ゴールデンウィークで
人があふれるようにいる中、
救急車が到着しました。
女子トイレの中まで
タンカーが入ってきて
お手洗いからタンカーにうつります。
でもお腹に力をいれると
お腹に痛みを感じるので
やっとの思いでした。
そこから毛布にくるまれて
新丸ビルの中をタンカーで運ばれます。
たくさんの人に見られましたが
私はそんなことより子宮のことが
心配でたまらなくて
毛布に顔をうずめ泣き続けてました…
ようやく救急車内に入り
自分が病気であること
抗がん剤治療中であること
出血は子宮からだと思うこと
造影剤アレルギーなので
早めに止血できないと子宮を失うこと
一生懸命訴えました。
救急隊の方々は私の話から
現在のかかりつけの病院の方が良いであろうと判断し
かかりつけ病院に連絡をいれ
受け入れ依頼をしてくれました。
(実際は都内の救急病院で
休日の中、私の病気に対して
即座に対応できる病院を探すのは
難しいと思ったようでした)
ただ、本来であれば
東京都外に搬送するということはしないようで
どこかに許可をとらなければならないとのことで
救急車に入ってから出発するまで
15分はたっていたように思います。
私の頭の中には
早く出発して!!!!!!!
子宮を助けて!!!!!!!
っていうことだけ。
19時10分過ぎようやく出発。
私は泣いてはいたものの
意識もしっかりしていたので
許可を得て携帯でオット殿に連絡し
神奈川の実家からすぐに
埼玉のかかりつけ病院まで来てほしいとお願いをしました。
この時詳しいことを話す余裕もなく
『東京駅で出血して
救急車で運ばれている』
ということしかわからないオット殿は
向かう道中相当不安だったと
後から聞きました。
オット殿に引き続き
実家の両親に連絡をいれたのですが
この時法事で岐阜県にいることを
すっかり忘れていて
何度も携帯にかけまくっていました。
どうしても出ないので
私がこれから電話が使えなくなる時のために
妹に電話をして両親に連絡をとってもらおうとしたら
これも留守番電話…
また両親に電話したら
ようやく母がでた!
けれど、完全に酔っ払ってて
何言ってるかわからない!!!!
『お父さんの方が酔ってない!?
お父さんにかわって!!!』
とものすごい剣幕で話し
父に代わってもらいました。
父も酔ってはいたけど
母よりはまだ理解できそうだったので
ことの経緯を話しました。
酔っ払いの口調ではあったけど
『とにかく落ち着いて!!!』
と何度も言ってくれ
電話をきりました。
その後、妹からも折り返し電話が入り
たまたま病院の近くの駅にいるから
そのまま病院に行くと言ってくれ
妹が両親ともう一度連絡をとってくれたそうです。
後から考えれば、遠方にいて
かけつけることができない両親に
救急車の中から連絡だかんて
するべきではなかったです…
こういう時、冷静な判断なんてできませんね…
私が慌てて連絡をいれたせいで
かなり酔っ払っていた母は
動揺して取り乱し
泣き出してしまったそうで…
法事後の宴会の最中に
親族のみなさまにもご迷惑をおかけしてしまったと今は反省しています…
救急車が出発して40分ぐらいたち
かかりつけの病院に到着しました。
救急車内では腹痛に波があり
痛みがほぼない時と
体がこわばる程痛みがある時とありましたが
病院につくころには
出血もだいぶおさまっていたようでした。
処置室に入ってから
なじみの看護婦さんの顔を見て
少し安心し、徐々に落ち着いてきました。
主治医の先生もいてくれて
すぐに内診が始まりました。
腫瘤は変わらずある
現在出血の勢いは弱まっている
緊急にどうこうということはない
おそらく腫瘤部分からの
出血であろうということでした。
出血が弱まっていると聞き
子宮はなくならないとようやくわかり
心の底から安心しました。
ここでようやく涙も止まりました。
血に染まった衣服や私の身体自体を
看護婦さんが綺麗にしてくれている時
妹が病院に到着し
じきに処置室へ来てくれました。
妹の顔をみると目が真っ赤…
恐らく泣いていたんでしょう…
申し訳ないのと安心したのとで
私も涙が出ました…
しばらくするとオット殿も到着し
先生からお話がありました。
・出血状況を観察するために、数日入院
・5/7に血液検査をしてから、投薬なり入院のことなりを考えましょう
とのこと。
私もオット殿も納得し
昨日はそのまま入院しました。
妹にはお礼を言って別れ
オット殿は入院に必要なものと
私の夜ご飯を準備する為に帰宅し
また来てくれることに。
オット殿を待っている間
下腹部の痛みもかなり良くなり
出血もほぼ止まり
落ち着いたところで
自分の携帯をみると
留守番電話に録音が1件。
聞いてみると母でした。
時間は私が病院で処置されている時。
恐らく酔っ払っている上に
気が動転している母は
思わず私に電話したのでしょう。
留守電には
『もしもし、お母さんです。
連絡できるようになったら
電話くださーい』
というわりと明るめの声の後に
私に電話してるとこに気づいた父が
『だめだって言ってるだろう!
電話は出れないんだから!
M(妹)が大丈夫って言ってたろ!?』
と母に強めの口調で言い聞かせている声と
母が『だって…だって…』と
泣いている声が入っていました。
それを聞いた私は
本当に申し訳ない気持ちになり
涙が止まりませんでした…
妹は
『私だったら知らせてほしいと思うから間違ってないよ』
と言ってくれましたが
遠方にいた両親には
事後報告にすべきだったかもしれませんね…
そんなこんなで一夜明け
両親ともお酒がぬけた状態で
メールのやりとりをし
今にいたります。
今日も祝日の為
病院側も特になにもすることはないから
体調が戻ってきたのであれば
のんびりしていてください~と。
下腹部の痛みも動いた時に少し響く程度になり、出血もごく少量が茶色で出るぐらいになりました。
楽しいはずだったゴールデンウィーク
なんの前ぶれもなくまさかの大出血に
初めての救急車…
たくさんの方にお手数をおかけしてしまいました。
新丸ビルのあのお手洗いの個室
相当な量の血で汚してしまったな…
お掃除の方、本当に申し訳ないです。
お手洗いの順番を譲ってくれた方々
私の助けての声を拾ってくれた方
防災センターの方
救急隊のみなさま
病院スタッフのみなさま
家族のみんな
本当にありがとうございます。
もう二度と
こんなことは起きませんように…