八坂寺で「極楽図」をみる | 石川鏡介の旅ブログ

石川鏡介の旅ブログ

四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 四国霊場第四十七番札所・八坂寺の境内では、橋門の天井絵でも、「極楽の道(途)」でも、天人の姿や極楽浄土の様子を見ることが出来ます。

 むかし、八坂寺は熊野修験の道場として大いに栄えたといいます。

 熊野本宮大社の本地佛は阿弥陀如来ですので、明治の神仏分離令以前の日本人ならば、熊野の神を信仰するという事は熊野の神を信仰することとと同時に阿弥陀如来を信仰することでもあったのです。

 また、八坂寺の本尊が阿弥陀如来であり、恵心僧都源信の作と言われることと、これら浄土絵、極楽図が描かれたこととは、無関係ではありません。

 浄土信仰の礎を築いた代表的人物が源信であり、彼の著書『往生要集』には死後の世界、極楽や地獄の様子が説明されています。

 浄土信仰の宗派・時宗の開祖である一遍上人の生まれたのが道後温泉の方で、第五十一番札所・石手寺は一遍上人の出身である河野氏の菩提寺といわれ、第五十番札所の繁多寺は一遍上人が修行・学問に励んだお寺といわれ、第四十九番札所の浄土寺はこれまた浄土信仰の礎を築いた空也上人ゆかりの寺であり、第四十五番札所の岩屋寺は一遍上人の修行の地でもある。

 平安後期や鎌倉時代は浄土の教えが全国的に大流行した時代ですが、これらの状況を考えると、四国松山周辺は特に浄土教が盛んだったと思われるのです。

 それを象徴しているのが八坂寺の極楽図でしょう。

 昔の人にとって、いや、現代の人でもそうでしょうが、ただ理屈で地獄や極楽を説いて、その世界の状態を想像しろと言っても無理があるでしょう。ビジュアル的な説明があればよく理解できるはずです。

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村 旅行ブログ 遍路(・巡礼)へ
にほんブログ村