韓国旅シリーズ2009、最終回です
今作は、シリーズ中乗ってきた韓国の鉄道の総集編です。順不同で出していきますが、お隣の国なのに日本の鉄道とは雰囲気が異なる点も多々あります。
シリーズ各作で出した写真も一部再使用しますが、各作では詳しく書けなかった"鉄分"を今作で取上げていきます。では始めます^
☆仁川空港鉄道
仁川空港からソウル市内への足、空港鉄道
2007年、金浦空港まで部分開通、これまでバスだけだった空港アクセスが画期的に向上しました
出改札は全て自動、ホームには全高型ホームドア完備です。
駅は、空港ターミナルビルと直結
天井が高く、ゆとりを感じさせる空間です
列車は"快速"と"普通"があり、運賃が異なります。
発着するホームも分離されていて、乗客は切符購入時にどちらへ乗るか選択し、改札口も別々になっています。日本でいう"快速"の概念とはかなり違います
全高型ホームドアなので、↑電車の写真が撮りにくい
↑普通電車の車内、ロングシートです(※快速はクロスシート)
現在位置表示付の↑ドア上路線図
日本と違うのは、まだ未開通の区間も表示しているところw
仁川空港を発車しました。↑隣に道路(空港連絡道)が並行しています
なお韓国の鉄道、日本時代に開通したKORAIL(※旧鉄道庁)の路線は左側通行、戦後韓国が建設した地下鉄等は右側通行ですが、この空港鉄道は将来のKORAILとの相互乗入も想定し、左側通行を採用しています。KORAILからKTX(※高速鉄道)の乗入も計画されましたが、2009現在実現していません
空港駅を出てしばらくすると、↑関空連絡橋の3倍はあろうかという長~い橋を渡ります。仁川空港は、ソウル西方の海上にあり、島を改造/造成してつくられました
↑連絡橋を渡ると、次第にマンションが林立するニュータウンの様相に
車内放送は韓/英/日/中4ヶ国語が流れ、日本語の字幕も出ます
途中、↑車庫がチラッと見えますが、これは途中駅で接続している仁川市営地下鉄の車庫です
ソウルに近づくにつれ、市街地の風景になり、途中から通勤客等もけっこう乗ってきます。荷物が多い時等は快速にしたほうがいいかも
再び地下に入ると、2009現在の終点・金浦空港駅に到着
(※2021追記: 2010年、ソウル駅まで全通)
自販機の横に、↑救命胴衣のようなものが・
ガスマスクのようにも見えましたが、有事に備えたものと思われます。常に臨戦態勢にある韓国の一端が垣間見える装備です。
韓国でも各種自販機が来る度に増えていて、日本並みの"自販機社会"になっているようです
↑金浦空港駅から地下鉄へのコンコース、沢山のエスカレーターが並んでいます。↑写真の右半分は、建設中の地下鉄9号線コンコースです
(※2009現在、金浦空港駅へは地下鉄5号線がきています)
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☆ソウル市地下鉄
ソウル市内でメインの足は地下鉄、今や東京と同様に重要な足となっています。観光で行っても乗らない事はまず無いでしょう
高度成長期の東京の如く、ソウルのあちこちで延伸工事が行われていて、ソウルに来る度に路線が延びています(※2009年現在、8号線まであります)
以下、今シリーズで乗った路線をみていきます
↑先程の空港鉄道との接続駅、↑金浦空港駅
この5号線、↑終端部で二股に分れています
他にも、支線がある線や国鉄と相互乗り入れする線、環状運転をする路線、そして端っこだけ風船状環状(※大江戸線のような)になってる線もあり、少々複雑ですが、観光客が多く乗る中心部に関しては格子状に交差しているので難なく乗れます
案内表示はわかりやすく、路線ラインカラーも設定。日本語併記の案内板も増えつつあります
表示といえば、日本の地下鉄よりはるか前から"駅番号"を採用していて、外国人にも利用しやすい(※僕がウン十年前に初めてソウルへ行った時、既に付いていました)
↑の"1234"入りのマークですが、ソウルの地下鉄は1~4号線までまでがソウルメトロ(※ソウル市がつくった公社)、5~8号線までがソウル市都市鉄道公社の運営で、車内に張ってある啓発ポスター等がこの両者で少し違います。
