27歳、脳みそがちょっとなくなって

記憶障害のある私です。

 

実際には、失語症(文字が書けない・言葉が理解できない)と、

実行機能障害(順序だてて物事を進められない・同時進行できない)という障害もあります。

 

自立した生活には影響のない程度ですが、

家事をしたり、育児をしたり、仕事をしたりする中では、

困りごとも多くあります。

 

 

 

 

最近、よく医療ドラマを見るんです☺

そうすると「なんでうちの子が…」「なんで夫が…」と家族が言っているシーンがよく出てくるんです。

 

 

でも、私は「なんで私が」とは思いません。

思わないようにしているんです。

 

 

私じゃなかったら良いのか、

私の子どもじゃなかったら良いのか、

私の夫じゃなかったら、自分の家族じゃなかったら良いのか。

 

 

「なんで私が」

 

そう思うほど、障害や病気に対して怒りが湧いてしまうと思うんです。

そして、障害が身近になったことに抵抗感や絶望感もたくさん感じてしまうと思うんです。

 

 

結果、障害や病気を受け入れるのにも時間がかかってしまうのではないかと思ってしまうんです。

 

 

私の脳みそが不自由になったのは、

自分のせいでも、

誰かのせいでも、

環境のせいでも、

食べ物のせいでも、

仕事のせいでも、

ないんです。

 

多分、そういう運命だった、と受け入れることが、

病気や障害を受け入れて生活する一歩なのではないのかな、と思います。

 

 

誰かを怨んだり、自分を怨んだりする時間が、

自分にとって幸せな時間ならいいですが、

 

私は、前を向いて生活する方が幸せだと思っています。

 

私の記憶は、前日が3日前のような感覚で、

5割残っているかどうか、という感じですが、

 

その5割に、子どもの笑顔や夫と会話した記憶が残っていれば、

私は幸せなんですよ☺