十回目の金剛福寺参詣 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 観自在寺や延光寺がそうであったように、金剛福寺もまた私にとって参詣回数が十回となりました。

 初めて四国霊場を訪れた時などは、足摺岬に行くなど、それこそ果てしない道のりで、どれだけ時間がかかるのか、どれだけ列車やバスを乗り継いで行くのかと、途方に暮れるような思いでした。

 まず、くろしお鉄道の中村駅に着くまでが長いですが、そこから先、バスで足摺岬に行くまでも長い。当時買ったガイドブックには、中村駅から足摺岬行きバス一時間四十五分と書かれていたので、とほうもない距離だなと思いましたし、その影響なのか、三度目や四度目の参詣くらいまではよく四国へ行く夢を見て、その夢では高知県へ行くのさえ何日もかかって足摺岬になるとさらに日数がかかるというような内容でした。

 実際はそんなことはありませんが・

 ただし、飛行機で高知入りしたところで、高知の龍馬空港は高知駅とか高知市街より東側にあるのですから、空港から足摺岬へ行くとなると相当時間がかかります。夜行バスでも、直接足摺岬へ行く便はありません。関西から夜行バスで中村や宿毛方面へ行く便はあったようですが。

 なにがいいたいかというと、それだけ遠く時間のかかる道のりでも、十回も行けたということに自分のことながら驚いているし、いろいろな感慨があるということです。

 東京に住んでいる者が浅草寺や増上寺へ十回行った、などというのはそんなに難しいことではないのですが、足摺岬へ十回行ったとなると、本当に大変なことです。

 交通の発達した現代でもそう感じるのですから、昔の人はどう感じたでしょう。

 補陀落世界と呼ばれる観音浄土は南の海の向こうにあるとされ、昔々の人々の中には、船で海を渡ってそこへ行こうとした人が大勢いました。

 本州では紀州熊野が最も観音浄土に近いとされ、那智勝浦あたりから船で観音浄土に向かったという人が大勢いたという。

 四国では足摺岬が最南端で、南の海の向こうにあるとされる観音浄土には最南端の地が一番近いというわけですから、熊野同様に、足摺岬から観音浄土へ向かったという。

 むかしむかしには、鹿児島県の薩摩半島や大隅半島の南端よりも足摺岬のほうがもっと南だと考えた(正確な地図がない時代は)人がいたようで、足摺から観音浄土へ、という観音信仰と「補陀落」への渡海が盛んにおこなわれたようです。

 そのことを踏まえると、昔の人にとって足摺岬は特別な地であり、浄土にいちばん近い地とされた、といえるのです。

 浦島太郎じゃあるまいし、実際に「浄土へ行って戻ってきたぞ!」なんていう人はいなかったわけで、観音浄土が本当に南の海の先にあるのか、どれくらいの距離か、なんて誰も分からなかったでしょうが。

 なんにせよ、信仰の歴史としては、足摺岬は「この世の果て」みたいな場所であり、目の前の海は「この世」と「異世界」の境界線のようなものだったわけです。

 そう思うと、また、はてしない気持ちになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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