マルです。
何度かブログに書いていますが、私の一番好きな戦国武将は常陸国小田城の城主 小田氏治 です。
戦に負け落城し、城を奪い返す→落城→奪還→落城→奪還...をひたすら繰り返した小田氏治。正に 不死鳥 と呼ぶにふさわしい武将です。
[戦国最弱] [弱い方のオダ] とも言われ、[ポンコツ武将] [ゆるふわ武将] など、ちょっと不名誉なランキングの上位を独占しています。
何しろものすごい負けっぷりですから。
常陸国 (現茨城県) の 最弱大名 小田氏治。魅力度最下位 茨城県。どちらも 1番下ってことですね。下でも1番は1番、インパクトは大きい。
[県の魅力度最下位] という不名誉にも、常陸の民は小躍りして喜んでいます。目立てば良い。氏治も最弱だからこその人気なのです。
小田氏治はあの織田信長と同世代。信長は48歳で亡くなり、氏治は信長より20年も長く68歳まで生きました。
同じ [オダ] でも、織田信長はメチャ強の三英傑の一人。一方の小田氏治は負けてばかりのポンコツ大名。
しかし信長は重臣である明智光秀に謀反を起こされ炎の中自害。氏治は何度負けても、忠義の厚い家臣や領民達に助けられ天寿を全う。
氏治をどこまでも支えた家臣団や領民達。氏治には計り知れない魅力があったに違いありません。
すごい時代ですよね、戦国時代。氏治の戦った相手もビッグネームがずら~りです。北条氏康 上杉謙信 佐竹義昭 、義重など。
これほどの大物達と戦いあれだけ負けて、負けたどの相手よりも長く生き、最期は畳の上で亡くなっています。
そんなに弱かったのかというと、実はそうでもないんじゃないかとアチコチで囁かれています。なぜなら9回落城しても、8回は奪還してますから。城を取り戻した戦はもちろん氏治の勝ちです。負けてばかりでもないのです。有能な家臣達に助けられての奪還ですが。
たった1度の落城でも、大抵の城主は命を落としてしまいます。氏治は9度の落城で8回城を奪還し、落城時に命を落としていません。
しかし、9回目の落城でとうとう小田城に戻ることは叶いませんでした。
戦国時代も強さだけでは生き残れなかった。但し人望だけでも勝ち残れない。
ラスボス豊臣秀吉の登場で、氏治の所領は全て没収されてしまいました。豊臣の小田原攻めの最中、豊臣方の佐竹氏を攻撃していたために。
世の中の情勢がどうであろうと、氏治は9度目の城の奪還に執念を燃やし、佐竹を攻撃し続けていたのです。残念。
氏治は、鎌倉時代から続く名門小田家を守りきることは出来ませんでした。
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