武蔵野観音霊場・長念寺(飯能市)《過去のブログ記事より》 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 武蔵野三十三観音霊場の第二十九番札所は長念寺(ちょうねんじ)です。正式には清流山長念寺といい、宗派は曹洞宗、本尊は聖観世音菩薩、所在地は埼玉県飯能市白子二六〇番地です。

 二十八番の瀧泉寺から国道二九九号線を吾野・秩父方面へ向かうと一キロちょっとで武蔵横手駅の前に出ます。それからまた一キロほど進んで案内板のあるところを右折し細い道を行くと長念寺の駐車場に着きます。

 瀧泉寺あたりからもう、すっかり山の中ですが、長念寺となるとさらに山の中です。空気も澄んでいて涼しく、別天地という感じもします。

 この辺りは市の境界線が入り組んでいるというわけではないのですが、飯能市街から奥へ進んで日高市に入ったのに、それからまた奥に進んだら飯能市に入るのです。飯能市街は近くを入間川が流れていますが、聖天院・勝音寺・瀧泉寺・長念寺の近くを流れるのは高麗川で、高麗川中流が日高市、上流が飯能市の土地です。

 長念寺の開創はよく分からないようですが、お寺の案内書によると、鎌倉時代の末期の正安三年(西暦一三〇一年)を最古とする六基の板碑が残されていることから、その頃に創建されたのでは、と考えられる、とのことです。

 観音堂に安置されている聖観世音菩薩坐像は南北朝時代の作で、埼玉県指定重要文化財です。本堂に安置されているのは、本尊の聖観世音菩薩立像です。

 板碑や宝篋印塔などの文化財も南北朝時代から室町時代にかけてのもので、その頃は臨済宗の寺として隆盛をきわめていたようです。

 室町中・後期の戦乱で衰えたようですが、天文三年(西暦一五三四年)に滝山城主大石定久により再興され、以後、大石定久にかわって滝山城(現在の八王子市北部の城)主となった北條氏照や、徳川家康などの庇護を受けたようです。

  曹洞宗にかわったのは慶長三年(西暦一五九八年)のことで、能仁寺四世格外玄逸禅師が再中興した、と案内書にあります。

 本堂は山深い里に相応しい造りとなっています。

 鐘楼のある梵鐘は、昭和六十一年のハレー彗星の大接近を記念して鋳造されたものだそうです。昔あった梵鐘は、太平洋戦争のときに供出させられたそうです。

 観音堂はちょっと離れたところにあり、なんとなく、古い農家の土蔵か、歴史ある城下町の商家の蔵のように見えなくもありません。

 納経所には、おもしろいものが売ってありました。直径十センチ程度の大きさの素焼きの円盤の片面に韋駄天の像と「長念寺」「願昇」の文字が浮き彫りになっています。「願昇(がんしょう)と名付けられたお守りで、住職が製作したものだそうです。

 観音堂には韋駄天もまつられているが、この韋駄天は鬼神に奪われた仏舎利を取り返すべく一瞬のうちに須弥山まで走りぬけ鬼神を取り押さえて仏舎利を取り返した、というエピソードがある。その伝説にちなんで、参拝者の願い事が韋駄天とともに天まで昇って叶えられるように、と、そのような意味を込めて作られたそうです。

 私は記念に、この「願昇」と聖観世音菩薩の御影を購入しました。

 納経所にいた婦人(ご住職の奥様か)がたいへん丁寧にお辞儀をしてくださったのが印象的でした。

(2011年10月22日の「石川鏡介のブログ」より転載)

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