(※2021追記: 上記の2社は、2017年に合併、ソウル交通公社となりました)
あと、これは日本も見習ってほしいのは、運営会社を跨いで乗っても、運賃は通しで全く同一、駅構内も全て改札内で続いています。KORAILと乗入している1号線も含め、ふつうに利用している限り、会社を跨って乗ってるのを意識する事はありません。
(※2024追記: ソウル交通公社営の地下鉄は9号線までですが、それ以外にも盆唐線等のKORAIL運営の路線や、独立社が軽電鉄で開業した路線等、多数の都市軌道がソウルに存在します)
ソウル地下鉄の駅で時々見かける↑壁のデザイン、岩肌のゴツゴツ感を出し、遊び心を感じさせます
今回ソウル地下鉄で思ったのは、ホームドア工事の急ピッチな進捗。1号線等、古くからある路線でも、各駅で工事たけなわでした。僕が見た限りでは、市街中心の約半分の駅で既に使い始めている感じです
あと、日本にない表示をもう一つ
日本の鉄道でも"次の列車は今どのあたりです"という表示はありますが、ソウルは↑『列車番号入り』です^
↑の薄型画面を使った行先表示機も、前回3年前来た時は見なかったので、最近急速に整備したものと思われます
今回は日程が短かかったのであまり乗れなかったんですが、ソウル地下鉄で必ず毎回乗りたくなる区間が、↑の"漢江の橋梁"です
市内中心から漢江南側のカンナム地区へ行く路線は、川の手前で地上に出て橋を渡ります。
ソウル市民の心の拠り所でもある大河・ハンガン、今日も忙しく過ごす人々の横を悠然と流れます
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☆KORAIL(京義線・京春線)
日本も先年、国鉄が民営化されましたが、韓国の鉄道も長年の国営(※鉄道庁)を廃し、公社化されて韓国鉄道公社(※KORAIL)となりました。
今シリーズで乗った、京義線と京春線を振り返りたいと思います
▽京義線
まずはソウル駅、↑文化財として保存されている、旧ソウル駅舎です。隣接して新駅舎が完成したので、2009現在は使われていません(※リニューアル予定)
旧駅には、4カ国語で書かれた解説板があります。以前はこの掲示に"設計者名は不明である"と書かれていましたが、日本時代に日本人の設計により造られた事は周知の歴史です。
今回見ると、書き換えられていて上記の記述は消えていましたが、代って"日本占領時代に大陸侵略の足がかりとして造られた"となっていました。う~ん・
※2021年追記: 文化施設としてリニューアルされ、再公開されています
ウン十年前に初めて訪韓した時は、この駅で切符を買って夜行列車に乗った思い出があります
↑現在のソウル駅、旧駅の南側にあります。
ガラス壁を多用した開放的な外観、コンコースは駅の西側へ通じ、線路で隔てられた街の東西の通路の役割もしています。空港鉄道への乗換口は、↑コンコース西端近くにあります
駅の北隣にショッピングモールのビルがあり、駅近の買い物も
椅子やTVも置かれている↑コンコース内
店舗も沢山入っていて、日本で言えば"駅ナカ"です
↑切符売場
KORAILの列車は、一部の近郊列車を除いて基本的に座席指定制です。指定券が買える自動券売機も最近導入されましたが(※↑写真の右半分)、まだ利用している人は少なく、多くの人は昔ながらに窓口で行列をつくっていました
↑改札口ですが、KORAILの長距離列車では基本、車内改札でチェックするのが中心で、改札口でのチェックはありません。自動改札機が写ってますが、作動していませんでした
KORAILでも、首都圏/プサンの電鉄区間では自動改札機で出入りしますが、現在このソウル駅ではKTXやセマウル号等優等列車のみが発着しているため、使われていないようです。
![目](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
乗り場は概ね、方面別に分けられています。
釜山への京釜線/木浦方面への湖南線等が同駅から出ていますが、東海岸方面へは、前作で登場した清涼里駅からです
