「道徳みつけ」は内発的動機付けとなり得るか!? | まるしん先生の教育&実践研究ふんとう記

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#学級経営#子どもが学ぶ授業学級(銅像教育)#はじめての先生#道徳 #道徳授業 #道徳教育 について日々実践&研究中です。単著・編著20冊、日本道徳教育学会会員、日本道徳教育方法学会員、関西道徳教育研修会 代表

こんにちは。

修了式を終え、ブログを書くペースも若干落ち気味の丸岡です。

#とはいえ、こうしたときは無理をしないのが一番。

 

春休みと言えば、教育書もたくさん出版される時期。

私もこの春は2冊を出版させていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

3年生学級経営はチームで執筆した大切な本。

そして、「聞く力」の本は、先生にとって、とても大切なことを言語化させていただいたと思っています。

 

また、以下の書籍も好評です!!

 

 

 

 

 

 

こちら2冊は学校を動かす大切な役職に関する書籍です。

 

さらに…

 

 

 

 

 

 

 

 

これらの言葉かけシリーズも好評です。

先生の言葉かけは、子どもたちの栄養源です。

ぜひ、本書を通じてレベルアップしてほしいなぁと思います。

 

 

 

さて…

 

昨日の午前中は

会社の工場に出ながら、オンラインで先生の学習会に参加させていただきました。

森直也先生@和歌山 が主催する「サークルわっか」の学習会です。

 

私が聞かせていただいたお話は、

「道徳授業開き」に関するお話。

 

道徳授業開きについては、

過去のブログでも掲載させていただいております。

 

 

 

 

 

 

 

今回の記事で迫ってみたいのが

「道徳みつけ」は内発的動機付けになりうるのではないかということ。※「外発的動機づけ」が×というわけではありません。

 

まずは、次を示します。

 

自已有能感と自已決定感との関連について、Decl (1980)はさらに自已決定感の優位性を主張している。すなわち、自己決定した状況においてのみ、 自己有能感の增減は内発的動機づけの高低につながると仮定し、 自己決定感のない強制的な状況での見せかけだけの有能さや、強制された無能力は、内発的動機づけを変化させないとしている。(磯井1992)

 

 

では、道徳みつけは内発的動機付けになりうるのでしょうか。どうやら、次の箇所から「内発的になりうるのではないか」と考えられるでしょう。

 

deCharms(1968)は、Heider(1958)のlocus of causalityの概念を発展させ、自分自身が自らの行為の原因である(origin である)と認知している状態を内発的動機付け、

 

自分の行為が外的な力によって決定されている(pawn である)と認知している状態を外発的動機づけとした。

(鹿毛1995)

 

道徳みつけは自らの心が動いたと思う箇所を選択していく行為です。自己選択をすることで、子どもたちは学習意欲を高めたり自分ごとの学習へ昇華していったりすると仮定しています。

 

このあたり、さらなる調査を進めたいところです。

 

 

 

 

 

参考・引用文献

『内発的動機づけと学習意欲の発達』鹿毛(1995)

『内発的動機づけに及ぼす自己有能感と 自己決定感の効果』磯井(1992)

 

 

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