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けまる日記

2013年流産後、3月に臨床的侵入奇胎と診断、抗がん剤治療開始。最終的にセカンドオピニオンで間質部妊娠と診断後経過観察へ。

2015年3月待望の妊娠!

愛くるしい息子は6歳でアスペルガー&ADHDと診断。

試行錯誤しながら小学校生活を送っています。

救急車で運ばれてから

出血は落ち着いたものの そのまま入院をし

様子を見ながら

MTXよりも副作用の出方が少し強めといわれる

アクチノマイシンD(コスメゲン)の投薬を

開始することになりました。



5/7 投薬1日目
お昼を食べた後にデカドロンという

抗アレルギー剤を1回16錠を飲みました。

小さい錠剤だけど、16錠はさすがに多い~;


しばらくすると、かわいこちゃんが部屋に。

研修医のようでした。

左手内側に点滴を刺したけど、失敗…

2度目は外側の血管にして成功。

アセアセしてるのが伝わってきて

なんだか怖かった><


アクチノマイシンDは血管外に漏れると

結構危ない抗がん剤のようなので

そんなの聞かされてるから

大丈夫なのか不安で不安で(汗


どうにか大丈夫のようで

生食水?とカイトソル1Aとかいう吐き気どめ?を

点滴で流し込み、少ししたらドクター登場。

アクチノマイシンDを点滴の途中から注入です。
薬の投薬自体はあっという間!

でも血液が固まりやすい薬なので

しっかり流れていくように生食水を流します。

点滴開始ちょっと前から

点滴が終わるまでの約3時間の間は

30分ごとにバイタルチェックがはいり

正直ちょっとめんどかったです…


無事に1回目の投薬終了したけれど

初日なので特に副作用は出ませんでした。


その後、先生といつ退院するかを話したけれど

というのも、もうほとんど出血していないから

入院している必要もあまりないらしく
副作用も投薬4~5日目ぐらいから出る人が多いから

今週いっぱい入院しても

入院の間は体調に変化がないこともあり得るし、とのこと。


そうなってくると早く退院したほうが

金銭的にも良いよなぁ…

結局先生もハッキリしないまま

退院の話は流れました。

なんだよーーーぅ、ぬか喜び?



5/8 投薬2日目

今日退院できるかなー?と先生に聞くも、難しそう。
二回目の投薬後も、特に副作用的なこともなし。

入院中だから点滴のラインを外さなくて良いのは楽だけど

シャワー浴びたりするのには邪魔だし

ちょっと動かすと血管の壁に当たるのか少し痛いから嫌い!


そしてこの後、事件が~~~~!!

下ネタ?的なことになってしまうけど

入院してから便意がなかったわたし。

ようやくこの日にソレを感じ、お手洗いでリキんだら…


ポタポタッ 

サーーーー


出血しちゃった!!!!


やばいと思ってお手洗いからナースコール; ;
話してる最中から下腹部に痛みが走り

立っていられないほどに。
何とかベッドまで戻るけど

ちょっとでも体を動かそうものなら激痛!

出血の痛みなのか

便通を止めたせいの痛みなのか判断できず

激痛に1時間耐えて

ようやくすこし動けるようになったので

看護婦さんの勧めで浣腸をしてもらいました…

恥ずかしくて激痛すぎて泣けた~~T T


その後、とーーーっても苦しんだ後に

どうにかなりました…

正直ほんっっっっっとにつらかった…

.


ゴールデンウィークで
人があふれるようにいる中、
救急車が到着しました。

女子トイレの中まで
タンカーが入ってきて
お手洗いからタンカーにうつります。
でもお腹に力をいれると
お腹に痛みを感じるので
やっとの思いでした。

そこから毛布にくるまれて
新丸ビルの中をタンカーで運ばれます。
たくさんの人に見られましたが
私はそんなことより子宮のことが
心配でたまらなくて
毛布に顔をうずめ泣き続けてました…

ようやく救急車内に入り
自分が病気であること
抗がん剤治療中であること
出血は子宮からだと思うこと
造影剤アレルギーなので
早めに止血できないと子宮を失うこと
一生懸命訴えました。

救急隊の方々は私の話から
現在のかかりつけの病院の方が良いであろうと判断し
かかりつけ病院に連絡をいれ
受け入れ依頼をしてくれました。
(実際は都内の救急病院で
休日の中、私の病気に対して
即座に対応できる病院を探すのは
難しいと思ったようでした)

ただ、本来であれば
東京都外に搬送するということはしないようで
どこかに許可をとらなければならないとのことで
救急車に入ってから出発するまで
15分はたっていたように思います。

私の頭の中には
早く出発して!!!!!!!
子宮を助けて!!!!!!!
っていうことだけ。

19時10分過ぎようやく出発。
私は泣いてはいたものの
意識もしっかりしていたので
許可を得て携帯でオット殿に連絡し
神奈川の実家からすぐに
埼玉のかかりつけ病院まで来てほしいとお願いをしました。

