小さな子どもは、キャッキャしている。
大人から見ると何がそんなにおもしろいんだろう?と不思議に思えてしまう。
キャッキャ、キャッキャと走り回る。
大人であれば、ただ走り回っていても、何も楽しくない。
むしろ、苦痛。
なんで疲れるのに走らなきゃいけないんだ・・・なんて文句タラタラ。
子供だって、走れば疲れる。
だから、ご飯を食べながら寝てしまうよう「離れ業」も平気でやってのける。
大人はどれだけ疲れていても、食べながら寝れないですからね(笑)。
では、子供を突き動かす「衝動」はなんなんだろう?
なんの動機もなく、走り回っているわけではあるまい。
子供は大人より、自分の感覚に対して正直だ。
大人なら「仕方ない」と我慢することも、子供は我慢しようとしない。
「嫌なものは、嫌!」ってことになってしまいます。
だから、走り回ることが子供にとっては「快楽」であるはず。
この「快楽」とは、つまり身体を自由自在に動かす気持ち良さなんだろう。
子供は成長するにつれ、身体を自由に動かすことができるようになる。
大人によっての移動しかなかったものが、ハイハイができるようになり、自分の意思で移動できる。
二足歩行ができるようになれば、さらに行動は広がる。
歩くだけでなく、走るという高等な運動スキルを身につければ、さらにさらに身体を縦横無尽にう動かすことができる。
飛んで、はねて、転がって・・・。
自分の身体を動かすことが、すなわち「快楽」にほかならない。
大人になるにつれ、これが反転する。
身体を動かすことが、とにかく億劫になる。
動かなきゃいけないから、動く。
動かないでいいなら、とにかく動こうとしない。
階段が嫌だから、エレベーター。
ドアを開けれのも面倒だから、自動ドア。
今では水道の蛇口をひねることさえしなくなってしまった。
身体を動かすことは、それほど「苦痛」なんだろうか?
子供のキャッキャしている姿を見ると、あれこそ「真」の喜びなんじゃないかと思えてくる。
「生きるとは、どういうことか?」なんて古来から哲学も、キャッキャしている顔に、一発KO。
「真」の喜びさえ実感できれば、生きることに理屈なんていらないことに気がつくでしょう。
整体師として、ひとこと。
「真」の喜びは、「身」の喜び。
「身」が「芯」を感じた喜び。
「芯」を知れば、「身」は安定する。
「芯」ある「身」があれば、「心」も安定する。
安定した「心」が、「真」の喜びを感じ取れる。
「シン」の喜びとは、「真・身・芯・心」の喜びである。
だからこそ、自分の身体を動かすこと。
まずは、そこから。
身体を動かすことができるという喜びが、どのように生きていくべきかの光明になるのだから。