「自分は人生でレギュラーになったことなんてあるのだろうか?」
病院の待合室。気怠い雰囲気が漂う病院のソファでは英会話の勉強などする気も起きない。そんな時、頭に浮かぶのは昔のことばかり。それも、ただそうだったとないう、今となっては後悔も何も伴わない年少期の思い出が多い。それも劣等感にまみれたことばかり。
小学生の頃からいつも遠くに行きたかった。キャンプやサイクリングに憧れていた。だからボーイスカウトの年少枠であるカブスカウトに入りたかった。
しかし、親は初期費用の他に行事の度に交通費やら色々金がかかるカブスカウトに金を回すより、兄や僕の将来の教育費に回すことが重要と考えたのだろう。至極当然のことである。結局あまりやりたくもなかった少年野球に私を入れた。
早生まれというか、学年単位でみると同級生の中で一番遅生まれの私は発育も不十分であったし、虚弱で、もとより運動神経も鈍い。最初からレギュラーには程遠く、補欠は指定席であった。それでも一年半位はいたが、日曜日も試合にも出られないのに呼び出され、試合用ユニフォームを着て、泥汚れもなくまっさらのまんま自宅に帰って来る。その繰り返しにほとほと嫌気がさした。子供は子供なりに、その場での自分の存在価値を考えるものだ。そのうち辞めたが、成長期に入り、虚弱体質から食べ盛りになりぶくぶく太り始めた僕を見た両親は、今度はサッカークラブに入れた。しかし、ドラム缶🛢️のように太った僕がいきなりシャープな動きをするはずもなく、またしても補欠となるのもは当然だった(当時の僕のあだ名は「ドラム缶スタイル」だった)。中学に入っても、当時の「不良少年」にならないよう、兄貴もその昔在籍したバスケ部に入れられた⛹️🏀言うまでもなく、ここでも補欠だった。
スポーツに限らず、勉学も同じようなものだった。中学では校内一位か二位だった兄と比較されて、親からも説教されたし、近所からも出来の悪い弟として軽侮された日々。兎に角何もかもが劣等感に付き纏われる少年期だった。
その後、高校では補欠になるのが嫌で部活はやらず、一浪後に入学した大学ではサイクリング🚴をやった。ようやくたどり着いた、補欠の負い目なく過ごせた数年間だった。
心理的な形成が進む少年の頃ずっと補欠だった自分を振り返ると、その経験から何を得たのだろうかと考える。
補欠制度の良し悪しについて語るコンテンツは多い。高校野球で100名以上の部員がいる名門校での補欠の話もある。補欠でもレギュラーをサポートする側に徹する姿、それはそれで立派で美しいし、人間としてその後の人生で必ず役立つのだろう。
はて、自分はどうだったろうか。正直言って、自分が劣等感を感じた経験は、あんまり前向きな形で、今の人生に作用していないような気がする。また、そもそも、少年時代に補欠として美しい思い出や経験が残るほど頑張ってみたかと言えばそうではない。要は自分が頑張らなかった結果が現実として現れただけだ。その現実を正面から受け止めるには少年の心があまりにも弱かっただけだ。そうやって劣等感を積み上げただけで、今も自分の心の奥底に澱のように溜まっているような感じがする。
補欠制度による少年の心理形成に与える影響については、いろんな人がいろんなことを感じ、思うところがあるとは思う。
もちろん、僕も中年の後半に差し掛かってきたので、補欠になったからといって、悪いことばかりではなく、補欠だったからこそ、その後の人生が豊かになったと言う結論で締めくくりたい。
補欠という経験を嫌ほど体験したことが、本当に良かったのかどうか。この答え合わせは、まだもうしばらくは出来そうにない。
かと言って勉学も振るわず、市内から外れた偏差値48〜50の高校に入った。
