四国八十八ヵ所の第四十五番札所の岩屋寺の本堂は、見ると意外に小さいように思えます。確かに、お寺の境内が巨大な岩場にあるため、壮大な伽藍は築けないということもありますし、背後の巨大岩壁を見てしまうからどうしても小さく見えます。実際、大師堂と比べると大師堂の方が大きいので、何故本堂のほうが? と思ってしまいますが、それは、このお寺では山全体が本尊とされていて、したがって山を含めて本堂である、という理屈が成り立つので、本堂の「建物」そのものは巨大であるある必要が無いからなのです。
山全体が本尊だと言うなら、なんと巨大な本尊なのでしょう。哲学的、形而上学的にいえば「本尊」は人間の想像も及ばないほどの(宇宙規模という以上の)壮大なスケールのものということになるでしょうが、目に見える物質的な姿としては、岩屋寺の本尊はなんとも巨大な本尊で、本堂もまた、山全体とすればなんとも巨大なものということになります。
お寺の左右の岩山は「金剛界峯」「胎蔵界峯」と名付けられています。まるで仙人が住んでいるような岩屋寺境内とその周辺は、まさに真言密教の修行場として相応しい雰囲気があり、「霊場」のイメージそのものでもあります。
私個人のイメージとしても、四国八十八ヵ所の中で、伽藍の配置やら歴史的経緯や本山であるかないかといったこととは別として、最も「霊場」らしい雰囲気を持つ札所は、岩屋寺や七十一番の弥谷寺だと思うのです。やはり、俗人を寄せ付けないような雰囲気の深い山の中の岩場とか(といいつつ私自身も俗人なわけですが)、岩場の中の洞窟とか、そういうものに神秘的な雰囲気を感じます。
(2011年9月 2日の「石川鏡介のブログ」より転載)

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