飯泉観音(坂東三十三観音霊場第五番札所)の観音堂は金堂ともいいます。金堂というと、奈良あたりの古いお寺を連想します。それだけに、飯泉観音も古いお寺なのだということを示しているようです。
ガイドブックなど説明書きをみると、飯泉観音こと勝福寺の本尊・十一面観世音菩薩像は、もともとは中国大陸にあったもので、日本の天平時代に鑑真和上が唐から日本へもたらしたということです。それが孝謙天皇に献上され、のちに弓削の道鏡下賜された。道鏡が下野国(今の栃木県)の薬師寺の戒壇院を再興するために、この十一面観世音菩薩像をもって関東へ下ったとき、現在の勝福寺から二キロほど離れた場所で動かなくなった。それで不思議に思った道鏡がその地にお堂を建て、観音像をまつった(現在地に移されたのは開基の六十六年後で本尊の霊告によるものだという言い伝えがある)。それが勝福寺の始まりだという。
初めは補陀落山弓削寺という名だったが、室町時代の応永二十五年(西暦一四一八年)に小田原城の鬼門よけの寺となり天皇から飯泉山勝福寺の名を授かったのだということです。
現在の金堂(観音堂)は江戸時代の宝永三年(西暦一七〇六年)に再建されたもので、さすがに古い歴史を感じさせます。「宝形造り」というもので神奈川県の指定重要文化財だそうです。
(2012年5月 4日 の「石川鏡介のブログ」より転載)

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