下関W協会424回例会 旧山陽道をあるく③ | 三浦清隆のブログ

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3月2日(土) 朝から雪が降る寒い一日が始まります。

JR 岩徳線と山陽本線を経由して宇部市の厚東駅へ。「ことう駅」は、明治33年(1900)に開業した宇部地域では最古の駅で、昭和20年までは陸上輸送の拠点として賑わっていたそうです。


駅舎内で簡単な挨拶とコース説明の後、駅前でストレッチ体操、寒いのでしっかり身体をほぐします。10:40に女性3名を含む16名でスタート。行程約12㎞です。

駅前から国道2号線に出ます。

西へと国道沿いに進み、前回(2023年2月4日)のゴール地点「正覚寺」前を通過します。

下岡交差点の先から道路を左折して旧山陽道に入ります。吉見城跡がある山沿いをくるりと回ると、再び国道に出ました。


ここで国道を横断して小川沿いに上って行くと、道は途切れています。猪よけのフェンスを乗り越え、お手製の丸太橋を渡りなんとか国道に戻ることが出来ました。

ここから国道沿いに吉見峠を登りますが、歩道がないのでとても危険です。

途中にある看板に旧山陽道の絵が書いてありました。ちゃんと街道松が描かれています。

峠を越えて下った先で再び国道を横断します。車が来ないのを待って一斉に渡り旧山陽道に入りました。

UBE(旧宇部興産)の「宇部伊佐専用道路」の下を潜ると、船木一里塚跡があります。

面影は全く有りませんでした。

ここから船木宿へと入ります。

船木宿・・・宿場町であった船木。町並みは、道の左右だけでなく幾つかの筋を持っており、これが旧山陽道の本宿で今も残る船木の町並みです。

江戸時代において、この宿は交通の要地のみならず、この地域の政治・経済の中心でした。

人々の往来を助けた船木本宿の荷付場には、宿馬が15頭、人足10数人がいて、目代役人が世話をしていました。のちに船木村役場が建てられました。・・・うべ旅ナビより

また、明治時代に山陽本線が南の宇部・小野田を通るようになってから、この宿場は次第に寂れてしまいました。


この荷付場でお昼近くなったので、「宇部市学びの森くすのき」で昼食となりました。

寒いのでホールに入って食事をさせて頂きましたが、地べたに座って食べていたのが悪くて、椅子を貸してくださいました。

約40分の休憩後、元に戻りスタート。旧山陽道を西へ進む。「大木森住吉宮」前を通過、ここの説明看板に神功皇后が軍船48艘を造るために切られたという、境内にあったクスノキの古樹の巨木伝説からこの地を「船木」、旧町名の「楠町」などの地名発祥の場所と知られています。とありました。


船木本宿を抜け、国道2号線に出ました。有帆川に架かる仮設橋を渡り、暫く国道沿いに進みます。

次第に上りになってきました。

逢坂にある「千林(せんりん)尼の石畳を通ります。

幕末の尼僧千林が托鉢をして浄財を募り、山間の悪路に石を敷きつめ道を直した偉跡。(宇部指定史跡)

一部が残っています。

この先の「逢坂観音堂」の前に通り、旧山陽道は山の中へ。

余り人が通らないのでしょう、途中から草木の生える道となってます。冬だと通ることが出来ますが、夏は無理ですね。

薮を抜けて県道225号線(船木津布田線)に出ました。

ここからまた上りが続きます。

峠を越えると、山陽小野田市へ入ります。

峠を下り途中から左に入る小道へと進みます。大きな堤の横を通過して厚狭市宿へと入って行きます。

明日がひな祭りとあって、街道沿いには各家や店舗で雛人形が展示されてました。

途中で永山酒造の利酒(有料)や甘酒(無料)などがあり、ここで暫くお買い物を楽しみました。

有帆川に架かる鴨橋の手前で旧山陽道は途切れています。この先は消滅してどこだったのか?不明だそうです。

ということで、厚狭駅に14:20頃到着しました。

寒いですが上りの電車が来るまで暫くホームで待ちます。