武蔵野観音霊場・浄心寺(飯能市)《過去のブログ記事より》 | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 

 武蔵野三十三観音霊場の第二十三番札所は浄心寺です。正式には寂光山(じゃっこうざん)浄心寺といい、宗派は曹洞宗、札所本尊は身代出世十一面観世音菩薩、所在地は埼玉県飯能市矢颪(やおろし)二二二番地です。

 私はクルマで十一番の普門院、十二番の全徳寺、十四番の妙善院、十五番の松林寺、十八番の蓮華院、十九番の東光寺、二十番の龍円寺、二十一番の高正寺、二十二番の円照寺へ行った日に、浄心寺にも向かいましたが、ちょっとした問題がありました。円照寺から、来た道を引き返して入間川を渡り、県道一九五号線に出て右折し西へ向かい、「阿須」という交差点を過ぎて二キロほど進んでから角(右側)にガソリンスタンドのあるところで右折し、しばらく進むと案内板があって左折すると、すぐに浄心寺の門前に出るのですが、道路わきの駐車場は何故か閉まっていて、駐車できませんでした。公道で、駐停車する余裕もないので、他に駐車場がないかどうか探しましたが、見当たりません。それで、その日は諦めて二十四番のお寺へ向かいました。

 別の日に、またクルマで浄心寺へ行きましたが、やはり、駐車場は閉まっていました。

 駐車場が使えないのでは仕方ない、と、また別の日に電車で行きました。

 西武池袋線の飯能駅が最寄り駅なのですが、JR八高線の東飯能駅から歩いて行きました。

 東飯能駅の西口から、まっすぐ西へ向かい、東町交差点で南へ向かい、飯能駅北口に出ました。そして駅ビルの中に入り、飯能駅南口に出て、まっすぐ南へ向かいます。南口の交差点から先は少し下り坂になっています。坂を下りきると入間川にかかる橋です。橋を渡りきってすぐに右折するのではなく、もうひとつ先で右折すると浄心寺の前にでます。

 徒歩ですからそのまま境内に入ります。

 境内へ入る入り口脇にお地蔵様が立っています。「くろかみ地蔵尊」というそうです。髪の毛など悩み、その他、首から上の病難から救ってくれる、という御利益があるとのことです。

 そこからの道は狭くて、クルマなど入れないと思っていましたが、境内に入って驚きました。境内に入って左側に駐車場があったのです。考えてみれば驚くようなことでもありません。これまでまわってきたお寺でも、門前に駐車場がなくて境内に入るというお寺はあったのですから、そのまま入ればよかったのです。しかし公道の道路わきに駐車場があったのと境内への小道が狭すぎたのとで、境内に駐車場がないものと決め付けていたのでした。

 境内に入り、まず、本堂に行って参拝しました。本堂にまつられているのは阿弥陀如来三尊です。

 お寺の本尊は阿弥陀如来ですが、このお寺は武蔵野三十三観音霊場の第二十三番札所でもあり、地域の人々からは「やおろしの毘沙門さま」とも呼ばれています。すぐ近くのバス停の名称も「毘沙門」となっています。

 浄心寺の六世梁観禅棟和尚は若い頃に駒込の吉祥寺で修行していましたが、その時、吉祥寺内の毘沙門天に学業成就の祈願をした。そして吉祥寺の主席となったために、浄心寺に戻った時に毘沙門天をまつった。以来、浄心寺の毘沙門天は学業成就の神として信仰されるようになったという。

 本堂のある所の南はちょっとした丘になっており、本堂前から石段があります。石段を上って右に毘沙門天堂があり、左に観音堂があります。

 観音堂は小さいお堂ですが、毘沙門天のお堂とともに高台にある為、見晴らしがよく、飯能市街が一望できます。

 観音堂と毘沙門天のお堂に参拝して、本堂の北側の納経所へ行こうとしたら、ちょうど、その方から墨染めの衣を着た僧侶が複数登場しました。どこかへ出かける様子でしたが私の姿をみて、高齢の僧が若い僧を振り返り何か言いました。若い僧は私に「観音霊場めぐりのかたですか?」と訊きました。「はい、武蔵野観音霊場めぐりのご朱印をいただきたいのですが」と答えると、納経所に案内してくださいました。そこでいろいろ話しました。

 高齢の僧はここの住職で、若い方がその息子だそうです。息子さんがいうには、去年は武蔵野観音霊場の総開帳のため巡礼が多く、たいへん賑わったが、今年はご開帳でもなく、さらには東日本大震災の影響もあって、霊場巡りツアーのキャンセルなどたくさんあって参拝者が少なくなったということです。

 檀家さんなどで観音霊場巡りのツアーもよく企画していたらしいのですが、さすがに影響があって、ツアー自体、組まれることが少なくなったといいます。

 この息子さんは、ちょうど、震災の当日は西国観音霊場の第四番施福寺(槇尾寺)の山の中にいて、東日本で大きな地震があったということを聞いて慌てて下山したとのこと。深い山の中なので電話も通じず、麓に下りてからも大変だった。地元のことが心配で、そこから地元までどう帰ったかも今ではよく憶えていないそうです。

 震災後、大変だったのはお堂などのローソク火の管理で、昼夜を問わず地震のおそれがあるので火事にならないか心配だったそうです。なにしろお堂ではローソクや線香に火をつけるのが当たり前なわけですから、地震でそれらが倒れたら歴史ある建物が火災に遭うかもしれないのです。そこに誰かいれば即座に対応できるかもしれませんが、お寺の関係者が不在の時もあります。そんな不在時に大きな地震が起こったら初期消火などできません。

 大地震が起こってからは火の扱いに困るようになったといいますが、他にも、大きな石灯篭があるお寺では、それが倒れる心配もあったといいます。浄心寺でも境内に大きな石灯篭があるのですが、もともと飯能・青梅付近は地盤が強固でそれほど揺れなかったようです。しかし、別の地域では石灯篭が倒れて、下敷きになって大怪我をした人もいた、とのこと。

 また、大震災直後はちょっとした揺れでも市からの警報が鳴って、それが気になり夜もおちおち眠れなかったというお話でした。

 檀家の人の中に、石巻出身の人がいて、その人の実家も被災したとか、いろいろな話が聞けました。震災後、多くのお寺が被災地復興の募金活動をしたり、被災地支援の為の活動を行っていますが、こちらでも活動をしているようです。

 

(2011年10月15日の「石川鏡介のブログ」より転載)

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