人生には通りすがりの人、実は自分が気づかないけれど、その場その場で助けてくれた方々が実に多くいることに、中高年の年齢になって、ようやく気づいた。頭では分かっていたつもりだったが、実は本当には分かっておらず、最近になってようやく心にストンと落ちてきた。
 自分は組織に属していて、その組織——会社という場所——が、朝解錠され、電気がつけられ、外部業者が掃除をし、各担当が業務をこなし、その日の夜に施錠されるまでの間、実に多くの人がこの組織の運営の維持に貢献してくれている。自分はその一部の歯車であり、歯車として使っていただけることにまず感謝しつつ、私という歯車が回って組織を動かすために、他の歯車である人たちも動いてくれている。その一つ一つに価値がある。
 同時に、組織が動く上で雑音、軋みを引き起こす人もいる。これはどこにでもいる。今の職場も例外ではない。その人は、自分よりも地位が非常に低く、年上でも言い返さない人の良い人間に対して、ぞんざいな言動、態度を取る。私よりも20歳くらい若い職員であり、他社からの出向者である。この狭い組織において、いろんな人に世話になっていることを、恐らくこちらの御仁は理解されていないのであろう。でなければ、あのような言動をとるはずはあるまい。



 思い返すに、自分も20代、30代前半の頃はああだったかなと反省している。そんな自分にもかかわらず、仕事を割り切って淡々と業務を支援してくれた方々がいかに多かったことか。思い返すと一人一人に謝りたいくらいで、あの頃の言動を思い返すと、「顔から火が出る思い」、「穴があったら入りたい」くらい恥ずかしい私であった。人生が因果応報の連続だとすれば、この出向者から嫌な思いをさせられるとき、そしてこの関連で上司などへの説明や調整に苦労するとき——それは応報か、あるいは功徳を積んでいるのだと考えるようにしているが……。

 話はずれたが、そんな周りにいる人とも、長くて3年くらいでお互いに異動になるわけで、二度と会わない人もいるわけで、これまでにこうした「通りすがりの人」とどれだけ出会い、別れてきただろうか。その方々の中には、私が随分失礼な対応をした人もいるだろう。今でも私を恨んでいる人もいるのではないか。そう思うと、今、出向者から嫌われていることも、その因果応報かと思う。

 と、いろいろ考えつつも、これまでにお世話になった「通りすがりの皆様」に感謝しつつ、これからは丁寧に接していきたい。