入口にあたる場所だったそうです。

東海道の起点・日本橋から2里(約8km)にあたるとの事クリップ
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又、この品川宿街道沿いは神社仏閣が多い事も特筆できます。

↑は臨海山法禅寺。芝の増上寺の末寺で、1874(明治7)年、同寺に品川区最初の小学校が置かれたそうです家
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天保の大飢饉で亡くなった犠牲者の慰霊碑が同寺境内に。
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本堂の左にあるのは、↑大イチョウの木(※品川区保存樹)クローバー

↑葉は散り、冬の姿になっています雪
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品川宿では寺社の多さから"東海七福神"コースを設定していて、↑の一心寺は"寿老人"が祀られていますグッド!
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一心寺から少し進むと、↑"本陣跡"の石柱。

現在ここは、『聖蹟公園』となっていますチューリップ赤
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旧東海道から枝分かれする横丁が細かく伸びていて、その多くには由緒ある名前もみられます星

横丁の入口には、↑由来を紹介する看板(※地元の有志の方が設置したもの)があり、名の由来から昔を偲ぶことが出来ますキラキラ
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しばらくすると、↑山手通りとクロスする信号に出ました車

信号名にも"東海道"の名が信号機

 

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ここで、東海道から少し脱線して、神社をひとつ訪ねます。

↑信号の近くにある商店街を、並行する第一京浜(※国道15号)のほうへ歩きます走る人
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旧街道から歩いてすぐ、第一京浜と京急が並行している交差点に出ます車

いつもながら第一京浜は大渋滞あせる


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国道の西側は↑丘になっていて、その上に品川神社があります。

第一京浜からの車窓からもこの丘が見えます目


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僕もバイクで通る際、いつも神社の石段だけは眺めてましたが、今回初めて参拝しました。

↑石段を登りきると、下を走る車の音は、遠くから響いてくる程度になります。場所のわりには意外に静かでしたチューリップ紫
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↑石段の上から、第一京浜を見下ろしたところブタネコ

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けっこう急な石段でした。

丘の上は京急の高架より若干高いかも^電車
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品川神社、1187年に源頼朝が千葉県館山・洲崎神社の神様をお迎えして創建したといわれます。

元々は海の神様ですが、その後数々の神様もお迎えし、現在ではあらゆる願いを叶えて下さる神社です^

江戸期には幕府、明治期には皇室の、それぞれ厚い庇護をうけていたとの事です。

 

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旧東海道へ戻ります男の子

街道の左側(※↑幟の所)にお休み処があるんですが、北品川地区を中心に数ヶ所あって、休憩や街ブラの情報を仕入れたりできます(※お土産もあり)
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"お土産"といえば、あまり知られていませんが、品川は日本で最初にビールが醸造された場所といわれています星

街道沿い、↑の幟のある酒屋さんには、そんな当地にちなんだ地ビール"品川縣ビール"が置いてありますビール

(※品川縣=廃藩置県時、この辺りは"品川県"だった)クリップ


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北品川駅からもうだいぶ歩いてますが、ゴールの大森海岸駅へはまだ半分も来ていませんあせる

↑灯篭のある広い橋は、目黒川に架かる品川橋です宇宙人

 

この橋から北側(※これまで歩いてきた部分)が北品川、ここから先が南品川です走る人
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品川橋の隣にもう1本、↑朱塗りの橋があります。

その先には神社があります。

荏原神社です。
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ここも東海七福神のひとつで、↑恵比寿さんがおられます^
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↑本殿前の掲示がなかなか説得力あります。

"人は見ずとも、神は見ている"(!)

無断お焚き上げや、ごみのポイ捨ては厳禁です注意

昔よく言われた"おてんとうさまは見ている"と同じですね晴れ

 

ちなみに、荏原神社の"荏原"ですが、ここ東京城南地区の古名で、戦前(旧)東京市へ合併されるまでは"荏原郡"でした。現在の大田区/品川区/世田谷区にあたります。

アノ"エバラ焼肉のたれ"でおなじみのエバラ食品、品川が創業の地ですナイフとフォーク

 

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旧東海道沿い、前述の通り小さな公園が沢山ありますが、↑"街道松の広場"と銘打った公園もクローバー

掛川や三島等、東海道各地の宿場町から寄贈された松が植えられています。
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かつての街道筋の繁栄を偲ばせる、↑古い建物の商店キラキラ

水道工事屋さんのようです。
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↑お店の看板には"明治27年創業"(1894)とあります。水道工事屋さんとしては我が国最古級ではないでしょうか^キラキラ
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↑小学校の看板も、旧街道の雰囲気に合わせています。
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↑の畳屋さんも、なかなかレトロな雰囲気わんわん
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この旧東海道、延々と商店がつづいていますが、あまりにも長いので沿道の店はいくつかの商店会に分かれていますリボン

