景徳院境内の武田勝頼の墓(過去のブログ記事より) | 石川鏡介の旅ブログ

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四国霊場会公認先達(権中先達)&秩父観音札所連合会公認先達です。四国霊場を中心に、古寺名刹、神社、城跡、名所旧跡。さまざまな旅の思い出を綴ります。

 甲府や勝沼方面から国道二十号線を東へ、大月方面へ向かい、日川沿いの山間を進んで笹子峠の手前まで来ると、「景徳院入口」という信号があります。そこで左折し、日川の上流の方へしばらく行くと、景徳院の入口にある看板が見えてきます。その看板の手前、道路の進行方向左側に駐車場がありました。

 雪が降った後でしたので、その辺りの道は一部凍結し、山の中も歩道も雪が積もっていました。その雪の残る道を私と友人は景徳院の入口へと進み、山門(三門)へ向かいました。

 看板のあるところから、まっすぐ北へ、緩やかな坂道になっています。クルマがラクラク通行できるような道ではなく、小道です。それを少し進んで、今度は右へ大きくカーブして、東へ向かいますと山門への階段があります。

 山門は山梨県の県指定文化財で、本堂などの建物が二度の大火で焼失してしまった中、唯一焼け残り、建立当時の面影を残すというもの。さすがに歴史の重みを感じるものでした。

 見学する時に問題だったのは積雪でした。雪が降って以来、一人くらいしか歩かなかったらしく、足跡が一人分しかありません。その足跡を踏むようにして進みましたが、雪靴でも長靴でもない普通のスニーカーを履いていたため、雪が一部、靴の中に入ったり、ズボンの裾が濡れたりしました。

 それでも景徳院まで来たからには武田勝頼の墓でも観ておこう、と、山門をくぐってまっすぐ行った先の本堂へ行きましたが、墓が何処にあるのかよく分かりません。本堂の手前に宅配便の業者の人がいましたので訊ねましたが、よく分からないとのこと。本堂の北(向かって左)に庫裏があった(いかにも普通の民家のようだった)ので呼鈴を鳴らして、応対に出てきた住職夫人らしき人に案内書(両面印刷三つ折り)を頂き、山門の南にあるという「甲将殿」へ向かいました。

 「甲将殿」は小さなお堂ですが、その中には武田勝頼と勝頼夫人(北条氏)、勝頼の息子の信勝の三体の影像が置かれているといいます。その他にも、勝頼らと最期をともにして殉じた家臣の位牌や武田家ゆかりの遺品などが保存されているとのことです。お寺の入り口から山門へ向かった時に歩いた小道よりも一段高い場所にあるので、ぐるっと遠回りしたようなものでした。120125_1535011

 その「甲将殿」の裏(東側)に、武田勝頼と妻・息子および家来の墓があります。120125_1535021

 墓が並ぶ中央にあるのが武田勝頼の墓です。乱世に散った武将やその妻の最期の思いはどのようなものだったろうか。そのようなことを思いながら、しばらく眺めていました。

(2012年2月 9日の「石川鏡介のブログ」より転載)