四国霊場第八十三番札所・一宮寺(いちのみやじ)《過去のブログ記事より》 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 

 四国八十八ヶ所の第八十三番札所は一宮寺(いちのみやじ)です。正式には神毫山(しんごうざん)大宝院(だいほういん)一宮寺といい、宗派は真言宗御室派で、本尊は聖観世音菩薩、開基は義淵僧正、所在地は香川県高松市一宮町六〇七番地、最寄駅は琴電(琴平電鉄)の一宮駅です。

 大宝年間(西暦七〇一年から七〇四年)に、法相宗の義淵僧正によって建てられ、年号にちなんで大宝院と名付けられた。後に行基菩薩が来て堂塔を修築し、一宮寺と改めたということです。

 この一宮寺のすぐ近く(隣りと言ってもいい)に田村神社という神社があります。讃岐国の一宮です。一宮寺は田村神社の第一別当職となったために、一宮寺と改称したというわけです。

 国府はもちろんのこと、一宮はその国の最重要地点といってもいいような場所に建てられるので、この田村神社付近が古代の讃岐で特に歴史の古い重要地点だったということが分かります。宮崎忍勝・原田是宏著『四国八十八所遍路 愛媛・香川編』(朱鷺書房)には、田村神社が香東川沿いにあって近くに湧泉水が多く、昔の村人たちが水の恵みに感謝して田村神社を建てた、という風に書かれています。川の近くや湧水のあるところに神社が建てられるのはよくあることですが、瀬戸内地方は他の地方に比べて降雨量が少なく、特に讃岐は大河と呼べるような川が無いので、古代の讃岐の人々は湧泉による水の恵みに深く感謝したことでしょう。

 行基菩薩以後に一宮寺となったこのお寺は、後に弘法大師が巡錫し、聖観世音菩薩像を刻んで本尊とし、法相宗から真言宗に改められたようです。

 中世には長宗我部元親の兵火により焼け、江戸時代には高松藩二代目藩主松平頼常によって別当職を解かれて神仏分離が行われたりしたが、古刹としての落ち着いた雰囲気を遺している札所です。

(2013年11月29日の「石川鏡介のブログ」の記事を再編集)

 


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