街路灯を見れば、このあたりがどの商店会に属しているかわかります(※商店会毎にデザインを変えてある)

↑から南は青物横丁商店会のようです。それに合わせるかのように現れた八百屋さん^バナナ
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↑京急・青物横丁駅前通りとクロスします左右矢印

ここを海側へ歩くと、イオン品川シーサイド店&りんかい線品川シーサイド駅です地下鉄
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街道沿いには、始点の北品川から寺社が数多く建ちます。↑諏方神社、すわの"訪"が"方"になっています(※関東で時々見かける書き方です)
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青物横丁から、さらに南にすすんでいくと・走る人
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品川寺(ほんせんじ)です。こう読むのを僕は恥ずかしながら現地で初めて知りました。そういえば、浅草寺も"せんそうじ"と読むのと同じか・(?)
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つづいては、↑海雲寺。お寺が連続してあります。
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静かに江戸情緒を伝えるお寺が、街道沿いに次々現れます。
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お寺の片隅に植えられた↑鮮やかな葉ボタン、冬の色彩です。


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↑京急鮫洲駅付近まで歩いてきました男の子

先程来の街道沿いの"石柱"も、早や15番になりましたドリル
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鮫洲付近まで来ると、並行している第一京浜や京急との距離が、だいぶ縮まってきました。↑JR大井町駅方面への、↑仙台坂トンネルも見えますモグラ
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鮫洲以南、このあたりまで来ると、北品川付近のような"観光色"は無くなり、全くフツ~の街並になってきますあせる

舗装も、青物横丁以北のような石畳等は無くなり、一般のアスファルト舗装に車

 

旧東海道を散策しようというかたは、余程東海道マニア(?)wでない限りは、北品川~青物横丁間位を歩けば充分かと思いますチョキ

 

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しかしマニアの僕はw、まだまだ南下します^

今度は、旧街道から海側へ脱線してみますかたつむり
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↑旧東海道のそぐ傍まで入江が近付く所があり、"しながわ花海道"と呼ばれています波

静かに波打つ入江、人影もまばらで、のんびりした雰囲気です宇宙人
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なぜここが"花海道"かというと、↑堤防ブロックの四角い枠一つ一つを区が近隣住民に、花壇として貸し出しているからです^コスモス

ニャンコが堤防を散歩してます^にゃー
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当地にはこんな史跡も、↑"浜川砲台跡"

 

品川宿の海岸は、お台場等と同様、江戸期は海の守りに睨みをきかせる防衛の要所だった所で、若き日の坂本竜馬もここを闊歩していたとの事。

僕が見た感じでは、痕跡が少し残っている程度で、坂本竜馬に思いを馳せるという光景とはなっていませんでしたあせる

旧街道へ戻ります。
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↑大井競馬場へつづく通りとクロスします。

ようやくゴールの鈴ヶ森が近づいてきましたあせる
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ゴール近く、もうこの辺まで来ると、商店や会社も無くなってきて、周囲はマンションが目立つようになりますビル
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マンションの2階に↑間借り(?)している神社もひらめき電球

 

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北品川から、脱線・寄り道しつつ歩いて3時間余りあせる、ついにゴールであり、品川宿ラストの旧跡でもある、↑鈴ヶ森に辿り着きました。

この、鈴ヶ森といえば・
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鈴ヶ森刑場跡があります(※東京都史跡)

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江戸の街の端にあたる場所に数ヵ所設けられた、刑場の一つです。

江戸期の裁判制度、"お白州の裁き"によって、多くの罪人がここでその命を散らせました。維新後もしばらく存続し、1871(明治4)年閉鎖となったそうです。

 

処刑時に使われた刑具、磔の基礎石や火炙り用の鉄柱などの一部が現地に残されており、今なお生々しさをも感じる、近代史の痕跡です。

現在は、隣接する大経寺の境内の一部となっており、刑死したみ霊の供養が行われているといいます。


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そして、この刑場跡のところで旧東海道は↑第一京浜と合流しています。旧東海道は現在、鈴ヶ森刑場跡で一旦途切れています。

(※↑カーブしている高架は、首都高鈴ケ森ランプ入口です)

旧東海道・品川ブラ、ここをゴールとしたいと思いますフラッグ
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↑鈴ケ森刑場跡から歩いて数分、京急大森海岸駅です電車

北品川~大森海岸間、京急駅6駅間を歩いた事になります^あし

無事ゴールできて、疲れが一気に出てきましたwあせる

 

以上、品川宿ブラでございました。様々な近代史の舞台になった品川とあって、歩けば次々登場する歴史スポット、興味尽きない旧東海道ですニコニコ

 

 

 

 

 

 

(※2022.4 2024.2 文一部修正)