四国八十八ヵ所の第五十番札所繁多寺に参詣した後はいよいよ石手寺です。大手旅行会社の四国周遊ツアーなどでは、たいてい、松山城・子規堂・道後温泉と石手寺は周遊コースの中に入っています。それほど有名であり見どころも多いお寺です。
第五十一番札所石手寺の所在地は松山市石手町二-九番地。宗派は真言宗豊山派で、本尊は薬師如来。開基は行基菩薩です。山号は八坂寺と同じく熊野山。
五十番の繁多寺からは、浄土寺からの道に引き返してから、その道を北へと向かいます。目の前の山の上に、筆を持った巨大な弘法大師像が見えると、もう石手寺の門前に着きます。門前の雰囲気はいかにも大きな寺院、参詣者の多い寺院らしく、雰囲気だけで言うなら、「四国の浅草寺」と言いたくなるような雰囲気がなきにしもあらず、です。
どういうことかというと、参詣者の多いことと、門前の土産物屋や仏具屋の並び方がいかにも、「絶えず参詣者の訪れる歴史と伝統のある有名寺院」らしいもので、遍路だけでなく一般の参詣者や観光客が目に付くのも特徴だからです。
このお寺は衛門三郎伝説の寺としても有名です。
むかしむかし、荏原郷の長者・衛門三郎は訪れた托鉢僧を追い返そうと、僧の持つ鉄鉢を叩きつけた。鉢は八つに割れた。それから衛門三郎の八人の子が次々に死んでいったため、衛門三郎は悔い改め、発心し、四国遍路の旅に出た。十二番の焼山寺の麓で行き倒れ、そこで弘法大師に遭う。衛門三郎は、来世では河野氏の男子として生まれたい、と言う。大師は衛門三郎に小石を握らせる。
この話に続きがあり、河野氏の主・河野息利(やすとし)に男の子が生まれたがその子は生まれたときから左手を握ったままで、なかなか開かない。奇異に感じた息利は菩提寺の安養寺の住職に祈祷を頼んだ。その結果、男の子は握っていた手を開いたのだが、そこから小石が落ちた。小石には「衛門三郎再来」と書かれてあった。
そのため、奇妙な石は奇跡の石でもあることから、河野氏の菩提寺「安養寺」は名を改め、「石手寺」となった。
今、石手寺の門前には衛門三郎の像があります。