武蔵野三十三観音霊場の第二十一番札所は高正寺(こうしょうじ)です。正式には諏訪山高正寺といい、宗派は曹洞宗、札所本尊は聖観世音菩薩、所在地は埼玉県入間市仏子一五一一番地です。
西武池袋線仏子(ぶし)駅から歩いて五分ほどの所にあります。仏子という地名は霊場がある地に相応しいものですが、もともとは武士という名だったそうです。このあたりは、平安時代、平将門や源義家などの武士が活躍した頃、いわゆる東国武士団が勃興した頃の、「武蔵七党」の一つ村山党に属する金子氏ゆかりの地で、高正寺も金子氏の開創によるお寺だということです。その金子氏ゆかりの地だからこそ「武士」という地名がついたのでしょうか。
いつのころかこの「武士」という地に四人の行者が住み着いて四体の観音像を奉じた、これにより「武士」が「仏子」になったそうです。
二十番札所の龍円寺からは、武蔵工業団地(圏央道入間インター近く)から仏子駅前へと続く道を北へ向かい、仏子駅前で左折県道一九五号富岡入間線に出て西へちょっと進んでからまた左折します。
私はクルマで行ったのですが、一九五号線から左折するポイントが分からなくて、少し通り過ぎてしまいました。そのことに気づいて適当な場所で引き返しましたが、高正寺の門前に出るまでの道が狭すぎて不便に感じました。
龍円寺と高正寺の間には丘陵地帯があり、龍円寺の本堂が東向きなのに対して高正寺の本堂は北向きです。丘陵地を背にして建っているという格好です。
開基は金子余市近範という人物で、JR八高線の金子駅付近が本拠地だったのですが、そこから丘陵地を越えた所にお寺を建てたのです。建保年間(西暦一二一三年から一二一八年)のことだといいますが、その時は万齢院という真言宗のお寺だったそうで、長い歴史のうちに衰退期があり、創建から二百年ほど経った時に禅宗にかわったのだといいます。
そういうえば、本堂を観ていると禅宗独特の雰囲気があるように感じます。本堂には金子近範の持仏だったという虚空蔵菩薩像が安置されているそうです。
また、境内には古い板碑(石版に梵字など刻んだもの)が幾つもありました。
さて、参拝が終わって納経所に行きますと、戸が閉まっており、人の気配がありませんでした。十九番の東光寺と同じく、引き出しがあり、その中に納経帳のページ一枚分があり、朱印が押してありました。観音巡礼は三百円を納めてその紙を一枚取ればいいというわけです。