病院に行っても、不満が残ってしまう患者さんは求めているものが違うのではないかと思う。
病院は“病気”を治療するところ。
よって、“調子”が悪いとか、“具合”が良くないって症状は、専門外ではないのだろうか?
「病院では、健康になれません」
こう言い切る、現役のお医者さんもいます。
病院がダメというわけではなく、“健康”になるために存在しているのではないということ。
“病気”は病院で治療します。
ここで問題。
では、“病気”がない状態が“健康”なのでしょうか?
ここが意見の分かれ目。
これまでの常識では、「病気がないイコール健康」という方程式でした。
しかし、人間は欲深いもので、医学が発展するにつれ、昔なら病気と言えないレベルのことまで“病気”と認識するようになる。
例えば、がんは病気でしょうか?
もちろん、私だって“病気”と思ってしまいます。
ただ冷静に考えてみると、がんは他ならぬ自分の細胞自体が変化したもの。
つまり、自然現象のひとつとして捉えることだってできます。
がんになるのが不幸なのではなく、ならない人がラッキーだってことでしょう。
医療技術は、日々発展しています。
そのわりに、病人は減っていないのはなぜでしょう?
むしろ増加の一途をたどっています。
病人が減っていくのなら、医療費問題なんて起こらないのですから。
「私は健康だ」
そう胸を張って言える人がどれくらいいるのでしょう。
あまりいないのが現実ですね。
具合が悪くて病院に行っても、「異常なし」と診断される。
となると、「この具合の悪さは何だ?」という不満が残る。
でも、それでいいのです。
お医者さんは“病気”の専門家であり、“具合”の専門家ではないのですから。
「調子が悪いのは気のせいだよ」
こう言われてしまうと、苦しんでいる人は怒ってしまうではないでしょうか。
けれど、それが事実かどうかはなんとも言えませんが、問題はそこではないはずです。
大事なことは、「その調子の悪さを抱えながら快適に生活ができるか」ということだと思います。
例えば、肩が上がらなくなり、「五十肩ですね」と診断されたとします。
でも、そう診断されたからって、正直症状は変わりません。
問題は、病名ではなく、その状態とどのように折り合いをつけて生活していくか、ということ。
患者サイドの心理としては、とりあえず病名がつくと安心しますが、それが解決に繋がらないことだって多いことを認識すべきです。
そうすれば、お医者さんに腹が立つことも減ります。
精神衛生上、周りに不満ばかり言うことは、周囲にも、そして本人にも何のメリットもありません。
不満を言うことは、瞬間的には気持ちいいことですが、より不満を強めるだけ。
それが、人間なんです。
“具合”や“調子”が悪い時、どうすればいいのでしょうか?
そういった状態の時の専門家が、整体師であるべきではないでしょうか。
専門家というと、偉そうですね。
だから、困った時のサポーターといった存在になれればいいと思います。
本質的には、本人の問題です。
“調子”も“具合”も、本人が解決するしかない現象です。
誰かどうにかしてよ・・・という考え方が良くありません。
良くないどころか、そういった依存心が症状を悪化させています。
とどのつまり、どんな病気であろうと症状であろうと、本人が受け入れるしかなく、他の人が代わりをしてくれることはないのです。
病気も、その人の人生の一部です。
目を背けても、何も変化してくれません。
誰も代わりをしてくれません。
しっかり生きるということは、しっかり死ぬということ。
長寿がいいこととは一概に言えませんし、病気が不幸とも言い切れません。
全部含めて、その人の人生なのですから。
自分で解決する以外にないものですが、残念ながらそれほど現代人は強くない。
ならば、サポートする仕事もあってもいいと思います。
それが“整体”です。
現代人の弱さは、“不自然”が多すぎること。
頭でっかちで生きていることです。
脳は体を支配していますが、脳こそが体、ということではないのです。
体あっての脳なんです。
体をメンテナンスすることで、脳に偏りすぎた生き方に、人間が本来持っている“元気”を取り戻すきっかけになると考えています。
私は整体で“元気”を追求したい。
元気とは何か・・・。
正直、分かりません。
しかし、経済的に豊かになった現代に必要なことだと思います。
食べるものがなければ、心の病も存在しないでしょう。
将来、心の病は、痛風のように“贅沢病”と呼ばれるかもしれませんね。
それでも、そのことで苦しんでいる人が多くいるのが現代日本。
整体が、体を通して心にも効果があるようになれればとベストだと思っています。