徳島市一宮神社の神は何故、本地が十一面観音とされたのか | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 徳島市一宮神社に参詣しましたが、境内には誰もいませんでした。

 閑散として、実にわびしい感じです。

 道路を隔てて隣り合う四国霊場第十三番札所・大日寺ならば、境内に人がいないことはあっても納経所に人がいますし、宿坊もあります。一時的に遍路の姿が見えないことがあっても、しばらく経てば大勢来るような来ます。が、一宮神社には社務所がなく神主・巫女さんの姿も見えません。誰かお参りに来そうな予感など全くしませんでした。

 たぶん、正月とか祭礼の日には大勢来るのでしょうが。

 しかし、かつてはここが阿波国の一宮だったのです。

 神仏習合の時代には、本地垂迹思想というのがありまして、日本の神は佛が神の姿をとって現れた、とされました。実在の人間がやがて神として崇め奉られた場合も、佛が人間の姿をとって現れた、とされました。佛が本で、神は仮の姿とされたのです。

 徳島市一宮神社の場合は、主祭神のオオゲツヒメの本地佛が十一面観音だとされました。

 明治以前の遍路は一宮を札所として一宮に参詣したのですが、オオゲツヒメを拝みつつ十一面観音を拝んだのです。

 もう二十年以上も前のことですが、NHK総合で日曜日朝に「四国八十八か所」という番組が放送されました。この中で、当時の御住職・大栗弘榮さん廃仏毀釈当時のことについて、こう語っていますか。

 「ご本尊だけは、その当時の住職が、袈裟でくるんで自分の命を張って自分の部屋へ持ち帰ってお助けをしたという、そういう歴史がございまして、この十一面観音様だけがどうにか難を逃れました」(NHK出版『四国八十八か所 こころの旅①』より)

 このようなことがあって以来、神社とお寺は断絶され、遍路が神社で拝んでいたという歴史も忘れられがちになりました。

 それでも、いや、それだからこそ、オオゲツヒメの本地が何故十一面観音とされたのか考える必要があるかと思います。

 

 天石門別八倉比売神社の摂社・大泉神社のように泉がある神社で本地が薬師如来とされたならば理由もよく分かります。昔から、水が命を清め、病をいやすという考えかたがあり、泉は聖なるものでした。濁った水は飲めないが清らかな水は咽喉を潤し、生命力のもととなる。病気平癒もまず水から、という考え方もあるでしょう。薬師如来が本来の「迷妄から悟りへ導く佛」という意味ではなく「病気平癒の御利益をもたらす佛」という性質に強調されたならば水や泉に関係した場所も薬師如来とかかわるのもよく理解できます。実際、東京都あきる野市の二宮神社などは、神仏習合の時代には「本地佛は薬師如来」とされたようです。神社の近くに湧き水があり泉がありますのでなるほどと思います。

 では、一宮神社の本地が十一面観音なのは何故なのか?

 先に説明した日本の神話のスサノオとオオゲツヒメの話を思い出してみましょう。

 オオゲツヒメの死体から、蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆が生じた、という話です。事実そのままとは思えない「神話」ですが、オオゲツヒメが養蚕技術を教え、稲作や粟、小豆、麦、大豆の増産を指導した人物の神格化、とも考えられます。

 この多方面の活躍から「十一面観音」を連想したのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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