第37回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ | 三浦清隆のブログ

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8日(金) 前泊のため午後から移動します。

ところが、午前7時半頃に、山陽新幹線の新岩国駅で人身事故が発生、現場検証をするため暫く運休となりました。

10:30から運転再開となったのでホッとしましたが、かなりの便数が運休となったので混乱していると思い、1時間早く駅に向かいました。

幸いにも予定より早く回復していたので、一本早い便で岡山駅に到着する事が出来ました。


9日(土) 朝から良いお天気ですがとても寒いです。今回も20㎞(新熊野史跡)コースにエントリー。

倉敷駅前のホテルから、会場の倉敷市役所まで約2㎞歩きます。

市役所到着後、事前予約済みなので参加証を提出してゼッケンの入った参加賞を貰います。

ゼッケンの記入を済ませて出発式の会場へ移動。

8:50から出発式に先立ち、能登地震で亡くなられた方への哀悼で黙祷から始まりました。

今回は来賓に、伊東香織市長さんが来られ挨拶をされました。

狭い中ストレッチ体操をして身体を温めてスタートです。9:15にスタートゲートで判子を貰って南に進む。

コースは例年通りで変化はありません。

吉岡川にぶち当たったところから東へ河川敷を歩く。粒江地区に入り、粒江小学校でトイレ休憩ですが、チョコを一粒貰って先へ進みます。


粒江地区には源平合戦の遺構が残っています。

過去のブログにいろいろと書いてあります。


藤戸町へと入ります。

ここで初めて藤戸寺に寄って行きます。(今までは素通りしてた)

藤戸寺は、岡山県倉敷市藤戸町藤戸に所在する高野山真言宗の寺院。本尊は千手観音。

寺伝によれば、この地に寺院が建立された由来は、寺の周囲がまだ海であった慶雲2年(705)に千手観音が海中から浮かび上がり、それを安置したことに始まる。その約30年後、諸国を巡っていた行基により安置してあった千手観音を本尊とし天平年間(729〜748)に寺院を創建した。

寿永3年(1184)12月、源平合戦の藤戸の戦いで戦功を挙げた佐々木盛綱は、この寺院の周辺である児島郷を領地として拝領し、戦乱で荒廃した寺院を修復したとされる。

盛綱は合戦の際に若い漁師が道案内をしたことで武功を立てたが口封じのために殺害したと言われる。

その漁師の霊と合戦の戦没者を弔うために当寺院で大法要を営んだと伝えられている。

寺院は応仁の乱以後、戦国時代に至るまで兵乱によるたびたび戦火に見舞われた。

江戸時代、岡山藩の領地になってようやく伽藍が整備された。本堂は岡山藩5代藩主池田治政(いけだはるまさ)の命により天明元年(1781)に再建された。・・ウィキペディアより


藤戸寺の前あるエイドステーションでお茶とお菓子を頂き、次の熊野神社へと向かいます。

手前から第三殿・第一殿・第二殿・第四殿・第五殿・第六殿(只今改修工事中でした)

倉敷熊野神社は、修験道の祖と言われる役小角(えんのおづぬ)は文武天皇3年(699)、朝廷より訴追を受け、熊野本宮に隠れていたが伊豆大島に配流された。社伝によれば、この際、義学・義玄・義真・寿玄・芳玄ら弟子達を中心に熊野本宮大社の御神体を棒持したとされる。彼らは3年にわたり各地を放浪し、役小角が赦免となった大宝元年(701)3月、神託を得て現在の地に紀州熊野本宮を遷座したとされる。天平12年(740)聖武天皇が児島一円を熊野神社の社嶺として寄進した。天保宝字5年(761)には紀州熊野と同様の社殿(十二社権現宮)を整え、付近の木見に神宮を、山村に那智宮(現・由加神社本宮、蓮台寺)を建て新熊野三山とした。


熊野神社と修験道の寺院が一体となった神仏習合の形態を取る宗教施設として栄えたが、平安時代中期以降は衰徵した。


承久3年(1221)承久の乱が勃発し、敗れて隠岐に遠島となった後鳥羽上皇に連座して、上皇の第4皇子頼仁親王が児島に配流となった。頼仁親王は衰退していた熊野神社と寺院を再興し、以後、南北朝の頃まで繁栄した。


室町時代になり応仁の乱が勃発すると、この地も戦乱に巻き込まれ応仁3年(1469)には細川勝元方に加担した覚王院円海を中心とした兵により新熊野は焼き討ちにあい、ほぼ全焼した。明応元年(1492)より焼き払われた建造物の再建が開始された。現在、国の重要文化財に指定されている第二殿はこの時造営されたものである。現在見られる第二殿を除く社殿は正保4年(1647)に池田光政によって造営された。


明治時代になると神仏分離令をより、十二社権現は熊野神社となり他の寺院(五流尊瀧院)は天台宗寺院となった。


平成15年(2003)9月、明和5年(1768)建造の拝殿を失火により全焼。平成19年(2007)10月に再建した。・・・ウィキペディアより


熊野神社ではハンコと飴を貰いました。

また、具沢山の味噌汁も頂きました。

少し休憩して、次の天城小学校へと北上します。

天城小学校は、10㎞との合流点を兼ねたチェックポイントで判子を貰います。本当は10㎞の人しか頂けない味噌汁を、20㎞の人も遠慮なく頂いてました。(私もその1人です)

少し休憩してゴールまであと5.5㎞へスタート。


倉敷川沿いに北上。

川土手の河津桜は満開です。沢山のお花見客でごった返していました。

13:45に会場に帰って来ました。

今年は例年に戻り、露店もあり大盛況でしたが、お酒の販売はありませんでした。残念‼️

近くのコンビニで調達して少し休憩してホテルに帰ります。