又、一部の急行列車は南郊の龍山/永登浦駅から発着させていて、ソウル駅での輻輳を緩和しています。
釜山方面に向かう急行、↑ムグンファ号が停車中。
日本ではほとんど見られなくなった、機関車が引く客車列車がまだ健在です(※2009当時)
![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
この京義線、僕が初訪韓した時は客車列車だったんですが、2009現在はディーゼルカー5両編成。南北境界線近くの臨津江(イムジンガン)駅行です
車内は転換クロスシート、関西の快速電車と同じ↑バッタンコ式の椅子です
ちなみに運賃は、ソウルから終点・臨津江駅まで約50kmで1400ウォン(約120円)という激安です^(※2009年当時)
パイプを組みの、↑開放的なホーム屋根。
去年の作で行った、広島電鉄で採用している屋根と似た感じ
![DASH!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
走りだすと車窓には、客車時代のローカル線ムードは全く無くなり、シリーズ②でも書きましたが、各所で"首都圏電鉄化"工事の真っ最中でした
新駅もあちこちに建設中、試運転の電車とも何度も擦れ違いました
ソウル~臨津江間は約1時間強ですが、終点近くまでマンションが林立しています。通勤路線に改造されるのも時代の要請でしょう。
↑田園風景が広がるのは、終点近くになってから
![ベル](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/182.gif)
臨津江駅の1つ手前・ムンサン駅。2001年に臨津江駅へ延伸されるまで、戦後長い間ここが京義線の終着駅でした。
電鉄化されると、ここが電鉄の終着駅になり、この先臨津江・都羅山方面へは同駅乗換となる予定です。
ムンサン駅を出ると単線になり、約5分で終着・臨津江(イムジンガン)駅到着
ここまで来ると民家は全く無く、ホームに人影はありません。
臨津江→北朝鮮の首都・平壌まで209km。統一の願いを込めて、駅名標に書かれています。200kmといえば東京~静岡程度、もし南北統一すれば充分、日帰りできる距離です
同駅の主な利用者は、近くにある境界線展望台『臨津閣』へ行く人と、もう一つ先の都羅山駅からDMZ観光に行くため乗り継ぐ人です(※都羅山駅へ行くには手続き必要)
待合室には、統一と平和を待ち望むメッセージを貼るコーナーも。
↑"サイクル列車運転"の掲示
自転車をそのまま積み込める列車、日本でも地方へ行くと見受けますが、韓国の人は自転車に対する親和度が日本や中国ほど高くないので、普及するかどうかは未知数かも
↑同駅前にあった、当地・パジュ市の観光案内板
この臨津江駅はじめ、隣の都羅山駅、さらには板門店もこのパジュ市に入っており、"国境観光"を街おこしに売り込もうとしているようです
同駅構内では、ディーゼルカーの隣に停っていた特急用車両との入換作業が始まりました
この特急用車両(※ソウル~プサン間で特急セマウル号に使われているものと同型)が、ここから終点の都羅山へ運行されます。
入換が完了して、ホームに軍の憲兵が現れました。
のどかだった駅に緊張感が漂います。
軍事境界線という場所の特殊性を再認識します。
軍事境界線の最寄・都羅山駅への列車に乗り込みます。
しかしなぜ、臨津江~都羅山駅の1駅だけのために特急用車両を使うのかですが、外国人の国境観光を強く意識した区間なので、KORAILなりの"おもてなし"かなぁとも思います
臨津江から北は"民間人統制区域"、切符だけでは乗れません。
DMZツアーチケットやパスポート等を用意の上、改札で憲兵から荷物検査とボディーチェックをうけた後、列車への乗車が許されます。
![霧](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/211.gif)
走りだしてすぐ、↑車窓に臨津江、そして朝鮮戦争で破壊された旧京義線の橋脚が見えてきます。
つい先程までマンションが林立し、複線電化への工事をしていた沿線が一挙豹変、わずか数キロでこの別世界です。