この時詳しいことを話す余裕もなく
『東京駅で出血して
救急車で運ばれている』
ということしかわからないオット殿は
向かう道中相当不安だったと
後から聞きました。

オット殿に引き続き
実家の両親に連絡をいれたのですが
この時法事で岐阜県にいることを
すっかり忘れていて
何度も携帯にかけまくっていました。
どうしても出ないので
私がこれから電話が使えなくなる時のために
妹に電話をして両親に連絡をとってもらおうとしたら
これも留守番電話…

また両親に電話したら
ようやく母がでた!
けれど、完全に酔っ払ってて
何言ってるかわからない!!!!
『お父さんの方が酔ってない!?
お父さんにかわって!!!』
とものすごい剣幕で話し
父に代わってもらいました。

父も酔ってはいたけど
母よりはまだ理解できそうだったので
ことの経緯を話しました。
酔っ払いの口調ではあったけど
『とにかく落ち着いて!!!』
と何度も言ってくれ
電話をきりました。

その後、妹からも折り返し電話が入り
たまたま病院の近くの駅にいるから
そのまま病院に行くと言ってくれ
妹が両親ともう一度連絡をとってくれたそうです。

後から考えれば、遠方にいて
かけつけることができない両親に
救急車の中から連絡だかんて
するべきではなかったです…
こういう時、冷静な判断なんてできませんね…

私が慌てて連絡をいれたせいで
かなり酔っ払っていた母は
動揺して取り乱し
泣き出してしまったそうで…

法事後の宴会の最中に
親族のみなさまにもご迷惑をおかけしてしまったと今は反省しています…


救急車が出発して40分ぐらいたち
かかりつけの病院に到着しました。
救急車内では腹痛に波があり
痛みがほぼない時と
体がこわばる程痛みがある時とありましたが
病院につくころには
出血もだいぶおさまっていたようでした。

処置室に入ってから
なじみの看護婦さんの顔を見て
少し安心し、徐々に落ち着いてきました。
主治医の先生もいてくれて
すぐに内診が始まりました。

腫瘤は変わらずある
現在出血の勢いは弱まっている
緊急にどうこうということはない
おそらく腫瘤部分からの
出血であろうということでした。

出血が弱まっていると聞き
子宮はなくならないとようやくわかり
心の底から安心しました。
ここでようやく涙も止まりました。

血に染まった衣服や私の身体自体を
看護婦さんが綺麗にしてくれている時
妹が病院に到着し
じきに処置室へ来てくれました。
妹の顔をみると目が真っ赤…
恐らく泣いていたんでしょう…
申し訳ないのと安心したのとで
私も涙が出ました…

しばらくするとオット殿も到着し
先生からお話がありました。

・出血状況を観察するために、数日入院
・5/7に血液検査をしてから、投薬なり入院のことなりを考えましょう

とのこと。
私もオット殿も納得し
昨日はそのまま入院しました。

妹にはお礼を言って別れ
オット殿は入院に必要なものと
私の夜ご飯を準備する為に帰宅し
また来てくれることに。

オット殿を待っている間
下腹部の痛みもかなり良くなり
出血もほぼ止まり
落ち着いたところで
自分の携帯をみると
留守番電話に録音が1件。

聞いてみると母でした。
時間は私が病院で処置されている時。
恐らく酔っ払っている上に
気が動転している母は
思わず私に電話したのでしょう。

留守電には
『もしもし、お母さんです。
連絡できるようになったら
電話くださーい』
というわりと明るめの声の後に
私に電話してるとこに気づいた父が
『だめだって言ってるだろう!
電話は出れないんだから!
M(妹)が大丈夫って言ってたろ!?』
と母に強めの口調で言い聞かせている声と
母が『だって…だって…』と
泣いている声が入っていました。

それを聞いた私は
本当に申し訳ない気持ちになり
涙が止まりませんでした…
妹は
『私だったら知らせてほしいと思うから間違ってないよ』
と言ってくれましたが
遠方にいた両親には
事後報告にすべきだったかもしれませんね…


そんなこんなで一夜明け
両親ともお酒がぬけた状態で
メールのやりとりをし
今にいたります。

今日も祝日の為
病院側も特になにもすることはないから
体調が戻ってきたのであれば
のんびりしていてください~と。

下腹部の痛みも動いた時に少し響く程度になり、出血もごく少量が茶色で出るぐらいになりました。


楽しいはずだったゴールデンウィーク
なんの前ぶれもなくまさかの大出血に
初めての救急車…
たくさんの方にお手数をおかけしてしまいました。

新丸ビルのあのお手洗いの個室
相当な量の血で汚してしまったな…
お掃除の方、本当に申し訳ないです。
お手洗いの順番を譲ってくれた方々
私の助けての声を拾ってくれた方
防災センターの方
救急隊のみなさま
病院スタッフのみなさま
家族のみんな

