九州旅シリーズ2009、第3回です
前作につづき長崎市内ブラ、後編です^
前作では"平和祈念の街ブラ"でしたが、今作では趣ガラッと変わり、長崎市でメジャーなおなじみの名所を訪ねます。ではスタートです
前作で訪ねた平和公園から少し歩くと、↓大きな教会が見えてきます
浦上天主堂です
僕初訪問だったんですが、意外だったのは有名な割にはほとんど観光化されていない事。日本最大の規模を持つ長崎カトリック司教区の中心的教会で、現在も厳粛な祈りの場です。
観光客が入れるのは入口近くの部分だけで、信者席に座ったり、堂内奥へ入っていくことは出来ません(※内部の撮影も禁止)
なお、同教会は創建時の教会は原爆で破壊されました。
現在の建物は、戦後再建されたものです。
又、同教会は『浦上四番崩れ』といわれる、明治に入って以後もしばらく解かれなかった禁教令によって、迫害された歴史を持ちます。
少し↓に纏めておきます。
幕末から明治初年にかけて、ここ浦上教区の信徒が大規模なキリシタン取り締まりに遭い、西日本各地に流刑され、過酷な拷問を受け続けたという事件です。
キリスト教禁教は、明治維新と同時には解除されなかったんです。
禁教令がまだ存続していた事を知った欧米諸国からの猛烈な非難にさらされた明治政府は、1873(明治6)年にようやく解除。流刑されていたキリシタンは長崎等へ帰郷できたという事です。
僕はこれまで"キリシタンご法度"なんて江戸幕府の崩壊とともに終わったと思っていたので、明治になってからもこんな史実があった事を現地で初めて知り、衝撃でした。
被爆した当時の壁や、聖者の石像が↑堂の傍らに保存されています。
上は平和町商店街、ハトの舞う看板がほのぼのした感じです^
長崎市内あちこちにある↑の幟、"長崎さるく"とあります。
行った時市内全域で展開されていた、街ブラのキャンペーンなんですが、『さるく』とは、"ブラブラ歩く"という意の長崎弁だとの事です
↑街中でみつけた某政党の掲示板ですが、ご当地・長崎をイメージした楽しいイラスト
天主堂や祈念像に混ざって"特急・白いかもめ"も^
再び路面電車に乗り、中心部へ戻ります
次は、公会堂前電停で下車
↑チキンラーメン号を発見しましたw
橋長22m、1634年に当時の僧侶が架けたと伝わります。
以後度重なる水害に遭い、近くは1982(昭和57)年の長崎大水害でも被害をうけていますが、その度に修復され、その特徴ある姿を今に留めています
柳の並木が揺れる中島川沿い、今の街並みともよくマッチしている眼鏡橋です^
中島川には、眼鏡橋以外にも10余りの歴史的な石橋が架かっており、川トータルの景観としても素晴らしいものです
川沿いを歩いて、中心部の商店街まで来ました
観光客と地元の人が入交り、賑やかです
商店街近くに、↑長崎新地中華街があります。
長崎という事で、チャンポンにしました(※美味)^
終点の1つ手前、大浦天主堂下電停で下車
ここから訪ねるのは、ご存知・"グラバー園"&"大浦天主堂"です。
大浦天主堂周辺は市内でも一番スポットが集中している場所なので、修学旅行生の密度も濃いめです
賑やかな街中で、↑悠然とくつろぐ長崎のニャンコ
みやげもの店が立ち並ぶ坂を登ると~
教会が見えてきました
↑大浦天主堂です。
幕末の1864年、当時まだ禁教令下の日本で、開国に伴い居留地に住む外国人の礼拝のため、例外的に建設が許可された教会です。
ここは幸いにも原爆で破壊されず残り、現在国宝に指定されています
キリスト教会が国宝に指定されているのは2009現在、全国でここだけとの事です。
冒頭訪ねた浦上天主堂よりは若干観光化されており、堂内には解説のテープ音声も流れています。又、堂内立入可能で、信者席にも着席できます。内部をゆっくり見学できます(※但し堂内撮影は禁止でした)
↑の建物、天主堂の隣にあるんですが、1875(明治8)年創立の『羅典神学校』(※国重文)
禁教令解除の直後から早々に、この学校ではキリスト教伝道の人材育成を開始しました
明治維新直後の文明開化や、1945年終戦後の変革もそうですが、こういうところにも日本人の"順応力の速さ"を感じます^
(※一方、前述の浦上四番崩れのように、お役所関係で日本は遅い場合もありますが)
現在この建物は、大浦天主堂附属の資料館として公開されています。
キリシタン伝道と迫害の歴史を展示していますが、興味深いものもありました。
例えば、↑の"踏み絵"
教科書に必ず載っている、我が国キリシタン迫害の歴史の代名詞のような物ですが、実物が見られるのは極めて珍しいとの事です。
長年に亘って踏まれたのでしょうか、磨耗しているのが見てとれました。
久々の大浦天主堂、学生の頃来た事があり、その時は漫然と見学したのであまり記憶が無かったんですが(汗)、今回はブログに書く事も意識して見学したので有意義でした^
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次は、天主堂に隣接する、これまた有名なグラバー園へ
↑入口です
入場するとまず、↑屋根付きエスカレーターで丘の上へ連れてってくれます
