今から34年前。東京で就職した1992年、母が祖母を連れて上京した。祖母は当時82歳だったろうか。初めての上京であった。私や既に仕事で東京にいた兄とともに、東京を見て回った。当時既に亡くなっていたが、祖父は昭和40年代まで警察官として現役で働いており、東京には時々出張できていたらしい。祖母は、祖父の出張先であった警視庁庁舎と警察庁が並ぶ合同庁舎をしげしげと眺めていた。
祖母は、僕が生まれた年に脳溢血で一時期、ほぼ全身が麻痺し、入退院を経て、自宅にてリハビリしながら療養していた。大正元年生まれの警察官であった頑固親父の祖父は、家事の手伝い、祖母の全身マッサージなどそれはそれは尽くしたらしい。それ以前は、帰宅して夕食が準備されていないと怒鳴り散らすような夫だったらしいが。
そんな祖父を上京の数年前に見送った祖母は、どんな思いで警視庁庁舎を眺めていたのであろうか。

母は、年齢的にも体力的にも祖母にとってその時が最初で最後の上京であると考え、できる限り、身体に負担を与えずに東京を見せたいと考えていた。そこで、僕の仕事場の近くから、とりあえず皇居でも見に行こうかということになり、タクシーを止めた。祖母が上京してからタクシーは何度か使ったが、まあ、大して愛想はなく、タクシーの運転手はそんなものかなと思っていた。
そして乗せてもらったタクシーであったが、強面の運転手さんは、祖母がはるばる九州は熊本から人生最初で最後の思いで上京してきたと知ると、とたんに相好を崩し、「おっかさん、是非おっかさんには、それはそうだなぁ、まずは皇居一周ね」と皇居を桜田門から正にぐるりを一周して、そこが「なんとか門で、年始の挨拶の際に入場者で一杯になる」とか、次は銀座に連れて行ってくれて、「おっかさん、ここがあの銀座ですよ」と見せてくれて、「おっかさん、ここが是非見せたかった日本橋の・・・」と実に親切に見せてくれた。最後は、宿舎に近いJR恵比寿駅で降ろしてもらい、母がチップを若干包んでいたが、実にあたりの運転手だったなぁと家族で喜んだことを覚えている。
その旅行も終わり、母は祖母を連れ帰った。祖母は上京に実に満足していたらしい。就職したばかりに精神的に余裕はなかった私も、後で聞いて本当に良かったと思った。
母は記念にその運転手さんのネーププレートをメモしていたらしいが、祖母は、それを元にタクシー会社にその運転手宛に、どうぞみなさんでお召し上がりくださいと熊本ミカンを送ったらしく、そして、その運転手さんから、お礼の電話が来たらしい。祖母は、母の姉である私の叔母の家の別棟で暮らしていたので、直接電話は取れなかったらしいが、くれぐれもよろしく、と運転手さんは言っていたらしい。

運転手さんは、ミカンを見て、祖母を思い浮かべてくれたのであろうか。ミカンは酸っぱくなかったろうか。
その運転手さんの名前など覚えてはいないし、今もご存命かどうか分からない。

ただ、祖母にとって最初で最後の上京であったし、母はそんな祖母の上京を良き思い出にしたいと考えた。そんないろんな思いを持っていた私たち家族を支えてくれた運転手さんには今も感謝の思いで一杯である。

結局その後の人生ですれ違うことすらなかったが、今も折に触れて思い出す、大切な「通りすがりの人」である。