四国霊場・浄瑠璃寺(過去のブログ記事より) | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 四国霊場第四十五番札所の岩屋寺に参詣し、本堂や大師堂の前で般若心経などを唱え、法華仙人の行場や大師の穴禅定に入り、三門を観、「逼割禅定(せりわりぜんじょう」の入り口を見て、納経し、また駐車場に戻りました。駐車場のすぐ手前の参道脇に土産店が並び、そのうちの一店舗の主人が「お接待です。どうぞ」といって「しょうが湯」(湯ではなくて冷えていたので冷やし飴みたいなものか)をくださいました。ちょうど、このあたりで仏具か土産物でも買おうと思っていたところだったので店の品を見て、「まだまだこれからじゃ 岩屋の坂と人生は」と背中の部分に書かれたティーシャツを買いました。

 四国八十八ヵ所公認先達の方のクルマに戻り、次の札所、第四十六番浄瑠璃寺に向かいました。

 久万高原町の中心部に戻り、松山方面から四十四番札所へ向かった時の道をそのまま引き返します。そして、海抜七百十メートルの三坂峠を越え、塩ヶ森トンネルの近くから浄瑠璃寺への近道があるのでそこを通りました。

 松山市の平野部と久万高原町では高低差があるために道は坂ばかりですが、特に段差が塩ヶ森トンネルのところは螺旋状になり、道がぐるっと一回転します。その塩ヶ森トンネルのすぐ手前に脇道があり、右折して坂を下ります。クルマ一台通るのがやっと、という細い道です。山道らしく、九十九(つづら)折りの、カーブがやたらと続く道です。途中、数回ですが対向車が来ました。すれ違う時がたいへんです。

 麓に降りきって、ため池などの脇を通り、しばらく進んで、やっと、浄瑠璃寺の門前に着きました。ここには境内の北側に駐車場があります。

 正式名称を医王山浄瑠璃寺といい、宗派は真言宗豊山派で、本尊は薬師如来です。所在地は松山市浄瑠璃町二八二番地。開基は行基菩薩で、和銅元年(西暦七百八年)にこの地を訪れて薬師如来と日光菩薩・月光菩薩、十二神将像を刻んで安置したと言われています。

 境内は広くありませんが、見どころがたくさんあります。まず、境内東側の、かつて三門があったという入り口の石段脇には正岡子規の句碑があります。いうまでもなく、正岡子規は伊予松山出身で、松山を代表する人物です。句碑には「永き日や衛門三郎浄瑠璃寺」と刻まれています。また、本堂の前に伊吹柏槙(イブキビャクシン)という老樹がありますが、これは天然記念物に指定されています。

 釈迦如来の足型だという仏足石もこのお寺の名物です。裸足になって踏むようにと説明書きがあるので、靴や靴下など、履物を全て脱いで石の上にあがり、足跡に自分の足をつけてみます。私も履物を全て脱いで足をつけました。

 他にも、釈迦如来の説法の場として代表的な霊鷲山の石といって、インドから運んできたという石が一部に埋め込まれている「説法石」や、「ほとけの指紋」というものが刻まれた石などがあります。

 本堂や大師堂は古い建物で、古寺としての趣がありあます。

 境内に南側には蓮池があり、蓮の花が綺麗でした。

 納経所では「光明曼荼羅」の掛け軸(非常に小さいもの)が幾つも置いてあり、ご自由にお持ち帰りください、とあったので、お土産としてありがたく持ち帰らせていただきました。

(2011年9月 4日の「石川鏡介のブログ」より転載)

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