悼む人 (天童荒太) 書評その2 | まるたけ整体 公式ブログ

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「札幌市 厚別区 JR厚別駅 徒歩3分 筋膜のコリをほぐす専門店」

この本の内容は、緻密な取材を元にした「ファンタジー」である。


こんな奴いないだろ・・・と思いつつ、でもありえるかもしれないって思わせるところに、作者の力量ってものがあるんでしょうね。



人が死ぬと、ほとんどの場合、名もなき「死」である。


家族にとっては大きな出来事だが、他人にとっては、ほぼ空気みたいな存在。


そりゃ、いつかは死ぬでしょ・・・それだけのこと。



での、その当たり前の「死」に疑問が出ることもある。


なんで死ななきゃいけないんだって。


なんでもクソもない。


理由もなく生まれてきて、理由もなく死んでいく。


生き物に「定め」があるとすれば、これこそ平等な運命。


例外なく、命あるものは、死んでいく。



ひとつひとつの当たり前の「死」が、当たり前と思えなくなった時、人はどう対応できるのだろう。


何かしら、生きていることに意味付けをするのか。


それとも、そんな疑問を快楽のうちに忘れるのか。


考えても、忘れても、最終地点は同じだろう。


分からない。


そう、「さっぱり分からない」という結論以外、ありえない。



この本の中で、多くの死が描かれている。


決してグロい表現ではないが、淡々と多くの死が描かれると、それはそれで気持ち悪くなる。


嫌でも、その中にひとりに自分がなるんだろうな・・・と想像してしまう。


誰からも忘れられた「死」。


誰の心にも残らない「死」。



人間は死ぬことそのものより、忘れ去られることに苦痛を感じる生き物らしい。


だから、生きている間に、なんだかんだと「生きた証」を残そうとする。


地位や名声なんてものも、そういった「生きた証」のひとつでしょう。


でも、どれほど多くの地位や名声を得ても、いずれ消えていく。


この世には、何も残らない。



「死」を考えない人はいない。


考えないフリをしても、いずれ考えざるを得ない状況になるもんだ。


だから、なるべく「死」と仲良くするべきだと思っている。


日本人の風習は、「見て見ないフリをする」ってこと。


不吉なことは言わない、知らないフリをしましょうってやつ。


でも、それはあまり有効な手段ではないんじゃないかな。


どれだけ忘れたフリをしたって、「死」の存在が、なくなるものではないのだから。



「死」と仲良くすること。


「死」を身近に感じること。


それが、生きる上での、ひとつの羅針盤。



死ぬことをバカにするのはよくないが、死ぬことに対して、必要以上の敬意を払う必要もない。


「死」は、ごくごく当たり前の日常そのものなんだから。



体力の減少、回復力の低下、病気の発症・・・そういう老化現象を感じるたびに、これが積み重なって「死」になるんだな、とおぼろげながら実感できる。


「死」と仲良くする。


それが、今という時間を大切に生きる基盤になると思いますね。