photo by You Kusaka
カーデンさんにお越し頂いた原さん
受けて下さった雅子さん
そしてVeryVegeyさんで受けて下さったM子さんから
早速ご感想を頂きました♪
インプロヴィセッション?ってそれなぁに?
というわけで知的好奇心丸出しで愛知池へ。
結論から言うとこの言葉の正体は杉丸流の音楽療法だ。
インプロヴィってのはお察しの通り即興演奏のこと。そしてセッションのほうはいわゆる合奏のことじゃなくて、カウンセリングのセッションに近い。
杉丸流とはいっても決して我流のトンデモ療法ではなく、しっかりと専門家の指導を受けた上で確立されたメソッドである。それが証拠にとある専門学校でこのセッションの講義を持つ予定があるとのこと。
だからこれはミュージックであると同時にサイエンスであり、さらにスピリチュアルな要素も含んでいる。
奏者がその内的世界を音に乗せて発信し、我々がそれを受信して共感する・・・これが普通の流れだか、インプロヴィセッションはその逆をいく。
ピアノを挟んで向かい合った奏者とクライアント。奏者はまず相手の内面を感じ取り、即興的に音楽にして返す。1対1の双方向通信だ。フィードバックされたその音はクライアントの心身に何らかの浄化作用をもたらすという。
その時、客席は蚊帳の外なのか?いやいやそうではないらしい。その音楽そのものが我々傍観者の心にも作用してある種の一体感が生まれるという。
杉丸くんはそれを「ワンネス」と表現した。
今日は各ステージでお一人ずつ、計2名の方がクライアントとしてこのセッションを体験し、僕らもその時のピアノ演奏に少なからず共感できたような気がする。
僕はセッションこそ受けてはいないが、お気に入りの曲「シリウス」の演奏がいつもにも増して壮大なイメージとともに、尋常じゃなく胸に迫ってきて少々驚かされた。
セッションの作用で知らぬ間にこちらの心も大きく開いていたのかもしれないね。
今後は科学として成立させるための様々なエビデンスを取っていくという杉丸くん。
この試みの行き着くところは世界平和・・・彼はそこまで目指している。その心意気に激しく賛同!
原さん
【細胞を音符に変換された感じ】
始まりは、雅やかな感じを受けた。「雅」って名前の一文字だわ~。
ゆっくりと確かめるように一音一音が響き渡ると次に来たのは「孤独」。宇宙空間に解き放たれてまどろんでいるような感じ、淋しいとか悲しいとか感情を超えていきながら、粒子となってただそこに在る。ありとあらゆる音が重なり合う。耳慣れない音の重なりの時は調整されている感じ。魂の歴史が織りなすメロディに今の自分が耳を傾けている。
思考を止めて源にアクセスすると、第2チャクラあたりから螺旋状に内側のエネルギーが上昇していく。深く深く氣太くなって本質に還っていく。本来の自分になればいい。雲海が拡がるイメージが来て、これは終わりなく奏でられ~果てしなく続きそうだが、現在地を美しく調整されて音が静まったという感じだった。最後は壮大でごっつく力強かった。
友人も一緒に聞いてくれて、浄化と共に深く入り、最後は黄金が拡がった感じという感想や、もう一人の人は胸に響いてきたけれど、私の時は首から上にきたといい藍色からだんだんとグラデーションして最後は白になったとそれぞれの体験を分かち合うこともでき楽しさ倍増。また、お隣にいた方は始めからなんか嫌な感じで受け入れられなかったことをや銀の雨が降り注ぐ感じでもあったとシェアしてくださった。ワンネスの体感もれぞれ別々にして一体である。
宇宙は豊潤ですね。もう一人の方の時は、マドンナ像や森や妖精の美しいイメージの中に深い母性を感じました。
杉丸さんありがとうございました。益々のご活躍をお祈りいたします。音譜
雅子さん
★先生のセッションは以前ライブで見たことがあったのですが、
大勢の前で、というのに若干抵抗がありました。
今回、こじんまりとしたカフェでのセッションだったので、
申し込みをさせていただきました。
やっぱり緊張していた私は、
「2番目」でお願いしたのですが、1番目の方の曲ですでに号泣してしまいました。
なぜだかわかりませんでした。
「悲しい」とも「嬉しい」とも言葉で表現できない感情が溢れてきて、
ただただ涙が流れました。
次は自分のはずなのに、すでにお腹いっぱいになってしまいました。
少し落ち着いてからセッションを始めていただいたのですが、
初めはとても緊張してしまい、1音1音聴くたびに、
「あ。キレイ。あ、でも不響。え。そこでこの音来るの?私って何?」などと音を判断してしまう自分がいました。
「変な曲(暗い曲)だったらどうしよう」みたいな不安があったので、
導入部分はそれが見事に反映されていたような気がします。
でも、落ち着いて音に身を委ねるようにしたら、
曲もどんどん落ち着いてきて心地よくなりました。
そして、そこで安心してれば良いのに「この先どうなるんだろう?」とまた曲(音)のことを考え出してしまったのですが、
それを打ち消すように激しく心地よいリズムが刻まれ、再び号泣。
そしてそのまま静かに終焉。
終わった時は放心状態でした。
うまく言葉にできなくて「なんかもうすごいです」としか言いようがありませんでした。
感想を話してる自分も自分じゃないような気がしました。
このセッションは録音が可能なので、
家で落ち着いて聴いてみたのですが、
不響だと思った部分も、複雑で繊細で葛藤が多い自分の性格そのまんまのような気がしました。
また、変な音や曲なんて存在しなくて、
もうそれがそのままの「音楽」なんだと思います。
予想外の音が入ったりする方が「自分の個性」や「自分らしさ」であり、
そう思えることは、自分の恐れていた(?)ダークな部分を受け入れることができたのかもしれません。
また、時間を空けて受けてみたいです。
生徒M子