川の中に立つ↑廃橋脚、上についている朽ち果てた鉄の構造物がそのまま残っているのが確認できます。朝鮮戦争休戦から既に半世紀が経っていますが、いまだに生々しさを感じさせます。
臨津江を渡りきると、列車は鉄条網を横切り、緊張感がますます高まります・
約5分、終着・都羅山駅に着きました。
線路はさらに、ここからDMZを越えて北朝鮮へ続いています。南北同意により接続作業が行われました。
↑都羅山駅舎です。
当時の金大中大統領肝いりで造っただけあって、立派な駅舎です。
↑改札には憲兵が立ち、警備しています。
待合室に↑"出境"の文字が。いつの日かこの駅から、平壌へ旅立てる日が来るんでしょうか・
都羅山駅、将来は南北直通列車が走ることを想定して、↑出入境検査場を既に造ってあります。
しかし昨今の北朝鮮情勢をみれば、この検査場が実際に使われる見込みは勿論ありません。
前述の南北鉄路接続後に運行された列車は、客車は式典で1往復したのみ、貨物列車は北へ短期間運行されていましたが、現在は中止になっています。
シリーズ②でも書きましたが、本当の統一なら、そもそも"国境検査"というのは必要ないはずです。しかし、国情も体制も何もかも違ってしまっている現在の北朝鮮と、一足飛びに夢のような完全統一はさすがに無理だろう、と韓国が考えるのは当然です。同駅の設備がその証左でしょう。
改札にしっかり表示されている、↑平壌方面の文字
都羅山駅でみられるこれらの"夢の表示"、実際の準備というよりも、韓国の人々の悲願を表しているのかもです。
↑トイレの両脇に掲げられている、立派な油絵
左は戦争で荒廃した線路、右には復活して列車が走っている様子が描かれています。
21世紀に入り、南北の鉄路が悲願の連結を果たし、2007年、鉄道連結式典を挙行、前述の通り北への客車運転も1回だけ実現。しかしその後は何の進展も無く、貨物列車の運転も1年間だけで中止されました。その後の南北関係冷え込みにより、何の進展もなく今に至っています。
DMZ観光を終え、ふたたび待っていた"一駅だけのセマウル号"で、一般の世界に戻ります
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☆臨江閣にある『ミカ3型SL』
ラストは、先程の京義線・臨津江駅から歩約10分にある『臨津閣』に、日本時代SLの名機・『ミカ3型』が保存されているというので、見てきました
↑の古びた客車、2009当時は食堂に使われていました。
日本時代に活躍していた名機です。細おもての、なかなか優美なスタイルです
![叫び](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
静かに臨津江のほとりで余生をおくる、歴史の証人です。
↑SLの前には、当時の鉄道庁が建てた記念碑があります。
"鉄路分断点"の碑です。
『鉄馬は、もっと走りたい』と刻まれています。
詩の盛んな韓国なので、SLを"鉄の馬"になぞらえるところが何とも詩的なんですが、韓国民の悲願をまさに表現している至言だと思います。
↑鉄道中断点の文字。
くやしさ、悲しさががにじみ出ている言葉です。
繰り返しですが、金大中時代の南北雪解けムードの中、京義線は数十年ぶりに北朝鮮側まで接続されました。悲願は"一応"達成された形にはなっていますが・
しかし残念ながら、その線路に列車が運行される状況にはなっていないのも前述の通りです。北朝鮮が現在のような閉鎖国家で、同国民の自由な移動を禁止している限り、実現は無理でしょう
"急がば回れ"の言葉通り、国際社会が一致団結して北朝鮮を民主化し、同国の一般国民に自由を取り戻してあげる事が、鉄路復活の唯一の道だと思います。
以上、2009年版(?)、Wo流韓国鉄道纏めでした。KORAILについては、又訪韓する度に各地で乗り、当別荘で取上げたいと思います。
以上、当別荘50作記念シリーズ、韓国旅シリーズ2009・全4作、これでおわります。長い間ご覧頂き有難うございました
(※2021.12 2024.2 文一部修正)