1型糖尿病の小学生の男の子が両親の勧めた祈とう師の指示で病院に行かなくなり亡くなった事件。
世間の無責任な批判の矛先は祈とう師と自称している男であり、その男を信じた両親でしょう。
そういった事件を耳にして感じることは、「亡くなった男の子の意思はどうだったのかな?」ということです。
仮に成人男性が自分の意思で医師よりも祈とう師を信じて亡くなったとします。
私はそれはそれで尊重すべき選択だと思いますね。
自分で考え、自分の責任で行動する。
もちろん周りに多大な迷惑をかける行為は論外ですが、自己完結に近い行為であれば周囲がとやかく言う話ではないでしょう。
私が最も大切にする価値基準は「自由」であり、それは自分の「自由」が侵されないことであるとともに、他人の「自由」を侵さないことでもあります。
自由を「自(みずか)らに由(よ)る」と解釈すれば、自由と主体性は切っても切れない概念です。
主体性を重んじるのであれば、わが子であっても親が勝手に人生を決めつけるべきではない。
とはいえ小学2年生に「自分で考え、自分で決めなさい」はちょっと難しい。
であるならば、せめて自分で判断ができるようになるまで、極端ではない選択をしていくしかないでしょう。
善意であれ悪意であれ、押し付けられたレールの上を進んでいくことは居心地悪いだけですからね。
by marutake