今日は曇り空でほっとけば気分は曇りがち☁️
休暇中にも拘らず、職場からの連絡が絶えないことが煩わしくもあるが、社会から切り離されていない安心感もある。いや、やっぱ煩わしいか![]()
ただ、前回書いたように2024年は、今の職場に入って初めて無能の烙印を押され、そして自分でも押してしまい、本当に辛い最悪の1年だった。あの頃と比べてみれば、こうやって休暇中も上司から連絡が来るのは、自分が必要とされているからと前向きに捉えることもできるわけで、やっぱりありがたい話なんだろうと考える。
今回郷里に帰り、施設で一人暮らしをしている後期高齢者の父親を訪ねて行った。二日間、最初は海に🌊🏖️、翌日は山に🏔️にある、親父が大好きな食堂に連れて行った。親父の年齢になると、当然、日々必要とされなくなることを身に染みて感じているのかもしれない。逆に、あの年齢で年金等を当てにされて、子供から依存されるのはたまったもんではなかろうけれど。
自分も親父の年齢になったとき、いよいよアルバイトも何もできなくなったとき、社会との接点が嫌でも切られてしまうような年齢になったときに、何を考えながら、そして何を求めて生きていくのだろうか。いや、今、この年齢で、それを考えても致し方ないか。老後に向けて、物理的には貯金をするなどして準備をしているが、精神的には何を準備していいのか、考える余裕もないというか、考えてもしょうがないかと言う思いが先に立ってしまう。そして今はとにかく今を生きるということでいいんだろうし。
必要とされないと考えながら生きる老後。実際に必要とされることを肌に感じながら、それを煩わしいと感じる、今のこの年齢。どちらが幸せなのか、その答えは当然わからないわけで、また、あえてどっちがどうこうと判定するべき時期でもない。
その答え合わせは、親父の年齢になったときにできるのだろうか。ただ、その答え合わせをするときに、やっぱり老後のわずらわしくない日々も、それはそれでいいではないかと思えれば良いと今は思う。
