「身の程」とは何なのか | ギタリスト/尺八奏者 オガタマモルのブログ

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ときどーきSNS上で見かけるこんな発言

「あいつは何者でもないのに偉そうなことをいってやがる(あら、意識高いわねぇふふふ)」
「身分をわきまえろ」的な

必ずしも自分の事を言われてるとは思わないけど、ちょっと敏感に反応してしまう。

これはやはり中学生の時期のトラウマ…(笑)
体育館裏に呼ばれるではなく、呼びそうな人達がよく言っていた
「いきがりやがって」「知ったげな」(広島弁ですか?)

多感で無力だった十代の頃、
無条件に僕(ら)はそれを恐れてあまりでしゃばらなくなったり、
利口な発言を慎むようになった。(そうでもないか…)

しかし…
確かに、自分が数年前からずっと言い続けていた意見は無視されるのに
同じような発言を実績のある人が言った瞬間「ふむふむ!」ってなって
考え方を一瞬で変えられた経験が何度もあるので、自分の言っていることは「分不相応」なこともあるのかもしれない。

でも、言ってることの内容は同じだよ…と。

そもそもそういう発言をしている人の「身の程」はいくらほどのものか。
ちょっと斜めから世の中を見て、分かったような発言をしてちょっと高みに登った気分になっているのか。
批判されない安全地帯に逃げているだけなのか優越感を味わいたいだけなのか。
「陰謀論」もそれにちかいなぁ。(俺(たちだけ)は世の中の真実を知ってるんだ!みたいな)
テレビや新聞の既存メディアは皆ウソでネットの中にしか真実がない、というのも根拠がないですしね。

さておき、世の中に同調して上手くやっている人よりも、
僕は周りから叩かれながら、時には裏口をたたかれながら、敵をつくりながらでも
自分を貫いている人、貫けてる人を尊敬する。

ただ大きなことを言うだけで何もしない人はただの「みのほどしらず」かもしれないけど、
ぶつかりながらも前に進んでいる人、周りからは見えないだろうけど(成果もまだ出てないけど)
きっともがいてるんだろうなぁ、という人は応援したい。

応援したい、ってのも上からな感じだけど、自分はそちら側に立ちたい。
どちらかと言えばアホな方に。
ガリレオもニュートンもアインシュタインも…

自分も…どちらかといわずもうアホになってるかな。

自分的に、小学生くらいの頃はもっとアホでした。
まだまだ思春期の頃に作ってしまった殻が破りきれてないのかも。
もっと、アホになろう。