その名も「一宮城」です。
南北朝時代に築城され、長い間、阿波国の攻防に重要な意味を持っていた山城です。
四国を制した長曾我部元親もここを戦略上重要な拠点とし、豊臣秀吉の大軍勢の王劇に備え、その戦いの後、蜂須賀家政が阿波の国主となるや入城し、徳島城を築くまでこの城を居城としていたとのこと。
松山城や姫路城、彦根城などとは違い、跡がある、というだけですが、参考地図などを見るだけでも大規模な城だったことが分かります。
一宮神社の境内の端の方から道があり、城跡への上り口になっています。城跡好き、歴史好きな人は四国霊場第十三番札所・大日寺や徳島市一宮神社を目標にして、札所や神社に行ってから山を登るのが良いでしょう。
徳島県の城跡といえばJR徳島駅近くの徳島城ですが、歴史マニア、戦国マニアにとってが一宮城のほうが関心あるかもしれません。 ↓
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