本当にありがとうございます。


もう二度と
こんなことは起きませんように…
あーーーーー
これ程までに心がうろたえたのは
人生に2度目だというくらい
びっくりした出来事でした。

血などのちょっとグロい表現が
出てくると思うので
苦手な方は読まない方が良いかもです。

4/30 MTX投薬3クール目休薬薬期間。
血液検査でのhcgは9でした!
下がったー!!!!
2クール目から休薬期間1週目は
大体横ばいで
2週目に下がるという感じ。
3クール目もそうだったけど
先生曰く、下がり方が弱いから
早く治療を終わらせる為にも
薬を変えた方が…とのこと。

どーしても副作用が怖かった私は
数値が下がってなかったら
薬を変更する!と言い聞かせてたので
数値が半分に下がったから
なかなか変更に同意できなくて
迷っていました。

そしたら先生が
『半減期のことも考えて
5/7の血液検査でhcgが5以下に
なっていなければ即日薬変更。
5以下だったらMTX続行でどうですか?』
と提案してくれたので同意しました。

5/7からはどっちにしろ投薬。
であれば、GWは好きなことして
気持ちを充電しようと決めたのです。
幸い、本当に病気なのかしら?って
いうくらい体調も絶好調でした。


5/3は家でのんびり
5/4は茨城まで遠征して
お友達と行きたかったcafeへ。
本当に楽しい時間*
この日からオット殿は自分の実家へ帰省。
私の実家は岐阜県へ親類の49日へ。

なので私は5/5と5/6は
都内を1人でブラブラしようと決めて
5/5当日、ウキウキ気分で
新宿へ出かけました。
家から30分位で着くし
出勤に1時間ちょいかけてるので
都内は全然遠出にはならないし!

新宿でブラブラして買い物
渋谷ヒカリエへ移動してブラブラ
最後に東京駅に移動して
話題のKITTEに行き
時間をかけて見てまわりました◎

さすがに疲れたので
そろそろ帰ろうと思い
新丸の内ビルの東京駅連絡通路から
東京駅に向かおうと
エスカレーターを降りてすぐの
案内図を眺めていたその時!!!!!


シャーーーーー!!!


自分の意思とは関係なく
股から液体が流れ出てきた感覚が…
え…?????
まさか…?????
と思った瞬間、また

シャーーーーー!!!!

この間1分ぐらいだったかな…
ただことじゃない!!!!と気づいて
トイレを探すと幸いにも近くに発見。
でも激混みです…
必死に先頭の方に
『出血が!!!出血してしまったんです!!
順番を譲っていただけませんか!?』
と説明しました。

その方は不穏そうな顔でしたが
私の足元に血が点々と落ち始めたのを見て
即譲ってくれました。

そこにはお掃除のおばさんもいて
お掃除が終わったばかりのお手洗いに
駆け込ませてもらい
履いていたレギンスと下着を降ろすと
驚くほどの出血…

布に染み込むのが追いつかず
布の上で血液が波うってるのを見て
もうパニックでした…

電話しなきゃ…!!!!
咄嗟にそう思って携帯を手に取ると
なんと圏外!!!
ここは地下だったことを思い出し
更にパニックになりました。

どうしようどうしようお思いながら
その間、個室に撒き散らしてしまった
血液にひとまずトイレットペーパーを
適当にひきました。

その時!
ペーパーの横に非常時に押してくださいというスイッチを発見。
無我夢中で押しました。

ビービービービー…

大きな音でブザーがなります。
扉の外で、お掃除のおばさんが
トイレ待ちの方に
『誰か間違えて押しちゃったのかしら?』
と話しかけているのが聞こえました。

私は必死で
『どなたか、どなたかいませんか?
助けてください…助けてください』
と声がけをしましたが
動揺してしまっているせいか
思うように大きな声が出ません…

そうしている間にブザー音は消えてしまい
どうしようと涙が止まりません。

その時、私の助けを求める声に
気づいてくれたのは
隣の個室に入っていた方のようでした。
その方は個室を出るとすぐ
掃除のおばさんに助けを呼んでる方がいますと話してくれたおかげで
掃除のおばさんもようやく気づいてくれ、ビルの防災センターに連絡をいれてくれました。

この間、すごく長かったように感じましたが、実際は10分ぐらいかな…

怖くて怖くて震えが止まらない中
防災センターの女性がきてくれて
混乱する中、身元証明をし
病気である旨を話し
出血が止まらないと
子宮がなくなってしまう可能性があるんですと泣きながら訴えました。

すぐに救急車を呼んでくれ
救急車がくるまでの間
その女性がずっと励まし続けてくれましたし
出血もジャージャーという感じでもなかったのですが
徐々に下腹部に鈍痛が出始め
私は心の中で何度も
子宮がなくなりませんように…!!!!
と泣きながら唱えました。


長くなったので
次に続きます。