なんだか、日々疲れるな・・・。
そんなときは、多くの場合“やらないための努力”をしていることが多い。
何にもしていないのに、「疲れた、疲れた」と言っているときは、要注意!
知らない間に、大事なことをやらないために努力している可能性がある。
やらなきゃいけないことって、毎日いくつもある。
これして、あれして、その後それもして・・・・・・なんて考えてしまうと、だんだん嫌になってくる。
でも、人間一度に出来ることは、たったひとつ。
同時進行でしているつもりでも、冷静に判断すると、ひとつひとつを反復しながらやっているだけ。
決して本当の意味での「同時」ではなく、「同時っぽい」だけである。
やりたくないことを目の前にして、人間の取れる行動は、ふたつ。
やるか、やらないか。
細かく見れば、楽しくやるとか、嫌々やるとかあるのでしょうが、実際の行動としては、やるかやらないかのみである。
基本的に、やるかどうか悩んだことは、やるべきである。
やらない方がいいこともあるだろうが、大体迷うことって、「やった方がいいんだけど面倒くさい」ってことが大半。
このやった方がいいことを避けるのって、本人が意識している以上に疲れること。
どうすれば、成功するか・・・。どうすれば、素晴らしい人生になるか・・・。
ここいらのことって、みんななんとなく答えを知っています。
みんなが考える答えを実行できれば、たぶん成功するのでしょう。
でも、しない。
なんだかんだ言って、しない。
しない理屈が正しい時もあるだろうけど、大事なのは本音。
本音は面倒くさいからしたくないってこと。
何をしたらいいのかが、分からないのではない。
した方がいいことなんて分かっているが、面倒。
だから、いろいろ理屈をつけてやらない自分を弁護する。
これが“やらないための努力”です。
この努力は、すごく神経を遣う。
とても疲れる作業なのに、何も生み出さない。
だから余計に疲労感、徒労感、倦怠感が出てくる。
夏休みの宿題も、やるぞ!と計画を立てると、その時点で疲れてきて嫌になる。
できるとこまでやってみっか・・・ぐらいの軽いノリですると、意外とスイスイ終わってしまうもの。
まあ、言うのは簡単なんだけど、重い腰を上げるのって、習慣付くまで一苦労ですが。
同じ疲れるなら、面倒でも何でも、やるべきことをやってしまうこと。
どうせクタクタになるなら、何かが変わるかもしれないことで、クタクタになろう。
「どうせやっても意味がない」
その意見は正しいのかもしれないが、それこそ“やらない努力”をしているってことじゃないかな。
結果なんて、分からない。
結果が分かることなんて、たいしたことじゃない。
人間の行動に、「なぜ?」を入れすぎると、充実した時間なんて過ごせるはずもない。
人が満たされるのは、時間を忘れて没頭してしているとき。
なんでもかんでも理屈があるわけじゃない。
生きることは、考えることより感じることが大事なんだ。
やるべきことがあるのは幸せなこと。
それが、しんどいこと、面倒なことでも、やるべきことが存在するのは幸せなことなんです。
だから、まずは理屈はなしでやってみること。
やっていく内に考え方なんて変化していくものだから。
“やらないための努力”とは、言い訳であったり、正当化であったりする。
そんなことで大事な時間を消費するのって、もったいないよ。
理屈抜きで“やる”ことが、なにより大切。
同じ疲れてしまうなら、“やるための努力”で疲れましょう!