丘上へ登った後、建物等を下りながら見学するという順路となっています
丘の上まで来ると、長崎の街が一望です
造船所も
"グラバー園"とはいっても、この地に建つのはグラバーさんの家だけではありませんw
長崎市内にあった開国当時の洋館を、敷地内にいくつか保存してあります。
↑は『三菱第2ドックハウス』
ドックハウスとは、船が修理のため造船所に入っている間に船員さんが上陸して滞在していた宿泊所だそうです
↑ベランダを支える柱が、美しく印象的です
居留地との境界に設置されていた↑石柱。
横に置かれているのは、三菱造船所で使われていた錨です
↑は、『ウォーカー家住宅』
イングランド出身の実業家の邸宅です(※生活していたのはその次男だったとの事)
海運王とも言われたウォーカーは、現在のキリンビールの前身の会社も創立した人物だそうです
(※キリンビールの話、後程グラバー邸の中でも出てきます)
黒いレトロな↑扇風機が懐かしい(※僕の祖父宅にもあったw)
↑は『自由亭』
幕末の長崎で、日本初の洋食レストランとして使われていた建物です
現在も同名で、喫茶室としてオープンしています
いろんな洋館を見て、さらに坂を下っていくと~
なにやら特徴ある形の屋根が。しかしもっと近づくと、建物全体が特徴的。ここが・
来ました、↑がグラバー邸です
1863年建造、日本最古の洋風木造建築だそうです(※国重文)
複雑な形状に突き出した外廊下、この廊下から各部屋へのドアがあり、特に正面玄関は無いというユニークな構造です。
リゾート地の別荘の元祖のような感もうけます
邸宅中から眺める、長崎市内です
このグラバー園は"貸切"制度もあり、閉園後の園内で、結婚式や各種パーティーも可能との事。国重文の洋館が貸切できるんです
特徴あるグラバー邸、"クローバー型建築"というんだそうです
部屋の内部は、当時の生活が再現されています
↑食堂
来客があった時用の料理サンプルが、所狭しと並んでいます。
けっこうな量で、大食漢が多かったのかもw
その食堂の入口にあったのが、↑の"ドラ"
食事の合図に鳴らしていたらしいです
ちなみにこのドラ、グラバー家に来るまでは、長崎の沖合いにあった高島炭鉱との連絡船が出航する時に使われていたとか
スコットランド出身のグラバーさん、商人として来日後は日本人妻と結婚し、終生日本で暮らしたそうです
↑の表札は彼の息子のもので、日本姓はグラバーさんの読みに漢字を当てて『倉場さん』です。
裏手には厩も
グラバー邸には温室もあり、その片隅におかれていた狛犬
↑の狛犬、キリンビールのラベルの、アノ麒麟のモデルだとの事です
↑前出のウォーカーが創立したキリンビール、長崎に縁が深い事を初めて知りました
出口近くに、↑な看板を見つけました。↑"こいじゃいかんばい長崎県"
"宮崎をどげんかせんといかん"の長崎版みたいですが
今(2009)長崎市では、県庁を中心街から移転させるかどうかで議論となっているらしく、賛成/反対両派のアジト(?)があちこちにあるそうです
いろんな発見があったグラバー園、あとにします
天主堂・グラバー園に登る坂の入口に↑な碑も
『日本ボーリング発祥の地』
わが国初のボーリング場、ここ長崎だったそうです。これも僕初めて知りました。
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グラバー園エリアをあとに、再び路電に乗車
長崎市内を一日廻ってきましたが、時既に夕刻
日没前ラストに、"長崎といえばここも外せない"という場所を訪ねます。
『出島』です
元々の出島跡地に、往時の街並が再現されています
当時の遺構が↑見える所もつくってありました
現在の出島は、明治以降の度重なる埋め立てにより、すっかり"内陸"になっていて、江戸期の原形はとどめていません。
しかし、弓形に彎曲している街路が今もわずかに残り、当時の名残が偲ばれます。
倉庫や商館が林立する↑街並が再現
内部見学できる建物もあります。
↑はオランダ商人が滞在していた部屋。けっこう広いです^
今でいう↑"サンルーム"も。ここから港を眺めてくつろいでいたんでしょうか
当時の倉庫群も一部再現されていました
江戸期、我が国唯一の貿易窓口だった出島。
↑の倉庫では砂糖が保管されていた様子を再現。当時は超貴重品でした
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長崎の街、日没が迫りました
![ひらめき電球](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
新旧さまざまな路電が行き交います
夕刻の通勤時間になり、帰りの通勤客で混雑してきた路電。
朝の平和公園からここまで、ほとんど休憩なしで歩きっぱなしだったので、僕も仕事帰りの人同様、疲れてきましたw
この日の撮影終了、夕食の後、夜の特急で博多駅へ戻ります
今作ここまでです!
九州シリーズ2009、次作で最終回となりますが、福岡県へ移動し、風情ある街を訪ねます。お楽しみに^
(※2022.4 2024.2 文一部修正)