四国霊場・浄土寺(過去のブログ記事より) | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 四国八十八ヵ所の第四十八番札所西林寺へ参詣した後、順番通り、四十九番札所の浄土寺へ行きました。

 所在地は松山市鷹子町の一一九八番地です。西林寺からそのまま北へ向かい、伊予鉄道横河原線の踏切を越えてから左折し、松山市街の方へしばらく進んでから右折します。住宅街の狭い道に入って突き当たりに浄土寺の三門があります。駐車場はそのすぐ手前、向かって右側です。

 浄土寺の正式名称は西林山浄土寺で、宗派は真言宗豊山派。本尊は釈迦如来です。

 このお寺は空也上人のゆかりの寺としても有名です。空也上人といえば、中学か高校の歴史の教科書で写真を見た、という人も多いでしょう。平安時代中期に活躍した念仏聖で「市聖」とも「阿弥陀聖」とも呼ばれています。醍醐天皇の第五皇子という説もありますが、在俗の念仏僧として庶民の中でいわゆる「空也念仏」という踊り念仏を広めました。この踊念仏は鎌倉時代に松山の道後に生まれて「時宗(時衆ともいう)」の開祖となった一遍上人に強い影響を与えました。

 空也上人はこの地に留まり、念仏を広めましたが、この地を去るときに村人たちの願いにより自分の像をきざんだといいます。その空也上人自刻の像が現存しており、重要文化財となっています。

 三門も本堂、大師堂も、古さを感じるたてものですが、それだけに庶民教化に努めた空也上人ゆかりの寺らしい庶民の信仰と共にあった歴史を感じます。

 三門をくぐってすぐ左手には、松山出身の俳人・正岡子規の句碑があります。

 「霜月の 空也は骨に 生きにける」

 空也上人の人生とその教え、遺徳を詠んだ句といえるでしょう。

(2011年9月 8日の「石川鏡介のブログ」より転載)

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